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■家に帰ろう

 ナノと申します。帽子屋に捕まりました。
 ……いきなりすぎるかも。
 これまでの経緯を軽く説明いたします。

 美しく儚く健気で可憐な余所者ナノ。
 失礼。平凡以下っす。
 私は重度のカフェイン中毒……じゃない、珈琲と紅茶に関しては、
それなりの腕を持ってると思う。
 そんな私は、記憶喪失の状態でダイヤの国に来た。
 その後、紅茶の腕を見込まれ、マフィアのボス、ブラッド=デュプレの女にされそうになったけど、逃げた。
 で、紆余曲折あって、墓守領にて時計屋ユリウスの恋人となった。

 それでめでたしめでたし、なら良かったんだけど。

 帽子屋ブラッド=デュプレは、私を諦めてくれなかった。
 ダイヤの城からお茶会の招待状を受け、隠れていたけどエースに斬られかけ。
 そうしたら不思議な人が助けてくれた。

『君が逃げたまんま、この国になじんでしまうなんて。
 ……ユリウスが可哀相だ』

 仮面とローブの謎の男はこうも言った。

 でも私も時々思うようになってきた。
 このままではいけない。
 自分が本当にいるべき場所は別にある、と。

『これだけ、こっそり持って来たんだ。君のだろ?返すよ』

 謎の袋を渡された後、双子に気絶させられ、ダイヤの城へ。
 そしてお茶会強制参加の後。

『帽子屋領に帰るぞ、お嬢さん』

 ブラッドに言われ。そうだ。私は。

 扉が開かれようとしている。

 ――家に帰ろう。

 …………

 ゆっくりと目を開けると、見慣れた天井が目に入った。
 ここは帽子屋屋敷だ。
 周囲を見回さなくとも、どこにいるか分かる。
 いつか閉じ込められた独房だ。
 私はベッドに寝かされ、お布団をかけられている。
 お布団の下は……下着姿っす。
 そして目を転じると、椅子に座るブラッドの背が見えた。
 真面目なのか不真面目なのか、書類作業をしているようだ。
 ペンを滑らす音が聞こえる。
 いつか、これと同じことがあったような……。

 私は、その音を聞きながらもう一度目を閉じる。
 そうすれば懐かしい誰かに会える気がして。

 ――家に帰ろう。

「起きたか」

 その声に全身が凍りつく。
「っ!!」
 私は一切身じろぎしていないのに、ブラッドには私が起きたと分かったらしい。
「あ、あの……その……」
 声を聞くと、どうしていいか何も分からない。
 ブラッドはテーブルに上着と帽子を放ると、ベッドの私に近づいてきた。
「あの、ブラッド。私は……ん……っ!」
 抱きしめられ、首筋に牙を突き立てられる。
 瞬間に、まるで毒に当てられたかのように身体から力が抜けてしまう。
 捕食者に完璧に捕らえられた獲物の、諦めの境地とでもいうのか。
「でも、ダメ、です……」
 震えながらも訴えてみた。
「ナノ。優しく扱われたいのなら私の言うことを聞け。身体を開きなさい」
 ブラッドの声には殺気がこもっている。

「嫌っ……!」
 声がハッキリ出た。

「……っ」
 ブラッドが手を上げた。
 一瞬殴られるかと思った。
 けど彼はゆっくりと手を下ろし、私に覆い被さると、
「なら、今夜は辛くなる。覚悟しなさい」
 とだけ言った。
「ブラッド。もう止めましょうよ。こんなこと……」
 私は彼に恋愛感情を抱けない。向こうも分かっているはずだ。
「それ以上何か余計なことを話せば、本当に地下室に送る。
 意思を完全に奪い、生きたまま人形とする方が、私にとっては遙かに簡単だからな」
「痛っ……」
 下着の中に潜り込んだ手が、愛撫を開始する。
 いや愛撫では無い。ブラッドが楽しむためだけの、単なる荒い動きだ。
 それは私に痛みをもたらすが、ブラッドにためらう気配はない。
「ん……んぅ……」
 そして下着を剥ぎ取られ、身体を強引に押し開かれ、足を抱えさせられる。
「ブ、ブラッド……」
 声にさらなる怯えが混じる。
 私は、ほとんど準備が出来ていないのに。
 しかしブラッドは己をあてがい、酷薄に笑う、
「同じ事だ。優しくしてもしなくとも、君は心の奥底までは開かない」
 反論をしようとしたけれど、その後は、悲鳴で言葉に出来なかった。

 …………

 …………

 そしてまた時間帯は過ぎる。
 ぼんやり寝ていたら、あっという間に二度目の測量会間近だ。
 
 今私は、散々弄ばれ、痛む身体をベッドに横たえている。
 ぼんやりとした目で窓の外を見た。
 鉄格子の外はいつもと変わらぬ緑。
 全ての希望がなくなったような、そんな気分。
 次は誰が助けてくれるだろう。
 誰も! 頼りすぎだ、私。
 さすがに今度はエースも助けに来てくれないだろう。
 現実的な話、私がダイヤの城に行ったことは誰も知らない。
 恐らくブラッドも、墓守領に知らぬ存ぜぬで通すだろう。

 あれからブラッドとはどうかって?
 以前と悲しいくらいに変わりません。
 紅茶を淹れさせられ、文句をつけられ、ひどく抱かれる。
 恋人になった覚えもないのに浮気癖をなじられ、ユリウスが
どれだけ必死に私を探しているか、遠回しに教えてくれる。
 うん……ユリウスは探してくれている。
 エースのこともあるし、帽子屋屋敷が怪しいと目星はつけているだろう。
 しかしまだ助けに来てくれないということは、手出しが出来ないということだ。

 二度目の測量会で、連れて行ってもらうのは難しいだろうか。
 鉄格子をギュッと握り、顔を伏せる。
 八方塞がりだ。
 もうダメなんだろうか。
 ブラッドは、次の引っ越しまで私を屋敷に留めておく、というようなことを言っていた。
 その間に私をモノにして、連れて行くつもりなのかもしれない。

 さまざまな軸が交差するこの世界。
 次の引っ越しで『ユリウス』と引き離されたら、二度と会えないかもしれない。
 いや、帰ろうと思えば帰る方法はある。

 家に帰ろう。ユリウスの元に。

 ――違う。彼は。違う。

 ハッとして顔を上げる。
 何だろう。ユリウスに申し訳ないという思いとともに、確かに思い出しかけた。
 そうだ。もう少しで思い出せそうな気がする。
 身体の奥底が震える。
 もう自分に隠す理由は何もない。
 荒れ狂う何かが、私の中から浮上しようとしている。
 でも何かが、何かが足りない。

 あと一つ。


「紅茶、飲みますかね」

 一時間帯ばかり己と格闘し、ついに私は力なく呟いた。
 もうすぐブラッドがここに来るだろう。
 次はどんな痛いことをされるのか。考えるだけでも全身が震える。
 ――やっぱり無理だ。もう全部あきらめよう。
 自分に出来る全てのことはした気がする。
 これ以上、拒んでいたら身体の内も外も壊される。
 ユリウスのことも墓守領のことも全て忘れて、ブラッドに従おう。
 自分なんて捨てて、彼の人形になってしまえば楽になる。
 ブラッドが次に来たら、無理にでも笑みを作る。
 そして美味しい紅茶を淹れる。
 それで厳しいことを言われたら……怯えて何も出来ないだろう。
 でも従うしか無い。もう疲れた。

「ん?」

 紅茶を取ろうとして、あるものが目に入った。

『玉露』

 首をかしげる。あの夜、謎の男にもらったものだ。
 緑茶かあ。そういえば一度も飲んだことがなかった。
 どんな味なんだろう。私はいそいそと黒エプロンを着た。
 急須で入れたいけど、紅茶の器具しかない。
 じゃあ即席ティーバッグだ。
 紅茶の器具に関しては何でもそろっているので、ちょっと探すとすぐ出てきた。
 不織布のお茶パックである。

 まずヤカンにお湯を沸かす。
 そして玉露の袋を開け、お茶パックに適量の茶葉を入れる。
 んでヤカンに投入。はい、完了。
 とはいえ、お茶パックの中でもちゃんとジャンピングは起こる。
 この世界は時間を計る道具がないのが悩みどころだ。
 勘でタイミングを計るしかない。

 ……よし!

 ティーカップにエメラルドの液体がとくとくと注がれた。
「良い匂いですねえ」
 私は久しぶりに明るい気分になり、目を細めて色と香りを味わった。
 自然、ベッドに正座をしてしまう。
 窓からの風景は、さっきまで虚ろに思えたのに、今は爽やかに輝いている。
 私はゆっくりと茶をすすり、
「ああ、お茶が美味し――」


 ドクンっ!


『なら無理に忘れようとする必要はない。
一度嫌なことがあったからといって、何もかもが否定されるわけではないだろう?』

 ユリウスの姿が鮮明に思い出される。
 でもここのユリウスは、あんなことを言ったっけ?

『恋って難しいですね』
『ああ、難しいとも』

 ナイトメア? 彼とも、いつあんな会話を交わしただろうか。

『俺も一緒にココアを作らせてくれないか』
 
 グレイさん、だっけ? 
 でもこの前測量会で会ったときと全然声の感じが違う気がする。

『おまえ、みたいな、ばか……だい、きら……』

「あ……っ!……」

 手からカップがこぼれ、床で砕け散る。
 だけど、それどころではなかった。

 全てが、全ての扉が今まさに開かれようとしていた。

 目まぐるしい勢いで誰かの姿と声が再生され、画面がグルグル回る。

 混乱で頭がおかしくなりそう。
 でも私はもっと、もっととそれを求める。

『ナノ』

 たくさんの人が私を呼んでいる。
 手を差し伸べてくる。
 だけど、私が取る手はたった一つしかない!
 涙がこぼれて止まらない。

『君は私の物だ。どうなろうとも……必ず』



「ブラッド……っ!!」



 最後の扉が開かれる。涙が止まらなかった。


 …………

 …………

「やあ、ナノ。おめでとう。無事に記憶を――ぐはっ!!」
 私は夢の中の夢魔の胸ぐらを、無言でつかみあげる。

「干物夢魔。てめえ、途中から故意に人の記憶を封じてただろう。
 夢魔だか何だか知らねえが、調子こいてると残りの眼球抉り出すぞ」

「い、いや私の片目は無いわけでは……あと暴言まで思い出さなくとも。
 女の子らしくないぞ、ナノ」
 私は、息を吐き、ナイトメアから手を離した。
 ドサッと地面に落ち、のたうち回る夢魔。
 けれど愉快そうに、

「はは。結局、あちらの帽子屋の勝利だったわけだ。
 記憶喪失になっても同じ結論を出すとはね」

「まあ、そうならない可能性の方も高かったんですけどね。
 どこかの過保護な誰かさんのおかげで」

 手の中に玉露を出す。
『ここの』ユリウスに取られるくらいなら、あっちのブラッドで手を打つ、
 その思考自体が相当に歪んでいる。恐ろしい。
「おい、ナノ!?」
 玉露の袋を逆さにする。
 バッと大量の茶葉が舞い、最後にポトッと瓶が落ちてきた。
「…………」
 もう考えるまでもない。手に力を入れた瞬間に瓶は砕け散った。
 破片と水滴が夢の空間にキラキラと溶け、消えていく。
「ナノ〜。もう少しドラマティックにだな」
「黙れ」
 ピタリと黙る夢魔。しかしすぐに、
「これからどうするんだ? すぐに帰るのか?
 サービスで帰りの汽車を用意しても――」

「止めて下さい。もう、帰ろうと思えばいつでも帰れます。
 ただ帰るにしても最低限の後始末はしないと」

 はあ。記憶喪失の間にしでかしたアレコレを考えると頭が痛い。
「全部無かったことにしてトンズラも出来るのに」
「いや、私だって出来るなら、マジでそうしたいですよ」
 しかしあれだけ皆を振り回して、不名誉な噂立てられ、抗争まで
引き起こしておいて『実は好きな人がいるんです、はいサヨナラ』は
問屋が卸さないだろう。
「自分が蒔いた種くらいは何とかしないと……」
 どうやるのか自分でも分からないけど、責任は取りたい。
 あああ。同じ自分ながら、記憶喪失時の自分のヘタレさに歯がみする。
 まあ、記憶があっても同じ結末になった気がしないでもないけど。

 それでも同じ結論を下していた。

 どれだけ否定しても、もう自分に言い逃れは出来ない。
 ずっと分かっていた。

 私が帰る場所は、あの腕の中しかない。

 私は夢の世界のナイトメアに背を向けた。
「帰るのか?」
「帰ります」
 ダイヤの国に。
 そしてその後は。

 私のご主人様の下に。

 …………

 …………

 バンッとテーブルを叩く。
 帽子屋が入ってきた瞬間に。
「……何の真似だ? お嬢さん」
 不快そうに眉根を寄せる彼。
『ブラッド』と比べると、余裕の無い。
 ……いや比べるのは失礼だ。彼は彼で、いずれ追いつく。
「お嬢さん?」
 出会うのが後か先かの問題だった。彼もまた余所者の被害者なんだろう。

「あなたをうならせる紅茶を淹れてご覧に入れます。
 その紅茶に満足されたなら、ここから出して下さい」

 私の声に、それまでになかったものを感じ取ったのだろう。帽子屋は、
「ずいぶんと挑発的な態度に出た物だ。
 叩きつぶされる準備が出来たようだな」
「え、いやその……」
 うっ。私、やはり根はヘタレ。怖じ気づきそうになる。
 が、引く気はない。
 彼という障壁をどうにかしないと、帰るに帰れないのだ。

「要求することはただ一つ。自由に屋敷を移動することです。
 代わりに私は、次のことをお約束します。
 一、あなたがお望みのときにいつでも紅茶を淹れます。
 二、屋敷の外には出ません。二度目の測量会までは。
 三、帽子屋屋敷の紅茶作りに全面協力いたします」

 帽子屋の沈黙は長かった。
「大きく出たものだな。紅茶を少しばかり淹れられる程度の小娘が……」
「その小娘を必死で手に入れようとしたのは、どこのどなたですか?」
 上から? 偉そう? まあハッタリの一種だと思って下さいな。
 そして、しばし沈黙があった。
「二番目が気に入らんな。次の測量会までではない。永久に出るな」
「私としては最大限の譲歩です。呑んで頂けないのであれば、出て行くまで」
「出て行けるというのか」
「ええ」
 一瞬だけ、マフィアのボスから凄まじい殺気が出て、そして消えた。
「いいだろう。それなら私をうならせるという紅茶を淹れてみせろ。
 だが、それだけ言って、不味い紅茶をまた飲ませたら……」
「マズいと思えばマズい紅茶になります。いいから座っていて下さい」
 私は壁にかけてあった黒エプロンを取り、パンッとホコリをはらう。
「このわずか数時間帯のうちに何があった? さっきと完全に別人だな」
 椅子に座りながら帽子屋が言う。
 さっきまでビクビクしていた私が急に上からになったのに、
 むしろ彼は楽しそうだった。
 ……同時に、かつてない冷たい炎が瞳の中に宿っていた。
 さながら、恐れていたときがついに来てしまった、とでも言うような。
 マフィアのボスと一般市民。
 なのに、まるで対等の敵になった気分だった。

「別に何もありませんよ」
 私はすっとぼけて紅茶の缶を手に取る。
 迷いは全て消えていた。

 …………

 …………

 帽子屋屋敷の茶園の前には、人だかりが出来ていた。
「ああ、そこからそっちです。そう、ロープを張って。
 ちゃんと区画が分かるようにお願いしますね。良い感じです」
 私は自分で作成した計画書を手に、皆さんに指示を出す。
「そっちは丸ごと土を取り替えます。
 二時間帯中に終わらせますから、どうぞよろしく」
 私はニコニコと皆さんに指示を続ける。
 しかしややキツメな計画に、使用人の皆さんと双子が悲鳴を上げる。
「ええ〜、そんなの面倒くさいよ」
「今のままでいいじゃない」

 バンっ!!

 私は分厚い計画書を地面に叩きつける。笑顔で。
 周囲が静まりかえる。私はニコニコと、
「では、この計画は中止と言うことで。ボスにお伝えして参ります」
 すると周囲の皆さんがサッと青ざめた。
「ま、待って下さい。お嬢様〜」
「やります! やりますから。それだけはご勘弁を〜」
 私にすがりつく皆さん。罪悪感がうずくけど、仕方ない。
「全部こいつの言うとおりにしろ。ブラッドの命令だ」
 私の横で、渋い顔のエリオット。
「何なんだよ、ヒヨコうさぎ。あいつ変わりすぎじゃない?」
「生意気だよね。斬る? 斬っちゃう?」
「止めろ。あいつが新しい茶園の総責任者だ。仕方ねえだろう」
 そう言いつつも、エリオットもいぶかしげに私を見る。
「で、これからどうするんだ?」

 帽子屋ブランドの紅茶は、ほとんど進行しないまま一時中断していた。
 今は他から奪った紅茶でしのいでいる状態。
 でも品薄と同時に品質も悪くなる一方だから、ブラッドの機嫌も急降下する一方。
 私への冷たい態度の原因は、それもあったのかもしれない。
 美味しい紅茶を作る。それが懐柔の第一歩だ。

 私は徹夜で作成した計画書を叩き、
「茶園を最初から見直してみました。
 やはり平地で茶葉を作ることに色々問題があるんです。
 それらの条件を考慮し、土を入れ替え、最初からやり直します」
「どれくらいで終わる」
「三度目の測量会までに完成させます」
 周囲が一気にどよめいた。
「それ、ほとんど時間がねえじゃねえか!!」
「やるんですよ!!」
 計画書を叩き、怒鳴った。
「てめえ! 俺にその口の利き方は何だっ!」
 ヤバ。エリオットが激昂し、銃を取り出そうとする。
「止めろ」
「ぐはっ!!」
 いつ来ていたんだろう帽子屋だ。
 エリオットの腹を容赦なくステッキで殴ったらしい。
 うわあ、痛そう。

「……すみません。エリオット。少し焦っていました」
 起き上がったエリオットに素直に謝った。
 私はこの屋敷では、まだ使用人に等しい身分だ。帽子屋は、
「フッ。変わったのか変わっていないのか分からないお嬢さんだ。
 今、私が通りがからなければ、君は撃たれていただろうな」
 私の頭を撫でる。私の態度に彼を安堵させるものがあったんだろうか。
「君の言うとおりにさせるから、機嫌を直さないか? お嬢さん。
 一休みにお茶会はどうだ?」
「はあ」
 そう言われたら、逆らえない。
「良い子だ。他の者は残って、お嬢さんの計画書通りにしなさい」
『了解しました!』
 敬礼する部下にうなずき、帽子屋は私を手招く。
 
 屋敷に向かう丘には、爽やかな風がふいていた。
 もうすぐ二度目の測量会が始まる。
「君が元気になって良かった」
 帽子屋は笑う。
「ええと、その、心を入れ替えましてですね」
 さすがに変化がひどすぎたかと、内心冷や汗をかいた。
「好きにしなさい。美味い紅茶がいつでも飲めるなら問題はない」
 ああ、紅茶で機嫌が直っていたのか。
 相変わらず紅茶に弱い御方である。

 しかしそれは甘い観測だった。
 帽子屋は、周囲にひと気のなくなったところで立ち止まった。
 そして私を振り返り、

「そう簡単に渡すと思うなよ」

 低い声で言った。

 ……バレてるし。

「私はあなたに申し訳ないと思ったからこそ、ここにいます。
 でも帰ろうと思えばこの瞬間にも帰れます。どうぞお忘れ無く」

 彼の脅し程度では、覆りようのない優位に、私はいる。
 そのはずだ。
 なのに帽子屋は笑った。

「君は本当に飽きさせないな。
 私にいつでも新しいゲームを提供してくれる」

 そう言って、ダイヤの国のボスは笑うのだった。

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