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■帽子屋との再会・下

たかが短い期間、監禁されただけ。
紅茶を強制的に淹れさせられては、ダメ出しをされ続けただけ。
ほぼ無理やりに身体の関係を求められただけ。

たったそれだけしかされていない。大したダメージではない。

再会の瞬間は、自分なりにシミュレーションしていたつもりだった。
毅然として笑顔を浮かべ、何を言われても平然と受け流す。
冗談に絡め嫌味を言う。
私に言い負かされた相手が唖然とするという、小気味良い妄想までして。

でも人は弱い。その中でも頭も心もさらに弱い私が、


「催しで君に会えたことを嬉しく思うよ。良ければこちらに座りなさい」


顔が強ばり、頭が真っ白になる。

「最近、紅茶はたしなんでいるか?君の味が惜しまれてならない」

全身が総毛立ち、バカみたいに口をパクパクさせる。

「君が我が屋敷を出て行ったことが、残念でならないよ。
しかしずいぶんと鮮やかな手並みで――」

……動けない。

平然と話しかけられ、冗談に絡めた嫌味を言われ。
唖然とした顔をし、相手に笑われるのは、私の方だった。

帽子屋屋敷のボス、ブラッド=デュプレは自分の絶対的な優位を心得て
いるようだ。催し用の礼服に身を包み、さながら獲物をいたぶる顔で
私を楽しそうに見下ろしている。
私はというと、真っ青な顔で彼を見上げ、足をガクガクさせている。
彼は私にさらに優位を見せつけるように、こちらに近づき、
「お嬢さん。この退屈な催しが終わったら、是非とも我が屋敷のお茶会に
招かれて欲しい。改めて礼をさせてもらおう。そして――」
「あ……その……あの……」
「来なさい。君とは話し合いたいことがたくさんある」
ブラッドが、こちらに手を伸ばしてくる。
避けることが、出来ない……。
「ナノ」
名前を呼ばれ、後ろに引き戻される。
帽子屋の手が、わずかに私の手首を握り損ねた。
――っ!
瞬間、私は金縛りが解けたような気分になる。
私を引き戻してくれたのはジェリコさんだ。
ダイヤの城の主との挨拶を、早々に切り上げてくれたらしい。
私はブラッドにどうにか一礼し、震える足でジェリコさんの背中側に歩く。
本当は走って隠れたいけど、権力者がたくさんいる中で露骨な真似をすれば
ジェリコさんにご迷惑になる。
私は何とか息を整えたけど、まだ心臓がバクバクしている。
「帽子屋。ナノは出発直前まで仕事をしていて疲れているんだ。
休ませてやってくれ」
私を背後に庇いながら、ジェリコさんがキッパリと言う。
「そうか。それは実に残念だ」
ブラッドはくつくつと笑っている。
――やっぱり、皆と居るべきでした……。
どっと汗が噴き出る。
ユリウスに会いたかった。会いたくてたまらなかった。
ジェリコさんの背中で震え、顔を青ざめさせていると、
「おい、あんた。大丈夫か?」
――?
声をかけられた。ジェリコさんではない人だ。振り向くと、

――あれ?何で、あなたがここに……。

「顔色が悪い。椅子に座ったらどうだ?」
その人はぶっきらぼうに私に告げると、空いている椅子の一つを顎で指す。
――……ん?
一瞬だけ、知人に出会った気がした。
でもよく見ると、全然会ったことのない人だ。
整えた髪、ロングコートにストール、オオカミを思わせる鋭い黄の瞳。
どこかで見た気がする。でもやっぱり会ったことのない人だ。
「トカゲの言うとおりだ、ナノ。少し座って休んでくれ」
未だブラッドと対峙したままのジェリコさんが言う。
――『トカゲ』……。
オオカミではなく爬虫類だったんだ。
でもそう言われると何となくピッタリくる。
一瞬だけ、どこかで会った気がしたけどデジャヴ、既視感というやつだろう。
ああいうのは、頭が疲れてると起こるというし。
とか思いながら席に向かうと、また別の人に声をかけられた。
「あら、余所者ですの?珍しい!」
――……っ!!
その女性を見た瞬間、ほんの数秒だけ帽子屋のことを忘れた。
それくらい美しい人だった。
大輪の白い薔薇のようなまぶしさ、髪にさした清楚な百合の花。
黒いドレスですら、彼女の美しさを輝かせるばかり。
「クリスタ=スノーピジョンと申します。ダイヤの国へようこそ」
「ナノ、です……クリスタ様」
「クリスタで結構ですわ。それと後ろの黒ウサギはシドニー=ブラック。
我がダイヤの城の宰相です」
「どうも……」
ちなみに当のブラック氏は、私を、ゴミを見るような目で一瞥しただけ。
彼にも、適当に頭を下げながら席につくと、
「余所者か。本当に珍しいな」
また別の人に声をかけられた。
――んん?
トカゲという人の横の席だ。銀髪で眼帯の少年が私を見ていた。
――……銀髪?
はて。今度は『トカゲ』さんのような既視感じゃない。
かなり前、この子と似たような人に、直接どこかで会ったような……。
でもその子と挨拶を交わすより先に、
「ええ?その子、余所者!?すごい!面白そう!!」
――んんんんん?
ピョコピョコ揺れる長い尻尾にお耳。金色の目。
……デカい猫がいた。キラキラした目でこちらを見ていた。
「こんにちは。俺はチェシャ猫のボリス=エレイって言うんだ」
「ど、どうも。私は――」
「噂には聞いている。私は『駅』の領土の駅長で――」
初対面の人たちと、私なりに挨拶を交わす。
でもその間も、私の神経は、たった一人のためにビリビリと緊張している。
ジェリコさんはまだブラッドと、表面上は友好的な社交辞令を交わしている。
だけどその間に流れる空気は冷ややかだ。
――だ、大丈夫。ジェリコさんがいるんだから……。
自分に言い聞かせ、席に座して縮こまる。そんな私の耳に、
「本当なの?馬鹿ウサギ」
「あいつを捕まえて戻ったら――」
「俺はウサギじゃねえよ。ああ。ボーナスでも休暇でも、好きに――」
ヒソヒソ声だったけど、確かに聞こえた。
――私のことじゃない。私のことじゃない!
全身が震え、額に冷たい汗が浮く。
そんなはずはない。たかが紅茶を淹れるのが上手いだけの、平凡で
退屈な小娘を、マフィアのボスがわざわざ捕まえようとするはずだない。
きっと、催しに集まってきた他のターゲットの話をしているのだ。
そう自分に言い聞かせて安心しようとした。
けど、視線を感じる。控え室中の視線が、それとなく私に注がれているのを。

私は嫌でも肌で感じていた。

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