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■VS時計屋さん〜食堂の戦い

それからしばらく経った。

「うーん……」
モギリの仕事の休憩タイム。
私は食堂のテーブルで、一つのティーカップと向かい合っていた。
「うーむ……」
――飲むべきか、飲まざるべきか。
しばらく紅茶を睨んでいると、椅子を引いて座る音がした。
顔を上げると、時計屋さんがいた。私の真向かいに座っていた。
「あ……」
お互い部屋にこもりがちなため、会うのはあの夜以来だ。そう、この間の
エース探索時には、ずいぶんとご迷惑をかけてしまったものだ。
「こんにちは、時計屋さん。この間はどうも」
「ああ」
それきり沈黙。
「ええと、エースはその後お元気ですか?」
「ああ」
また沈黙。
――か、会話が……っ!!
「その、時計屋さんは珈琲を飲みに来られたんですか?」
「ああ」
さらなる沈黙。
――ご、拷問か……!
でも、おかしいな。ここまで会話が続かない人だったっけ。
いえ、それ以前に、今はお昼前で食堂の席はガラガラだ。
というか私たち以外、人の姿はない。
なのに、なぜ時計屋さんはピンポイントで私の真ん前に座ったのだろう。
そして、自分で座ったくせに、時計屋さんは気まずそうに珈琲を飲む。
「……ん?」
カップから顔を離した時計屋さんが、不思議そうな表情になった。
視線の先には私のティーカップ。
カップには鮮やかな赤の紅茶が入っている。
だが、中身が全く減っていない。
帽子屋領にまで名が響き渡る、墓守領の紅茶狂余所者ナノ。
そんな彼女の前にある、たった一つのティーカップ。
その紅茶が、全く減っていない。そんなことがあるのだろうか。
「どうした?まさか断酒ならぬ断紅茶か?」
――ふむ……。
聞かれた私はチラッと時計屋さんを見上げ、両手を組むと静かな声で言う。

「そうなんですよ。というわけで時計屋さん。
このごく普通の紅茶。よろしければ飲んでみませんか?」

珈琲を飲みかけていた時計屋さんがピタリと止まる。
「…………」
一瞬制止し、こちらを見た後、改めて珈琲を口に含む。
一秒にも満たない間、私たちの間には不気味な沈黙が流れた。
やがてゴクッと珈琲を飲み込んだ時計屋さん。
珈琲カップをテーブルに置くと、カップから手を離し、
「私は、紅茶を飲む習慣がない。この珈琲で十分だ」
瞬間、私は珈琲カップを奪い、一気に飲み干した。
「――っ!!」
数秒後、コトンと空になった珈琲カップがテーブルに置かれる。
「…………」
時計屋さんは怒りと困惑の色を目に浮かべ、
「お、おい、おまえ!その珈琲は私の――」
「ああ、申し訳ありません。カップを間違えました。
お詫びに私の紅茶をどうぞ」
時計屋さんの前に、すましてティーカップを押し出す。時計屋さんは、
「……なぜ私に、そこまで紅茶を勧める」
「ええと……あ、そうだ。紅茶仲間を増やしたいからです!」
「取って付けたような言い方をするな!この紅茶は本当に安全なのか?」
「……理論上は」
「はあ?」
時計屋さんは椅子を蹴って立ち去ろうかどうか、決めかねている顔だった。
休憩前の食堂は静かだ。周囲に人はない。
カウンター向こうの料理人さんたちは、何も聞こえません見えませんという
顔で、作業を続けている。
「さあ、どうぞ」
私は再度、紅茶をすすめる。
「その……私は……」
「さあ!」
「いや、その……」
時計屋さんの顔に、怯えに似た表情が走った。
さらに押す。そこに、明るい声が響いた。
「あー!ユリウス!ナノ!!」

時計屋さんの被保護者エース。
珍しく自力で墓守領に戻ってきたらしい。
ユリウスを見つけ、顔を輝かせ、大喜びで走ってくる。
「ユリウスー!お腹すいたんだ。何かおごってくれよ!」
「エース!よせ、来るな!!ここは危険だ!」
保護者の本能か時計屋さんが叫んだ。しかしエースは、
「えー、どうしたんだよ。ああ、喉も渇いたなあ。
あ、ナノ!その紅茶、ちょっともらうぜ」
と、止める間もなくティーカップを取ると一気に煽り――。

…………

…………

「つまり、あの紅茶はおまえの完全自家製だったと」
私を床に正座させ、その前で腕を組み仁王立ちする時計屋さんは、鬼の
ごとき形相だった。
「え、ええ。そうなんです。でも、そもそもベランダで育てた茶樹な上、
およそ茶葉に適さない室温と湿度で作ったもので、味に自信がなくて」
「それで、毒味役を探していたと!」
「いえ、最初は自分で飲もうと思っていたのですが、つい……」
「『つい』で、人を毒味役に?」
「その……お詫びの言葉も……」
プルプルと恐怖で身体を震わせ、私は言う。
「だ、大丈夫だよ、ユリウス。もうお腹も痛くなくなったし……」
ベッドの上から、恐る恐るといった様子でエースが顔をのぞかせるけど、
「おまえは寝ていろ!」
時計屋さんに怒鳴られ、その剣幕に慌てて顔を引っ込める。
うーむ。不味いだろうとは思ってたけど人的被害が出たのは、予想外だった。
やはり、帽子屋屋敷の設備とは比べものにならない。
自力で紅茶を作るのはあきらめた方が良さそうだ。
でも、さすがに謝るのが先か。エースにも本当に悪いことをした。
「本当にすみませんでした、エース、時計屋さん。
まさかあそこまで不味いとは、自分でも思っていませんでした」
正座の姿勢のまま上体下げまして土下座。
「お詫びに何でもいたします。何なりとお申し付け下さい」
すると時計屋さん、少し怒りを和らげた声で、
「いや、何でもと言われても……私も珈琲を飲まれただけだし、エースに
ちゃんと謝って、二度と同じことをしないと約束してくれれば……」
ブツブツ言いかけ、言葉を止める。

「おまえ……珈琲は嫌いだと、以前に言っていなかったか?」

……あ。

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