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■一流の職人・上

記憶喪失でダイヤの国に来た余所者ナノ。
私は紅茶を淹れるのが、人より少し上手かったらしい。
それがウワサを呼び、帽子屋領のマフィアのボスに捕らえられた。
でも部下になることを強要され、だんだん紅茶を淹れるのが嫌になった。
そうしたら、それを怒られ、嫌がらせされるので、ますます嫌になった。
今や、紅茶の匂いを嗅ぐのも嫌という一歩手前だ。
そんな状態で、私は墓守領に戻ってきた。

…………

この世界に時間はないけど、それでも元の世界の時間に換算したら、
数日くらいは寝ていただろうか。
私は肩に包帯を巻いた状態で、どうにかベッドを離れることが出来た。
で、お世話になった人たちにお礼を言いに行くことにした。
帽子屋領であった辛いことは、あまり考えないようにして。

墓守領の共用スペースを歩いていると、色んな人に声をかけられる。
「おかえり、ナノ」
「肩の怪我は痛くないか?嬢ちゃん」
「何かあったら言ってくれよ。よく敵対領土で頑張ったな」
かけられるのは優しい言葉。あれだけ迷惑をかけたというのに。
私も頭を下げて回る。けど、私の耳に痛い言葉も届く。
「傷が治ったら、あなたの紅茶を飲みたいわ。美味しいんですってね」
「紅茶マニアの帽子屋が、あんたの紅茶に惚れ込んだんだって?
うちでもカフェを開いたらどうだ?」
「なあ、金払うから、怪我が治ったら一度飲ませてくれよ」
本当は紅茶のことを考えたくも無い。
でも向こうは、私を慰めようとしてくれている。
だからあいまいな笑みを浮かべ、やり過ごした。
さっさとジェリコさんに挨拶をして引っ込みたかった。
が、美術館にもエントランスにもジェリコさんの姿は無い。挙げ句、
「ああ、頭(かしら)なら、抗争に出かけたぜ」
構成員のお兄さんにアッサリ言われ、ガクッと肩を落とす。
て、怪我してたんだっけ。いたた。
「何か大事な話でもあるのか?」
構成員のお兄さんが心配そうに聞いてくれた。
「あ、いえ、別に……」
適当なスマイルを浮かべ、去ろうとすると、
「あ、でもユリウスさんなら部屋にいると思うぜ」
「!」
私は立ち止まった。
そうだ……時計屋さんにも助けてもらったんだから、お礼を言わないと。

…………

…………

一人、時計屋さんの部屋に向かいながら考える。
売店で購入した、お礼の珈琲豆を腕に抱えて。
これから、どうすればいいんだろう。
事情が事情だし、紅茶を淹れられないと説明すれば、皆納得してくれるだろう。
働き口さえお世話をしていただければ、何とか生きられる。
あとは墓守領にこもり、次の引っ越しを待てばいい。
――でも、それでいいんでしょうか……。
自分の中のどこかに、悔しさがある。
ブラッドに見下され、このまま終わっていいんだろうか。
それに、この国に来てから、常に私には『紅茶』という目標があった。
それを失って……何て言うか、ガクッと気力が落ちた感じ。
とはいえ部屋の紅茶グッズを見ても、墓守領にいたとき書いた紅茶ノートを
見ても、落ち込むだけ。
独房に入ってからの紅茶の味は、自分でもひどかったと思う。
マニュアルに沿って淹れても、全否定された。
――ブラッドには、ずいぶん嫌なことをされたし。
誰にも話していないし話せないけど、ときどきうなされる。
情熱を失った私は、もう三流以下の紅茶職人なんだろうか。

――職人、か。

ため息をつくうちに、時計屋さんの部屋の前に来ていた。
中は静かでエースがいる気配は無い。
……ちなみにエースは危険な行為を色んな人から散々お説教され、
すっかりムクれて、どこかに行ってしまったという。
まあ領土の外には出てないらしいけど。
――うう、時計屋さんに一人で会うと思うと、緊張します。
でも、思い切ってノックをした。
返事はなかった。
「あの、ナノです、入っていいでしょうか?」
声をかけるけど、やはり返事はない。
そこで思い切ってギィッと扉を開けた。


時計屋さんは、時計の修理中だった。
「あの、時計屋さん……」
声をかけると『ん?』と顔を上げる。
でも立ち上がるわけでも無く、休まず修理を続けている。
仕方なく、私はそばに行き、深々と頭を下げる。
「え、ええと。その節は本当にありがとうございました」
「ああ」
聞いているのか聞いていないのか。
「あ、あ、あの、これ、お礼の珈琲豆で……」
「ああ」
こちらを見もせずに言う。
「……えと、テーブルに置いておきますね」
「ああ」
「…………」
ヤバイ。会話が続かないです。こういうお人だったっけ。
「あ、あの、それじゃ、私、これで……本当にどうも……」
「ああ」
……冷たい汗がこぼれる。本当に聞いているのだろうか。
何て愛想の無い人だ。
時計屋さんは、やはりこちらを見もせずに、時計を修理している。
――……っ!
その手元を見て、私は目を見開いた。
――なんて、きれい……。
時計の部品が。時計屋さんの手つきが。
魔法のように美しい部品、そして修理だった。
初めて見る時計修理に、私はすっかり目を奪われてしまった。


…………

…………

「……!?お、おまえ、まだいたのか!?」
ギョッとしたように言われ、私は我に返った。
「え……?」
ハッとした。目の前では時計屋さんが驚いたように私を見ていた。
気のせいか、ちょっと怯えてるような。
そして部屋が暗いことに気づく。窓の外は夜の時間帯だった。
まあ、暗い部屋の中、真横に人が立ってたら怖いわな。
「え?あ、すみません!見とれちゃって……」
顔を赤くして応える。うん。時計がこんなにきれいだとは思わなかった。
「見とれる?変な女だな。時計修理のどこが面白いんだ」
「いえ、職人のワザというか手つきがですね……」
「そ、そうか」
時計屋さんは無愛想に言うと、落ちつき無く椅子から立ち上がる。
――『職人』。
トテトテと後に続きながら私は聞く。
「あの、時計屋さんは、時計職人なんですよね」
「他の何に見える。この世界で時計を修理するのは時計屋だけだ」
時計屋さんは棚からカップを二つ出し、私があげた珈琲豆を取った。
そして棚からティーバッグも出す。
――…………。
「安物の紅茶だ。おまえの味に比べたら不味いだろうが、我慢しろ」
「どうも……」
肩に包帯を巻いた私は、もう一度時計屋さんの作業台を見る。
修理を待つ時計、修理された時計が見える。
技術、速度、仕上がり、どれを見てもウットリするくらい完璧だった。
あれこそ一流の時計職人というやつだろう。
「見られては落ち着かない。礼は十分だから、帰って休んでくれ」
ティーバッグに湯を注ぎながら、時計屋さんが言う。
けど私は無視して聞いていた。

「時計屋さん、一流の職人って、どうしたらなれますか?」
「……はあ?」

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