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■無気力な紅茶

最近、何だか色んなことを忘れている気がする。
――て、まあ、元から忘れっぽいですけどね。
記憶喪失も何度目か分からないし。

……私はナノ。ごくごく普通の通行人A的、平凡かつ善良な少女。
記憶喪失の状態でダイヤの国に来て、しばらくは墓守領というところで
のんびりやっていました。
ですが、墓守領の敵対領土たる帽子屋ファミリーに囚われました。
……そこで私は、やってはいけないことをしてしまいます。
紅茶好きのボスの前で自分の紅茶の腕をご披露したのです。
ダメダメな私にあった、唯一のスキルでしたので。
……で、紅茶狂のボスに部下になることを強要され、当然断りました。
そして牢獄とも言える、狭い部屋に閉じ込められたのです。
とはいえ、私の紅茶スキルは未熟で、精神状態に激しく左右されます。
強要され、閉じ込められ、紅茶へのモチベガタ落ち。
そんな私に立腹したボスは、××な嫌がらせをするわけです。

はい、回想終了。
上手く立ち回りたくとも出来ない、ダメダメな私でした。


…………


ベッドに座り込み、窓の外を眺める。
あまりぼんやりと月を眺めていたせいだろうか。
裸の肩に何かをかけられ、やっと我に返った。
「風邪を引く、お嬢さん」
振り向くと、ブラッドが立っていた。すでに服を整え、退出準備完了らしい。
彼が私の肩に上着をかけてくれたようだった。
「…………どうも」
前を隠すように上着のすそをたぐり寄せ、小さく呟いた。
「風邪を引かれては、紅茶の味に支障が出かねないからな」
「そう、ですか」
ボスの声は冷たい。多分私の声も。
「…………」
狭い部屋の、数少ない家具たるテーブルを見る。
そこには個人が望みうる範囲を超えた量と質の、紅茶器具が用意してあった。
この世界は、抗争沙汰で紅茶が貴重品だ。
惜しげもなく用意されたそれを、私はどれだけ無駄にしただろう。
もちろん今回も台無しにして、制裁を食らった後だ。
ボスもいい加減、飽きないのだろうか。
紅茶を淹れられなくなった小娘を構うことに。
「ナノ」
ボーッとした私の額に、ボスが何かをつきつける。
この世界では子供でも持っていて、記憶の彼方の私の国には珍しい。
銃だ。

「君一人のため、これ以上、紅茶を無駄にする気は無い」
あ、やっぱり飽きた?
「…………」
私はボーッとボスを見返す。
恐怖も何も感じない……というのは大嘘で、へたれな私は自分で招いた
状況にも激しい恐怖を抱く。ただ表には出さないけど。
イヤだなあ、怖いなあ。マフィアのボスはすぐこれだもの。
『終わった』ら魂はどこに行くんだろう、『身体』は葬ってくれるかな、
墓守領に放り投げられたらヤダなあ。せめて服くらいは着せてほしい。
――墓守領……。
短い間だけお世話になった変な領土。
これだけ迎えに来てくれないということは、見捨てられたんだろう。
向こうもマフィアだもの。仕方ない。
あれ?そういえば……。
「私がここに来て、どれだけ時間が経ちました?」
「人生最後になるかもしれない質問がそれとは、相変わらずのんびり
したお嬢さんだ」
銃をつきつけながら、ブラッドが呆れたように言う。
「もちろん、君も知ってのとおり、ここでは時間など意味がない。
進みもすれば戻りもする。君がここに来て長い歳月が経ったとも言えるし
一秒も進んでいないとも言える」
そして私を見る。憎しみにも似た表情で。
ここに閉じ込められ、どれだけこの顔で見られ、蔑まれ、××されたか。
――この人は誰なんでしょう。

手をのばす。
ブラッドの頬に触れる。
「……!!」
彼の目が少しだけ見開かれる。
感情を隠しきれず、驚いている。
――『彼』なら、そんなことはなかったのになあ。

『どうした?お嬢さん。私ともう一戦交える気にでもなったか?』
いやいや、私の突拍子もない行動はいつものことだから。
『彼』が驚くこともよくあった気がする。
ただ、『彼』の方が完璧に装っていた。
動揺から立ち直る早さと皮肉。
私に本心をさらけ出すことは滅多になかった。
――て、『彼』って誰ですか。
記憶喪失に加え、妄想癖まで出たなら要通院レベルだ。
私はチラッと床を見る。
床に脱ぎ捨てられた私の衣服があった。
そこに、砂時計が見える。
――思い出せない。

私はブラッドの銃を無視して動いた。
「……っ」
一瞬だけ緊張したけど、結局銃が火を噴くことはなかった。
「次から次に……」
不快さを隠しもせず、でも銃をしまう。
その間に、私は軽く身体を清め、手早く服を身につけ始めた。
立ち上がり、素足のままテーブルに向かう。
そしてブラッドに言う。冷たく、
「紅茶の練習をしますから、出て行って頂けますか?」
「…………」
素人にも伝わる強烈な憎悪。撃たれるか、殴られるかと思った。
でもブラッドはどちらもしなかった。

「……ナノ」
私を抱きしめた。ただ強く。
背後から抱きしめられているから、表情は見えない。ただ、声は……。
「すぐには前の味になりませんよ。ちょっと待って下さい」
と、紅茶の缶を取ろうとし、
「――っ!!」
倒れた紅茶の缶から、貴重な茶葉がこぼれる。
ああああ!茶葉は酸化に弱いのにっ!!
だけど拾う間もなく、ブラッドの方を向かされ、キスをされた。
「ブラッド!!」
唇を押しつけられ、舌を弄ばれる。
「……っ!!」
身体を押しやろうとするけど、元々の体力差に加え、情事の後。
やがて先に疲れてしまい、身体の力を抜いた。
「……分かるか、ナノ」
何が?
大人しくなった私に、ようやくブラッドは力を少し緩め、耳元で囁く。
「いかに私が憎しみに狂っているか。君が泣き叫んで嫌がるだろう、
あらゆることを強要し、廃人にしてしまいたいか」
「その憎しみを、他の紅茶職人捜しや育成に使用した方が……」
皮肉ではなく本気で言ってみる。
「…………生意気な女だ」
身体がフワッと浮いたかと思うと、ドンッと、どこかに突き飛ばされた。
私を受け止めたのはベッドだった。
「ブラッド、紅茶は……!」
私を押し倒し、服に手をかけるブラッドに言う。
「愚かな君に制裁を課す方が先だ」
「こ、言葉の暴力ってご存じですか?」
「効率的なしつけという意味だろう?」
抵抗する私を無視し、服の中に……手を……んっ……。
「紅茶、淹れてあげませんよ?」
「反抗的な姿勢は、解放を先延ばしにするだけだ」
「解放……この領土から、出して頂けるんですか?」
ちょっとだけ期待したような声が出た。
「私の気が向けばな」
それ、無期限延期と同義では……。
呆れて目を閉じると、唇に温かい感触。
目を閉じれば、それがなぜか優しく懐かしいものに感じる。

――思い出せない。

でも、思い出さないことも必要かもしれない。生きるために。
服を脱がされながら、私は終わった後に淹れる紅茶のブレンドを、
ぼんやりと考えていた。

あんまり楽しい作業じゃなかった。

5/5

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