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■虜囚・中

簡素なベッドに伏せ、ずっと動かないでいる。
目は冴えていて、眠れない。
そっと顔を出すと、鉄格子の外に冷たい月が見えた。
吹き込む風は寒く、物音はない。
テーブルの上には、空になったキャンディポットが一つ。
私はまた布団の中にもぐりこんだ。でも眠れない。
話す人もいない。
人の気配はある。扉の外に、見張りの使用人さんだ。
だけど彼らは知らない人だ。なじみのメイドさんたちはいない。
帽子屋領のボスが、見張りを替えたためだ。
私があまりにしつこく、逃亡の交渉をしたせいかもしれない。
新しい見張りの人たちは、命令されているのか、あまり話し相手になってくれない。
なじみのメイドさんたちは会いに来てくれない。
屋敷の外に配置換えされ、向こうで元気にやっていると聞いた。
墓守領の人たちは、まだ迎えに来てくれない。
鉄格子の向こうにいくら目をこらしても、誰もいない。
一度だけ、ピンクの影を遠目に見た気がする。けど、それっきり。
人と会話すること自体が減った。
見捨てられたような気がして、ベッドで寝ていることが増えた。

――おかしい、ですよね。
うっかり帽子屋屋敷に迷い込んで、半ば強引に紅茶作りに参加して。
自分なりに頑張って、皆で紅茶を作って、お茶会で出して。
つい最近まで皆とワイワイ、楽しくやっていた気がする。
それから、カフェインの摂りすぎで体調を悪くして、ここに入れられた。
もうカフェインはとっくに抜けたのに、出してもらえない。
何でだったっけ……。

そして、扉の向こうで使用人さんの声がする。
『ボス!』
――っ!!
ビクッと、ベッドの中の身体が震えた。
「少し外せ。彼女に話がある」
聞きたくない声が聞こえた。そして扉の向こうで、使用人さんが去る気配。
錠を開ける音がし、扉がゆっくりと開いた。
私はさらにベッドの中で、身体を丸くした。
誰かが中に入り、再び錠を閉める音。
私がさらにうずくまっていると、こちらに近づく靴音が聞こえた。
「こんばんは、お嬢さん。こんな良い月夜に就寝とは、変わった子だ」
「……夜に眠るのは当たり前でしょう」
布団にくるまったまま答える。
口をきくのも嫌だと思う一方、そんな相手でもいいから話したいくらいに、
私は会話に飢えていた。
「昼間はダルい。それと会話をするときは目を合わせるものだ、お嬢さん」
――目だけで人を威圧する方が何を仰いますか。
そう思いつつ、渋々、寝たまま顔を出す。
「調子はどうだ?」
月明かりに見える碧のまなざし。
わざとらしく帽子を取り、挨拶してくる……ブラッド。
「調子は良いです。墓守領との交渉は、まだ終わらないんですか?」
「君は会うとそればかりだな。いつも言っているだろう。交渉中だと」
本当なんだろうか。交渉決裂した、あるいは何らかの合意を得たけど、
引き渡しを引き延ばしているのでは?と思えてくる。
私はベッドから起き上がり、床に足を下ろして、相手を睨んだ。
「外に出してください。もう体調は万全です。紅茶も少し控えますから」
「だが君は諜報員だ。諜報員を監視目的で幽閉し、何か不都合でも?」
「いえ、諜報員は冗談ですよ。あなただってそれは……」
「墓守領の住人であることは確かだ。監視する意味はある」
面白がって野放しにしていた人が、今さら何を言うんだろう。
「いくら嫌がらせをしたって、私は帽子屋領には……!」
言葉を続けようとしたけど、ブラッドがこちらに手を伸ばしてきた。
言葉を止め、反射的に身を引くと、
「ナノ」
「!!」
まただ。この人に名を呼ばれると、なぜかいつも動けなくなる。
ブラッドも笑う。そして静かに言った。
「ボタンを外しなさい」
「は?」
思わず聞き返すと、
「上の服のボタンを全て外しなさい。もちろん、私の服ではなく、君の」
「す、するわけないでしょう!?」
怒って怒鳴る。けど、
「ナノ」
「…………」
心臓が鳴る。なぜだろう。明かりもない暗い独房のせいだろうか。
内側から、凍りつくように息苦しい何かがこみ上げる。
――落ち着け……落ち着け……。
私には価値がある。自分ではまだまだと思うけど、紅茶の腕が。
返すに惜しいと、領土にとどめられる程度には。それに墓守領の人間だ。
本当のところはわからないけど、私の引き渡しをめぐって交渉中でもある。
私が逆らったって、あまり乱暴な真似は出来ない。
そうだ。私が毅然としていれば……。
「ナノ。命令だ」
――…………。
自分の中で保とうとしたものが、砂のように崩れていく。
気がつくと、自分の襟元に手を伸ばしていた。

一つボタンを外すと、冷たい夜風の欠片がしのびこむ。
二つ目。指が震えて上手く外せない。三つ目。自分の息が荒い。
身体が冷たくて仕方ない。
ブラッドは何も言わず、私を見ている。
やっと一番下まで外したとき、泣きそうな自分を抑えるので必死だった。
せめてもの抵抗に、両手で服の前をたぐり寄せ、うつむく。
「……っ!」
だけどブラッドが手を伸ばし、私の手をどかせた。
そしてそっと服をはだける。
だけど手をはらうことも頬をひっぱたく気力もない。
私はただ、子供のように震えているだけだ。
「……や、やめて……っ!」
彼の手が胸の肌着に触れたとき、さすがに声が出た。
ブラッドは知人と言える程度には知り合いだと思う。
けどこんなことをされる仲ではない。されたくもない。
「抵抗するな。ナノ」
まただ。本当にまた、抵抗できなくなる。身体から力が抜けた。
ブラッドは私の耳元でふっと笑う。
「君は、度し難いようでいて可愛らしいな。
名前さえ呼べば、何でも言うことを聞いてくれる」
先端を布越しに弄りながら嘲笑した。

いつからだろう。彼の嫌がらせに、少しずつ抵抗できなくなっている。
名前だ。名前を呼ばれると身体がすくみ、なぜか従ってしまう。
でもどうしてなのか、自分でも分からない。

「ナノ……」

ブラッドが嫌がらせをしながら、私に唇を重ねる。
夜の時間帯は、まだ終わってくれない。

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