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■独房にて・下

ベッドにくるまる私を、帽子屋さんはなおも口説く。
「君の才能があれば、またアレと同等、いや、それ以上の紅茶を淹れられる。
紅茶の缶一つくらい惜しむことはない」
帽子屋さんは、まだ私を褒めてくれる。でも全然嬉しくない。
「才能なんかないですよ……」
紅茶缶はあきらめ、布団の上から撫でる気配に、小さく言った。
「あるとも。帽子屋領に移りなさい、お嬢さん。幹部待遇を約束しよう」
「お・こ・と・わ・り・で・す!」
節つけて強調してやった。すると布団を撫でながらため息をつく気配。
「やれやれ。招き方が乱暴だったとは言え、嫌われたものだ。
いったい、帽子屋ファミリーの何が、そこまで嫌なんだ?」
そんなことは決まっている。
私は再度布団から起き上がり、帽子屋さんを睨みつける。
「マフィアだから!マフィアは嫌いなんですよ!」
すると帽子屋さんは、演技では無く不思議そうに、
「墓守領もマフィアだが」
「あ……!」
え、えーと……。
――あれ?よく考えると、ここも悪くないんじゃ?
紅茶は山ほどあるし、紅茶通として、ちょっと良い感じに扱ってくれる。好きな
ことをしてるだけで褒められ、要領が悪いとか仕事が遅いとか注意する人もいない。
墓守領にはお世話になったけど、そんなに長い期間、居たわけでもない。
ここで紅茶を研究するのも悪くないかも……。
――いえいえいえ、駄目です!そんな選択はありえません!!
私は帽子屋さんを見る。
端整な顔。私を見る楽しそうな顔。そして、ほんの少しだけダルそうな声。
それがなぜだか、とてつもなく……

「大嫌いです。あなたが」

激怒されると思った。最悪、撃たれるかもと。
「なるほど」
でも帽子屋さんの反応は『普通』だった。まるで、予想していたと言わんばかりに。
「え……」
と拍子抜けしていると、
「っ!!」
椅子に座ったまま、帽子屋さんが私の腕をグイッと、乱暴に引っ張った。
さっき、私に『寝ていなさい』と気遣った人が。
「な、何ですか?怒ったんですか?マフィアのボスって気が狭いんですね!」
腕を引っ張られ、やけに近い場所に帽子屋さんの顔がある。思わず目をそらすと、
「こちらを見なさい。ナノ」
低い声に言われ、背筋がビクッとする。
嫌々、顔を上げ、帽子屋さんを見ると、やや柔和な目があった。
「あのときの紅茶は本当に美味しかったよ。
他の紅茶も全て合格だ。君が直前まで手をかけ、努力してくれたと皆から聞いた」
「私じゃないですよ。使用人さんメイドさんたちが、あなたの期待に応えようと、
ギリギリまで努力された成果です。帽子屋さん」
「『ブラッド』だ」
「は?」
「私のことは『ブラッド』と呼びなさい」
やけに威圧的に言われ、ムッとして、
「はあ?いきなり何ですか。呼び方なんて、どうだっていいでしょう?」

「ナノ」

「――っ!」
低く呼ばれ、また身がすくむ。
そして、ここは敵対領土なのだと思い出す。
帽子屋領の中。鉄格子の窓、鍵の付いた扉。使用人さんメイドさんたちは、私が
泣き叫んだとしても、ボスが関わっているのなら助けには来ない。

「命令だ。私のことは『ブラッド』と呼びなさい……ナノ」

「…………」
何かふざけたことを言って話をそらそうとした。あるいは断固として拒否を貫くか。
でもどちらも出来なかった。
「ナノ」
その代わり、長いようで短い沈黙の末、私は口を開く。かすれるような声で、

「………………ブラッ、ド」

「いい子だ」
ブラッドは満足そうにうっすらと微笑む。
そして私の手を放さないまま、顔を近づけ、頬に手を当てる。
「……っ!!」

そして、ブラッドは私に唇を重ねた。

「ん……!んん……っ!」
首を振って拒もうとした。でも思いのほか力が強く、振り払えない。
何でこうされなければいけないのか、全く分からない。
そして、わずかに開いた唇から熱い舌が入り込み……
「……?」
――甘い……?
意外な感覚に、思わず抵抗が止まる。
そうすると、ブラッドもスッと私から離れた。
私はブラッドに口移しで入れられたものを、口の中で吟味し、
――……アメ?
「分かったようだな。紅茶のキャンディだ」
ブラッドは笑って椅子から立ち上がり、懐から何か取り出した。
どうやって入れていたのか。キャンディのいっぱい入ったガラス製のポットだ。
彼はそれをテーブルに置き、
「わずかにカフェインを含有している。だから我慢が出来なくなったとき、軽く
何粒か舐めれば、少しは楽になるだろう」
「そ、それはどうも。でもさっきみたいな悪ふざけは止めてくださいよ」
キャンディを舌で転がしながら、真っ赤になって言うと、
「悪ふざけ、か……。私の機嫌は取っておいた方が得だぞ?お嬢さん」
また脅すようなことを言うブラッドに、
「今さら何なんですか。何で敵に媚びを売らなければいけないんです!」
「極上の紅茶や探求心に免じて、今までの無礼は許してあげよう。
だが、以後はもう少し行動を慎むことだ……私が、耐えられなくなる」
「……っ」
何が言いたいのか意味不明だ。
でも、ブラッドに見下ろされ、恐怖で全身が凍りつく。
分からない。自分でも分からない。『たかが』マフィアのボスだ。
ジェリコさんの領土の方が格上だし、私には紅茶という強みもある。
でも呼吸が荒くなる。脈拍が高まるのに、体温は逆に下がっていく。

どうして……なぜ、私に何かしたわけではない相手がここまで『怖い』のか。

気がつくと私は、全身に冷や汗をかき、自分で自分の身体を抱きしめていた。
そんな私にブラッドはかがんで顔を近づけ、耳元でささやく。
唇が耳たぶにつきそうな近さで。
「だが、いい子にしていたら、ごほうびをあげよう。今のように……」
「っ……!」
舌で耳をザラリと舐められ、全身が総毛立った。
「や、止めて……止めてください……」
声を震わせ、それだけ言う。
「そうした方が良さそうだな」
ブラッドはフッと私から離れた。そして机の上に置いたノートを持ち、
「君のノートはもう少し貸してもらう。じっくり読んでみたいからね」
そして返事も聞かず、悠々と部屋の扉に向かい、開ける。
バタンと無情に閉まる扉。そして鍵をかける音。
ボスの気配が遠ざかると、メイドさんたちの気配が扉の前に戻ってきた。
あとには静けさが残る。
いや、ちょっとだけ小さな音。
「ナノさん〜?」
「大丈夫ですか〜?」
心配そうなメイドさんたちの声がする。
でも私は返事をせず、布団の中にうずくまった。
「嫌い……帽子屋さん。あなたなんか、大嫌いです……」
声の届かない場所にいる相手に、拒絶の言葉を吐く。
そして肩を震わせ、枕にすがって泣きじゃくった。
なぜここまで悔しいのか、よく分からないままに。

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