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■ダイヤの国のお茶会・下

紅茶を淹れる。
特別なことは何もしない。普通に淹れる。
背筋は伸ばし、顔を引き締め、全身で紅茶に向かい合う。

他のものは何も見えない。何の音もしない。
私の中から紅茶以外のものが消えてしまう。
全てが流れるように動いていく。

ヤカンにお湯。理想は96〜98度。温めたティーポット。
茶葉の量。スプーンの重さで分かる。
ティーポットをヤカンに近づける。ほどよく酸素が混じる高さ。注ぐ。
私が選んだティーポット。ガラス製。注いだお湯で、茶葉がフワリと舞う。
紅く、ほの暗い世界を、茶葉が踊るように動いていく。
茶葉の対流。ジャンピング運動。
私はそれを眺める。ここには時を測る道具がないから。
全神経を、馬鹿みたいに集中させる。

一番良い時を、決して逃がさない。

――ここだ。

フッと身体が動いた。
温めたティーカップにティーストレーナーを置き、ポットを軽く揺らしながら注ぐ。
鮮やかな紅茶が注がれていく。

早摘みのフラワリー・オレンジ・ペコーの中でも特に良質の茶葉を中心に、五感を
フルに使って厳しく選び、独自にブレンドしたダージリン。
名付けて『ダージリンナノ』。
色は深く澄んだ淡い赤。
混じりのないマスカテルの芳香は最高品質。
今のところ予想通りの紅茶になっている。

空は青、風はそよかぜ。余計な音はしない。後は紅茶をお出しするだけ。
そうそう。淹れた後に、紅茶を美味しくするコツがある。
私は紅茶と受け皿を持ち、紅茶を飲む人に向き合う。
そして、最高の笑顔を作る。

「どうぞ」

微笑みかけ、静かな動作で、飲む人の前に紅茶を置いた。
笑顔。ブスッとした顔で紅茶を出されたって、美味しいとは思えないもんね。

「…………」
このあたりで過度な集中から解き放たれ、雑音や周囲の風景が入ってくる。
――えーと……何をしてたんでしたっけ?
あ、そうだ。帽子屋さんに紅茶を淹れてたんだ。よく覚えてないですが。
――うーむ。また『飛んで』ましたかねえ。
無心に紅茶を淹れていると、たまーに吹っ飛ぶことがあるのです。
ん?何か皆さん、何も言葉を発さず、驚いたように私を見てるんだけど……。
――な、何ですか!言いたいことがあったら言って下さいよ!泣くけど!
てか、だんだん気分が悪くなってきた……忘れてたけど、絶不調だったっけ。
立ってるのもキツイけど、飲み終わるまでは待ってないとですなあ。
とりあえず、小さくフーッと息を吐いて、感想を聞くべく、帽子屋さんを見た。

「…………」
驚いたことに、帽子屋さんは紅茶では無く、私を見ていた。
何かとんでもないものを見たみたいに。呆気に取られた顔で。

「え?」
皆さん、相変わらず私を見ているし、
「あの。何か失礼なことでも?」
「あ、いや……」
帽子屋さんは私の視線に気づくと、口に手をあて、ゴホンと咳払いをした。
「ん、その、噂には聞いていたが……手慣れているようだな。
それに、あの瞬間に、まるで別人になったように凛として……今の笑顔も……」
『あの瞬間』?『凛として』?何すか、それは。帽子屋さんにしては歯切れが悪いし。
何が何やらだけど、聞き返すのも面倒くさいほど、体調が悪い。
「では、いただこうか」
帽子屋さんがティーカップを取り、ゆっくりと紅茶を飲む。
私は何とか立ったまま、それを眺めた。
どれだけ見た目が良かろうと、味が駄目ならそこで全てが終わり。
帽子屋さんも目を閉じ、味にだけ集中しているみたいだ。
私はゆっくりと、帽子屋さんの喉が動くのを見る。
…………。
帽子屋さんがティーカップから顔を上げた。
ドクンと、私の心臓が鳴る。

「……見事だ」

帽子屋さんの目には、満足げな色があった。

「みずみずしいマスカテル・フレーバーと風雅な渋み。
それらが見事に調和しているな。
こんな素晴らしい紅茶には、久しく巡り会っていない。最高の一杯だ」
――うーむ……。
使用人さん、メイドさん、皆で頑張って改良した紅茶だ。味が良いのは良かった。
問題は私のブレンドだ。渋みかあ。渋みが強かったかなあ。
もうちょい柔らかめに配合したつもりだったんだけど。やっぱり体調がおかしく
なってたんですかね。まあ、私だけで飲むからいいや。
「これなら、市場に出して恥じない味だ。よくやった」
帽子屋さんは満足そうに、皆さんに言ってますが、
「あ……いえ、それ出さないですよ。私のですから」
慌てて、『ダージリンナノ』の缶を懐に抱え込み、言った。
すると帽子屋さんは眉をひそめながら、空のティーカップを置き、
「どういうことだ?」
私はポットを持って近づき、そのティーカップに、二杯目を淹れながら言う。
「間違って試飲の紅茶に混じっちゃっただけなんです。
本当は、私が自分用にブレンドした紅茶なんですよ」
「君のブレンド……!?」
ゴールデン・ドロップが紅茶にきれいな波紋を描く。
「ええと……ですから、私の……です」
しかし、ギリギリまで頑張ってたけど、本当に気分が悪い。
紅茶を淹れたら、気が緩んで……何だか……倒れ……。

――それに、どうして、こんなに心がヒリヒリするんでしょうか?

「ナノっ!!」

瞬間、ぐらりと視界が揺れ、全てが真っ暗になった。
二杯目はどういう味になっただろうか。
皆さんで作った紅茶の評価はどうなんだろうか。
それだけが気がかりだった。

…………

…………

お医者様の診断は、実にシンプルでした。

「カフェインの取りすぎです。しばらく紅茶を控えて下さい」

「いーやーぁーっ!!」
私の悲痛な絶叫が帽子屋屋敷に響いたのだった。

7/7

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