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■お茶会に向けて・上

幸せな夢を見ていた気がする。すごく幸せな夢。
でも楽しい夢ほど、起きたときには忘れている。
「…………」
目を開けると、視界に本が入る。
視界の高さまで積まれた、紅茶の専門書の数々。私は思わずにんまりし、
「目が覚めても幸せですね。うへへへへ」
「……その気味の悪い笑い方は止めなさい、ナノ」
「――はっ!」
ガバッと起き上がる。すると、私にかけられた何かがハラリと落ちた。
しゃれたデザインの白い上着だ。
「……え?え?」
「おはよう、お嬢さん」
書斎の机からこちらを見てくるのは、端整な顔のマフィアのボス。
上着を脱いだラフな格好だ。
私は反射的に正座し、三つ指ついて深々と頭を下げる。
「おはようございます。帽子屋さん」
「……起きがけから、人の部屋で土下座をされても困るのだが」
土下座じゃ無いってば。ちなみに『三つ指』は正式な作法ではないそうな。
帽子屋さんは、お仕事の手を止め、頬杖ついて私を見、
「よく寝ていたな」
「すごくいい夢を見た気がします」
すると少しだけ沈黙があり、
「どんな夢だったか覚えているか?」
「さあ?でも幸せな夢だった気がします」
「そうか」
帽子屋さんは表情を変えない。
しかしどんな夢だっただろう。
私の幸せな夢と言えば、思い当たるものは一つしかない。
「きっと黄金のバスルームで、札束風呂につかっていた夢ですね!」
「命令だ。そういう悪趣味な夢とは、永久に決別しなさい」
ええー。薔薇付き帽子の人がー。悪趣味とかー。


改めて自分の状況を確認します。
私は帽子屋さんのお部屋のソファで爆睡していたらしい。
……あー、そういえば。寝る前に、お茶会に出ろとか脅され、渋々了承して。
その後、また私は本棚に吸い寄せられちゃって。
何とか私を出て行かせようとする帽子屋さんを、適当に……コホン、誠意ある懇願で
あしらっているうちに、寝てしまったのだ。
で、私の身体には帽子屋さんの上着がかけられていたわけで。
「ぼ、帽子屋さん、ありがとうございました。この上着は……」
「そこに置いておいてくれ。形が崩れたから使用人に直させる」
「あ……はい」
皮肉なんだか、気遣い無用と言っているのか、ちょっと判別しがたい。
でも何度目か分からない失態で、それでも未だに撃たれない。
ジェリコさんならともかく、冷酷な帽子屋ファミリーのボスが優しいですな。
「あの、帽子屋さん……それで、この本は……」
私は、ソファの周りにバリケードのごとく積まれた本を指さす。
本棚一個分はあろうかという量だ。
書庫から出した本もあるんだろうか。門外不出だろう稀少書まで混じっている。
さすが、マフィアのボスは気前が良い!
「お茶会まで君に貸そう。君が一度本に取りついたら、てこでも動かないからな」
「!!」
私は慌ててソファから床に下りると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!帽子屋さん。墓守領に帰って、あなたが敵となっても、
いつまでも、ずっとずっと、ずーっと大事にします!」
「……お茶会まで『貸す』だけだ」
「返さないわけじゃ無いです。永久に借りておくだけで」
「中身のない頭に、銃弾を詰め込みたいようだな」
「冗談ですから、人の頭に銃を向けないで下さいよ」
その後専門書は、力持ちの使用人さんたちが、迅速に運び出して下さった。


そして、専門書が私の部屋に旅立ち、秩序が戻った部屋で、私は帽子屋さんに言う。
「それじゃ、ソファをありがとうございました!」
帽子屋さんは、仕事も一段落ついたのか、私にまた目を向けてくる。
「これから、どうするつもりだ?」
「茶園のお手伝いに行きたい……と言いたいところですが、勉強しますよ。
お茶会まで間が無いですし」
「ああ。それならいくらでも努力しなさい。お茶会の結果によって、今後の君の
生活が変わってくるだろう」
いや……あんまり長くここで生活する気はないのですが。
「墓守領との交渉はどうなってるんですか?まだ終わらないんですか?」
「君が知る必要のないことだ。だが、安心しなさい。お茶会で良い紅茶さえ淹れて
くれれば、君を手荒に扱うことはない」
……帽子屋さんもツッコミ待ちなんだろうか。
でも腹が立ったからスルーして、部屋を出て乱暴に扉を閉めた。
バタンと大きく音を立てると、扉の向こうからかすかに笑う声。
そして、私は過重なプレッシャーで胃が痛い。
ああ、紅茶飲みたい。


廊下を、自分のお部屋までトボトボ歩く。
短期間とはいえ、ブランクがあるから、一刻も早く紅茶を淹れないと。
「でも災難ですね〜、ナノさん」
「大丈夫ですよ〜。ボスだって、半分くらいしか期待してませんから〜」
監視役のメイドさんたちが、気さくに話しかけてくる。
……マフィアらしく、言うことが微妙にキツい。
彼女たちとも、ちょっと打ち解けてきた。
私のお間抜けすぎる行動の数々に、警戒も解けてきたらしい。あと、私がブラッドの
部屋を荒らしたとき『全て私の責任ですから』と、彼女たちをかばったことも、
好感度プラスだった模様。良きかな。
「どんな紅茶なのか、みんな興味を持ってますよ〜」
「練習に淹れたら、ぜひ飲ませて下さいね〜」
「いえ、そんな……。どう考えても、抗争のときの錯覚だと思うんですが」
思えば自分で飲んでばかりで、人にはほとんど飲ませていない。
ジェリコさんは絶賛してくれたけど、彼は普段は珈琲を飲んでいる。
「いやあ、紅茶が嫌いなのに、困ったもんです」
メイドさんたちは何が面白いのか、楽しそう。
「うふふ〜。紅茶嫌いなのに困りましたね〜」
「変な設定をつけちゃうと、後で大変ですね〜」
やかましいわ。

かくしてマフィアのボスの陰謀で、私の紅茶嫌い設定は完全に崩壊してしまったのでした。

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