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■怖い夢

床にビシッと正座をし、背筋をまっすぐ伸ばし、私は言う。
「というわけで!お約束通り!散らかした本棚を!片付けに参りました!」
ここは帽子屋さんの書斎。時間帯は夜。
私は正座。書斎はきれいに片付いている。
「……うるさい」
それは失礼。
で、帽子屋さんは書類仕事をしながら不愉快そうに、
「まず本棚は、もう使用人に直させた。そして『約束』という割に、君が本棚を
荒らしてから、すでに相当数の時間帯が経過している。
ついでに言うと、人の書斎の床で、正座をされても困る」
――え!?一つ一つに丁寧なツッコミ!?
何だか帽子屋さんが、急に親切になった気がする。どうしたんだろう!
……ボケもほどほどにしましょう。

さて、私ナノは、××時間帯ほど前に、帽子屋さんの本棚を荒らしてしまった。
けど本棚を片付ける前に、カフェインの禁断症状でぶっ倒れ……えーと、その後、
茶園の過酷な労働に狩り出されてしまった。
そして満足するまで仕事をやり尽くし、こうしてお詫びにはせ参じたのだった。

私は立ち上がりつつ、帽子屋さんに深々と頭を下げる。
「本棚の件は大変、申し訳ありませんでした!そして茶園のお手伝いという大変に
素晴らし……恐ろしいバイトを紹介して頂き、改めてお礼に参りました!」
帽子屋さんは書類仕事の手を止め、頬杖をつきながら私を見る。
「ああ。斡旋(あっせん)した覚えもないのに、強引に働き始めていたな。
それどころか、仕出し弁当や日当の列にも、当たり前の顔で並んでいたそうだが」
「あ!あはははは!」
なぜツッコミが!?真面目モードに入ったのに!
「そ、それで、ボスのお部屋を汚したお詫びがしたいのですが……」
媚びた上目遣いに言うと、
「なら、屋敷のお茶会に参加しなさい。ごく内輪の集まりだ。
そのお茶会で、君の紅茶をもう一度飲んでみたい」
「…………嫌ですよ」
愛想笑いはそのままに、ポツリと応える。
「だが、一度は淹れてくれた。最初に会ったときに。あのときと今と、何が違う」
紅茶絡みとあって、帽子屋さんは、ちょっとしつこい。
書類仕事も完全に止め、威圧するようにこちらを睨みつけてくる。
「何が違うと言われましても、あのときは……」
……完全に頭が寝起きだった。
「べ、別にいいじゃないですか。あ、あはは」
愛想笑いを浮かべ、身を翻そうとする。
「それじゃ、お役に立てそうにないので、私はお部屋に――」

「ナノ」

「――っ!」

ビクッと立ち止まる。
「答えなさい、ナノ」
帽子屋さんが言った。先ほどよりは低い声だった。
私はゆっくりと帽子屋さんを振り向き、
「あのときは、引っ越ししたばっかりでした。けど、今は墓守領の人間です。
敵対する領土のボスに、紅茶なんか淹れられませんよ」
渋々答えた。けど帽子屋さんは不機嫌そうだった。
「うぬぼれるな。淹れるのは一度で良い」
私が意地をはっているせいか、帽子屋さんの声は、氷のように冷たい。
「私はただ、あのときの味が本物なのか、戦場の錯覚だったのか知りたいだけだ」
今となってはあまり覚えてない。
けど、アルコールランプで湧かした湯と、中古のティーポットで淹れた紅茶。
あの味を帽子屋さんは忘れられないらしい。
んー。別に、いつも通りの私の味だった気がするんだけどなあ。

「買いかぶりすぎですよ。それに私はあがり症だし、マフィアのボスになんて……」
「一流の職人は、どんな状況下にあっても、己の役割を遂行するものだと言うが?」
……帽子屋さんの言った意味をしばし吟味し、カーッと顔が真っ赤になった。
「い、いえ、その……わ、私は一流なんかじゃないですよ。まだまだ修行中で……」
「それなら私に紅茶を淹れなさい。凡百の者には分からない味も、私には分かる」
そこまで私の紅茶に執着して頂いたことを、喜ぶべきか悲しむべきか。
「ナノ」
またヒヤリとする感覚に、顔が強ばるのが分かる。
「君は自分がどこの人間で、どこの領土に囚われているか、自覚はあるか?」
「…………」
敵対領土。冗談とは言え、諜報員と名乗っている。
「君から客人の身分を取り上げ『加工』し、墓守領に『捨てる』ことも出来る」
青々としたお茶の葉が、潰され、砕かれ、乾ききった茶葉になるように?
「帽子屋さん。そういう脅しを使うの、スマートじゃないですよ?」
「あいにくと君の領主と違い、若輩者でね。さて、答えを聞こうか、お嬢さん」

「……お茶会のときに、淹れればいいんですね?帽子屋さん」

他にどう答えろと。


…………

夢を見た。とても怖くて不安な夢。
ひとりぼっちで知らない国に行ってしまう夢。

「お嬢さん……ナノ、起きなさい。ソファで寝るな」

私はソファで横になっているらしい。
そして誰かが私を呼んでいる。頭を撫でてくれている。
「ナノ」
怖い声と優しい手。
どちらが本当なのか、私は知らない。
だから薄目を開ける。
視界の中に、よく見慣れた顔。

――何だ。やっぱり、あれは全部、夢だったんだ……。

「……ブラッド」

「……!?」
私が微笑むと、彼はなぜか、とても驚いたような顔をする。
少し会わない間に、ずいぶんと表情が豊かになったように見える。
「どういう心境の変化だ?」
「……ちょっと夢を見ていました。とても怖くて不安な夢を」
ひとりぼっちで知らない国に行ってしまう夢。
「怖かった」
まぶたをこすりながら私は笑う。そばにはブラッドがいる。
赤い物を流していた心を、春の暖かさが包み込む。

「ずっとずっと怖かったです。夢で本当に良かった……」

「……ナノ」
手を伸ばし、頭を撫でるブラッドの手。その手を、自分の頬に持って行く。
「ブラッド。目が覚めるとき、あなたが側にいてくれて、良かった……」
手袋越しに暖かい熱。あと、何だか変な音が聞こえる。
「そこまで怖い夢だったのか?」
私はうなずく。何度もうなずく。変な音が耳ざわりだ。
ブラッドの口からいつもの皮肉は来ない。
代わりに、別の手が目の下をこすってくる。
なぜ、そんなことをするんだろう。
それとさっきから聞こえる、変な音がやっぱりうるさい。
「夢で、良かった」
「……そうか」

ふと、変な音は嗚咽(おえつ)なのだと気づいた。
私はブラッドの手を握り、さっきからずっと嗚咽していた。

やがて頼りない私は、大きな身体に包まれる。
ブラッドに抱きしめられ、その胸にすがって、私は泣いた。

静かな部屋に。泣き疲れて寝入るまで。
嗚咽は、いつまでも響いていた。

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