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■ブラッドという人

「はあ……」
私は肩を落とし、とぼとぼと陽光射す帽子屋屋敷を歩いている。
ブラッドに借りた紅茶読本を読み終え、返しにいくところだった。
この世界に来てからかなりの時間が過ぎた。
でも、このマフィア屋敷の硝煙の匂いにはどうも慣れない。
だからお客さん扱いで、深入りする前に出て行きたい。
行くあてだってある。
置いてもらっている借りは返した(つもり)だ。
けれど、あのお茶会からかなり経つけど私は未だに出て行っていない。
あと少しあと少しとズルズル先延ばしにしている。
理由は簡単。
ここが居心地が良すぎるからだ。
私はここを出る明確な理由を見出しかねていた。

私は意志の弱い自分を叱咤し、ブラッドの部屋の扉を叩いた。
「ブラッド、失礼しますよ」
「入りたまえ」
「お邪魔します」
私は部屋に入り、習慣で一礼する。
「お借りした本を返しに来ました」
書類仕事をしていたブラッドは、
「全く、君はいつまで経っても他人行儀だな。
いつまで経っても敬語が抜けないし。
礼儀作法がなっていないのも困るが、もう少し親しみを示してほしいものだ」
そうは言われても『親しき仲にも礼儀あり』の文化圏の出だから仕方ない。
「だが、よく来たな。君が来るのを待っていたよ、ナノ」
ブラッドは立ち上がって私をソファまでの短い距離をエスコートしてくれる。

……だから腰を抱く必要はないと思うのですが。

気のせいか、最近ブラッドが少しずつスキンシップ過剰になってきていてる気がする。
お茶会に呼ぶ回数も段違いに増えたし、それも二人きりのことが多い。
そして会うたびに髪に、腕に、腰にとやたら触れたがる。
二人きりのときでも問題だけど、外でも同じ。
人前だろうとかまわないので、こちらは内心困っていた。
私から本を受け取り、ベルを鳴らして紅茶と茶菓子の準備を申しつけると、ブラッドは私の隣に腰かけ、肩を抱きよせる。
「彼女さんに怒られますよ」
親しさとやらを示すためにチクッと言ってやる。
するとブラッドは肩をすくめ、
「あれならもう捨てた」
「ええ、またですか?」
私は呆れた。

紅茶セットを持ってきた使用人さんたちが、手際よくテーブルをセッティングし、すぐに去っていく。
私とブラッドは紅茶を楽しむことにした。
「いい匂い……」
私は紅茶の香りに目を細める。
最近は個性的に香りづけされたフレーバーティーが私の中でちょっとしたブーム。
ストレート街道まっしぐらなブラッドは渋い顔だ。
「個人的には神聖な茶葉に、余計なスパイスを加えるなど、邪道でしかないと思うがな」
「美味しければ正義ですよ。アイスティーだって登場した当初は大ブーイングだったんですから」
それまで紅茶は温めて飲むものだったから、常識を覆す考えに拒否感を示す人は多かったらしい。
でもアイスティーの発展は元の世界で見るとおりだ。
私は涼しい顔で、バニラの甘い香りただよう紅茶を口に含む。ブラッドは、
「ああ言えばこう言う……君が変な道に走らないよう祈っているよ」
とダージリンのファーストフラッシュを口にする。
ブラッドはあれ以来、私の持ってきたダージリン一筋だ。
飲み過ぎてそろそろ無くなりそうになり、密かに煩悶しているらしい。
でも私が再度ハートの城に行くのではと危惧して言い出せずにいるという噂。
案外噂でも無いのか、今もめっきり軽くなった紅茶缶の重さを確かめ、小さくため息をついている。
ちょっと可愛いかもしれない。
――こういうところは怖いボスに見えないですよね。
ブラッド=デュプレ。
彼はこのお屋敷の主だ。
そして帽子屋ファミリーのボスで……その、女性遍歴もすごい人だ。


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