続き→ トップへ 小説目次へ

■帽子屋さんと紅茶嫌いの諜報員・上

窓の外は暗い。
「どうも、ご迷惑を……」
ネグリジェ姿でベッドに横たわり、顔を赤くする。
「そう思うなら紅茶を飲みなさい」
ベッドサイドには帽子屋さんが腰掛けていた。他は誰もいない。
体調不良で、私の夕食は中止。何と帽子屋さんが、部屋まで送ってくれた。
そしてサイドテーブルには紅茶が二人分置いてある。
高価な陶器のティーカップ。
立ち上る匂いはアッサムのストレートか。でも、
「いらないです……」
「度重なる非礼は、共に紅茶を楽しむことで不問にしてあげよう。
君も離脱症状がおさまる」
彼が寛大に言い終わる前に、私は首を横に振る。
「紅茶は嫌いなん……です……うう……!」
激しい頭痛と嘔吐感に苛まれながら、私は言った。
すると帽子屋さんは、そっと私の頭を撫でてくれる。
「ど、どうも……」
大きな手だ。手袋をしているのに、なぜかその下の熱まで感じる。
「君が紅茶嫌いだと信じる者は、屋敷の中に誰一人いない。
それなのに、なぜそう、頑なになる?何の意味があって?
紅茶嫌いを装えば、私の関心が薄れ、追い出してもらえると思ったか?」
「……え?あー」
それは考えたことがなかったなあ。
思っていることが顔に出たのか、帽子屋さんはため息をついた。
「違うのか?おかしな子だ。なら墓守に何らかの義理を感じているのか?
あそこの紅茶で無ければ飲まないと……」
「う、うーん……?」
そうなのかな?首をかしげる。
まあ他に理由も考えられないし、それに紅茶の一杯くらい飲んだって……。
けど、なぜか私の心が警鐘を鳴らす。

彼は違う。

――て、何がどう違うんですか。意味不明ですよ、ナノ。
「え、ええ。まあ?だから、紅茶は大嫌いなんです。匂いとか苦手で……」
しどろもどろに言うと、帽子屋さんはなぜか私の顔をじっと見る。
そして皮肉っぽい声で、
「なら、苦手なものを強要した詫びに、君の諜報活動に協力しよう」
「え。ええっ!?」
ガバッと起き上がる。あ、いたた……頭痛が。
でも、それどころじゃない。
「帽子屋さん!それは、ちょっと……!」
でも帽子屋さんは、完全に人の悪い笑みを浮かべていた。
「紅茶嫌いの君が、絶対に興味を示さないだろう場所がある。
だが、ぜひとも紹介したい。帽子屋ファミリーのボス自らが案内するんだ。
むろん諜報員として、断りはしないだろう?」

すまし顔で言う帽子屋さんだった。
けどその目は、新しい玩具を手に入れた、男の子の目だった。

…………

…………

何時間帯後かの、その朝はよく晴れていた。
「お嬢さん。しっかり歩きなさい」
「……は、はい」
私は、帽子屋さんに連れられ、屋敷の外に出ていた。
うう、まだ少し気分が悪い。顔色も決して良いとは言えないだろう。
でも帽子屋ファミリーのボスの命令なら、囚われの身としては従うしかない。
「あの、それでどこに行くんですか?」
帽子屋さんは私の声を聞いて少し振り返り、
「すぐにつく。それより、身体は大丈夫か?」
「ええ、まあ……」
若干、フラフラしながら私は歩く。
これで体調が良いように見えたら、逆にすごいですよ。
「大丈夫です〜」
「今度は、ちゃんとお支えします〜」
後ろで、相変わらず監視役のメイドさん二人が言う。
……倒れる前提で物を言わないで下さい。
私だってこの際、カフェイン依存症から抜け出してくれるわ。
「ん?あの建物は何です?」
帽子屋屋敷の裏手の建物から、かなり濃い紅茶の匂いが漂ってきた。
エースと屋敷に来たとき感じたのは、きっとあの建物の匂いだろう。
「待ちなさい。そこもいずれ見せてあげるが、まずはこちらからだ」
と、さらに奥へ奥へと行く。
あー、肩が下がる。身体がダルいー。ベッドで寝たいー。
と、心の中でグチグチグチグチ言っていると、
「ついた。ここだ」
と帽子屋さんが言った。そして嬉しそうに、
「顔を上げなさい、お嬢さん。紅茶嫌いの君には、嫌悪すべき光景が見えるはずだ」
「……?」
帽子屋さんの言葉の意図がつかめず、私は顔を上げる。
そして私の目が見開かれた。
――あの葉っぱは……匂いは……っ!!
一面の緑のじゅうたん。紅茶の茶畑が眼前に広がっていた。

「帽子屋、さん……こ、こ、こ、これ……」
呆然とする私に、帽子屋さんは、悪戯に成功した子供のような声で笑う。
「やれやれ。紅茶嫌いの諜報員殿には、苦痛が過ぎたかな?」
「…………」
口をパクパク開け閉めするしかない。でも驚いたのは茶園の存在だけではない。
ダージリンにアッサムにセイロンにディンブラ……。
茶葉は種類に応じて、育成に適した気候や風土がある。
でもこの茶園では、色んな茶葉が同じ土壌で均一に育っている。
いくら不思議の国とは言え、無茶苦茶だ。
――いえ、でも待てよ。確か、前にも私は……。
フラッシュバックのように、何かが頭をかすめる。

『ナノ茶園』

……。何かを思い出しかけた。
でも一瞬だけ頭に浮かんだ言葉は、記憶に書き留める前に消去されてしまった。

4/6

続き→

トップへ 小説目次へ

- ナノ -