続き→ トップへ 小説目次へ ■諜報員、倒れる! 私は廊下をとぼとぼ歩きながら、ため息をつく。 帽子屋さんのご命令で、夕食に同席しろとのことで。 んで、前には帽子屋さんの背中。 後ろにはエリオットと監視役のメイドさんが油断なく、私を見張っている。 ――はあ……しかしこの国に来てから、ちょっとひどいですね、私……。 備蓄してある紅茶を分捕るわ、人の部屋を荒らすわ。 好きも度が過ぎると、モラルが麻痺して、しまいには犯罪も厭わなくなるという。 でも今は自分を形成する記憶がちょっとしかない。紅茶と……あとは飲み物数種類。 どうしても紅茶に意識が集中してしまうのだ。 いったい、記憶喪失になる前の私は、何をしていたんだろう。 紅茶以外に趣味があったんだろうか。仕事をしていたんだろうか。 ……チケットのモギリでさえ、もたもたしてる体たらくで? それとも、権力者の庇護を受けていたんだろうか。 ――……。 なぜか帽子屋さんの背中を見て、ドキッとする。 ――いえ、まさかね。 こんな、おっかなそうな人、何があっても気が合うなんてありえない。 「おい」 後ろからエリオットに声をかけられ、ビクッとする。振り返ると、 「フラフラするな。ちゃんと歩け」 ……言われてみると、さっきからちょっと足下がふらついている。 エリオットの声に振り返った帽子屋さんも、 「食堂までもう少しだ、頑張りなさい」 と言って、また前を見る。うう、恥ずかしい。 でも、そんなに長い距離を歩いてるわけじゃあないのに、何か身体が重い。 長時間帯、本を読みすぎたせいだろうか? 頭もぼんやりする。というか痛い。 そして、あることを思い出す。 ――そういえば、この前、紅茶を飲んだのは、いつでしたっけ……。 そして何か身体がフワッと……。 気がつくと頬を床につけていた。倒れたのである。 『ナノさん!?』 「え?お、おい!?」 使用人さん、そしてエリオットの焦ったような声がした。 「……どうした?」 一呼吸遅れ、帽子屋さんの鋭い声。 「お、俺は何もしてねえよ!よろめいたと思ったら、いきなり倒れて……」 帽子屋さんに睨まれたのか、エリオットの焦ったような声。 「私、医師を呼んできます〜!」 「ナノさん、しっかりして下さい〜!」 「待て、うかつに動かすな!……お嬢さん、私の声が聞こえるか!?」 私は目を開け、全身の悪寒、吹き出る汗を感じながら言う。 目の前に帽子屋さんの端整な顔があった。 「ご、ごめいわく、おかけして……すみませ……」 「しゃべらなくていい。すぐに医者が来る!」 メイドさんの一人は、すでに廊下の向こうに消えている。 もう一人は傍らで、私の脈を取ったり汗を拭いたりしていた。 エリオットは演技かと疑っているのだろうか。 いつでも銃を抜ける姿勢で私を見張っていた。 しかし……心配して頂けて嬉しいけど、実はこの症状には心当たりがある。 「……だい、じょうぶ、です……おき、ますから……」 「動くな、お嬢さん。しかし、いきなりどうした。君には何か重大な病でも?」 「いえ、たぶん……」 続きを言いかけていると、 「どうしました〜?ボス〜!」 「敵襲ですか〜?」 騒ぎを聞きつけたのか、バタバタと使用人さんやメイドさんが集まってくる。 そして聞き慣れた声がした。エースを押さえつけた双子の斧使いだ。 「あれ?ボス、そのお姉さん……確か墓守の諜報員の子だよね」 「あんなに探してたのに、撃っちゃったの?部屋を荒らされたからだっけ?」 ……いやいや、撃たれてないですって。 ――というか本棚を荒らしたことが、もう知れ渡ってるし! そして当然のことながら、その場はうるさくなる。 「とりあえず、ナノさんを医務室に〜」 「何で倒れたんですか〜?重要な疾患なら手術の準備も〜」 諜報員なのに心配されとる!!どんどん大ごとになってきてる!! 仕方なく、だるさを押して私は言った。 「あの、カフェインの錠剤か何かありましたら、いただきたいんですが……」 ピタリ。 騒がしかった周囲が、合図でもしたかのように、止まる。 『……カフェイン?』 帽子屋さんとエリオットだけじゃない。双子君や、何人かの使用人さんまでハモる。 「多分、前に紅茶……コホ、嗜好飲料を飲んでから、けっこう経ってるから……」 うむ。 日常的にカフェインをたくさん摂取している人が、突然カフェインを絶たれたとする。 するってぇと、身体がカフェインを求めて、色々おかしくなるのだ。 「ここまで激しい離脱症状を起こすほど、カフェインを大量摂取しているのか?」 またも、呆れたような帽子屋さんの声。私は彼の目を見、力強く、 「嗜好飲料は……一時間帯に……最低、一杯……!」 ここだけは譲れない、と親指を立てて帽子屋さんに力説する。 すると彼もうなずき、 「ああ、それは大いに賛同する。だが今は無理をするな。休みなさい」 と、同志の目で言ってくれた。なので、私も安心して目を閉じた。 「なあブラッド。こういう見苦しいのを見たら、ちょっとは紅茶を控えようとか思わ……」 「黙っていろ、犬!」 「……ぐ……っ!」 エリオットの静かなるツッコミと、帽子屋さんが杖をふるう音。 そして、私はさっさと寝てしまった。 3/6 続き→ トップへ 小説目次へ |