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■諜報員はじめました!・下

――うわあ……。
棚にはびっしりと紅茶関連の書籍が詰め込まれていた。
私は吸い寄せられるように本棚に近づくと、まず一冊手に取る。
――ふむ。『紅茶の香りを高めるための水質について』……。
紅茶を淹れる水は、基本的に水道水かミネラルウォーターの二択しかない。
でも伝統的には、自然の湧き水が、一番いいとされていた。
地上や地下でもまれ、酸素を豊富に取り込み、加えて含まれる天然のミネラルが紅茶の
味を左右するのである。私は夢中になってページをめくる。
なるほど、なるほど。つまり紅茶に淹れるに最適な遊離炭酸の含有率は――。
「……コホン」
誰かが咳払いする音が聞こえた。
「――はっ!」
慌てて振り返ると、書類をトントンと整える帽子屋さんと、目が合う。
彼はニヤッと笑い、
「君はずいぶんと大胆なようだな。私の目の前で、許可も得ずに」
――またやった……っ!
この間のお茶会と言い、失礼の上塗りだ。彼がマフィアのボスということを考えれば、
例え人質といえど、撃たれて仕方の無い不作法だ。
「す、すみません、すみません、すみません!!大変な不調法を!!」
頭を下げまくる。どうも私は紅茶絡みとなると、マナーが吹っ飛ぶ傾向にあった。
……紅茶絡みだけじゃあないかも。
「さて、紅茶嫌いのお嬢さんが、何を好きこのんで紅茶の本を読むのやら」
そ、そうだった。そういう設定でした!
でも帽子屋さんは、頬杖をつきながら、とても楽しそうだった。
「え、ええーと、あ、あれ!あれですよ!諜報活動の一環ですっ!!」
腕を無意味にバタバタ動かしながら、必死に言いつくろう。
「帽子屋さんの紅茶について調べれば、墓守領にとって有益な何かがつかめるかも
しれませぬゆえ!!でも私は大の紅茶嫌いですから!匂いとか本当にダメで!!」
……だんだん支離滅裂になってきたような。
「く……くく……っ……」
帽子屋さんはうつむいて肩を震わせている。
何かもう『本当は紅茶大好きデース☆』とか言って良いような気がしてきた。
――最初からバレバレだし、言っちゃいますか。
と、口を開こうとした。

そのとき、記憶の向こうをフッと、誰かの声がかすめた。

『ナノ』

――…………。

いいや。帽子屋さんと親しくなるのは、やっぱり止めておこう。
第一、敵対領土の人だもの。馴れ合いは極力避けるべきだ。

「あ、あはは……」
ぎこちなく笑う私に、帽子屋さんは立ち上がる。書類仕事は終わりらしい。
彼は帽子と上着を優雅に着用し、私に微笑んだ。
「さて、君の諜報活動を見ているのも楽しそうだが、私は行きたくも無い仕事で
行かなければならない」
暗に退室を求められているみたいだ。う、うう……どうしよう。
本はどうしても読みたい。
だから帽子屋さんの目を見、恐る恐る言った。
「あの……失礼と言うことは重々承知していますが、この本、ちょっとの間だけ
お借り出来ませんでしょうか?」
すると帽子屋さんは、とてもとても優しい笑顔で私に言った。

「断る」

…………

…………

「ナノさん〜、ボスがお夕食に同席するようにって〜」
後ろからメイドさんの困り切った声がする。監視役のメイドさん二人だ。
「はい、ちょっと待って下さい」
適当に答え、次のページをめくる。
「紅茶は出さないから、大丈夫ですって〜」
「ええ、ええ。もう少しだけ待って下さい。あと10分の1時間帯だけ」
「さっきそう言って、もう二時間帯経ってますよ〜」
私は顔も上げず、うんうんとうなずきながら、ノートに本の要約を書き付ける。
ただいま、床に座り込んで、本を読んではノートに内容を書き留めている。
ちなみにノートは、監視役のメイドさんに、頼み込んで調達してもらったものだ。
「このページを読んだら行きますから、先に行っていて下さい」
「私たちだけで行けるわけないじゃないですか〜。お願いですから〜」
「そうですか。すぐ読み終わりますから」
『ナノさん〜』
困り切った声がハモる。でも私は集中を乱され、イライラし、
「もうちょっと待って下さい!私は今、諜報活動に忙しいんですよ!」
逆ギレした後、専門書をめくり、ノートにメモを書きつける。
――あああ!さすがマフィアのボス!!
何て豊富な専門書をお持ちなんですかっ!!紅茶の有機栽培農法とか、茶園の適切な
管理方法とか、茶樹の交配技術とか、探しても見つからなかった資料が続々々とっ!
もうノートも三冊目。書くことが多すぎて、いつまで経っても終わらない!
あ、次の本は、リナロールやゲラニオールなど香気成分についての論文ですか。そうだ、香気成分を高める茶樹の交配についてアイデアをノートに……。

「ナノ」

どうしてだろう。その声に、ビクッと背がすくむ。
色づいていた世界が一気に灰色になり、上昇していた気分が一気に沈下した。

振り向くと、帽子屋さんがいた。あとエリオットも従えている。
エリオットは警戒のまなざしで私を見ていた。
そして、左右には困った顔のメイドさん。
あ……あー、そうでした。
ここは帽子屋さんのお部屋だ。
本を借りることは許可されなかったけど、帽子屋さんの部屋で読むのは構わないとの
ことだった。もちろん、敵対領土の私一人がお留守番、なんてありえない。
で、メイドさん二人を監視役として、私はずっとこの部屋にいたのですが……。

「また人の部屋を、派手に散らかしてくれたものだ」
帽子屋さんもちょっと呆れ気味だった。エリオットはたいそう撃ちたそうに、
「おい、てめえ!ブラッドの本だぞ!もっと大事に扱えよ!!」
「はい……本当にそうですね……」
本棚の一番上から一番下、端から端まで、無事な棚は一つもない。
どこかの時計屋さんのお部屋のように、全てがひっくり返され、中途半端なページを
開けて床の上に放置され、しっちゃかめっちゃかになっていた。
改めて周囲を見回し、自分のしでかしたことに呆然とするしかない。
「も、申し訳ありません、ボス〜。お止めしたんですが、聞く耳を……」
「お片付けしていたんですが、それ以上のスピードで本を出されまして……」
メイドさんたちが、おずおずと弁解しているのが聞こえる。
あ、ああああ!彼女たちに咎が及んだらどうしようっ!
相変わらず、紅茶が絡むと、不作法にもほどがあります、私!
「ごめんなさい……あの、私一人の責任ですので……」
しゅーんとなって床に座り込んだまま、肩を落とす。
すると、目の前に誰かの手が差し出された。
「?」
顔を上げると、帽子屋さんだった。
「後で君に片付けてもらわなくてはな。
とりあえず、諜報活動は一休みして、夕食につきあいなさい」
自分の部屋を荒らされたも同然なのに、あまり機嫌が悪くなった風では無かった。
むしろ、すごく珍しい生き物を見る目で、私を見ていた。
つまるところ、とても楽しそうだ。
「はあ」
部屋の主の言うことに逆らえず、差し出される手を取って、立ち上がらされる。
メイドさん二人は困った顔。
エリオットはやはり私を撃ちたそうにしている。

「書庫にはまだ、君の諜報活動に役立ちそうな書物が数多くある。
希望があるのなら、何でも取ってきてあげよう」
「ち、諜報活動へのご協力、感謝いたします……」
帽子屋さんは笑っていた。

こうして私は、帽子屋ファミリー公認の、諜報員になったのでした。
……というか諜報活動に協力するボスってどうなんだろう。

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