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■諜報員はじめました!・上

ずいぶんと悪い夢に、うなされていた気がする。

「ん……ん……」
うつぶせ気味に寝返りをうつと、ふかふかの枕が頬に当たる。
でも頭は痛い。長く寝てしまったかもしれない。
――そろそろ、起きますか。
起き上がると、ベッドを下り、大きく伸びをする。
「ううう。よく……眠れませんでした」
どんな夢だっただろうか。覚えていない。

身支度をととのえ、洗面台で顔を洗って、顔を拭く。
鏡に映る平凡な娘さんは、ちょっとお疲れ気味だ。
――こんな顔じゃ、また食堂に、強制的に行かされてしまいますなあ。
最近はジェリコさんに合わせるように、構成員さんまで私に食事を、おすそわけして
下さるから困る。
あなた方の食する山盛りパスタサラダは、もはや主菜。
断じて野菜枠には入らない!
――さて。美術館のお仕事に行きませんと。
私は目をこすりつつ、扉を開ける。
すると顔無しのメイドさんが立っていた。

「おはようございます、ナノさん〜」
「おはようございます〜」
「あ、ども。おはようございますです。……あれ?」
――メイドさん?
そこでちょっと目が覚め、目を丸くして二人を見上げる。
メイド服に小さな帽子をちょこんと被った、美人なメイドさん。ただし銃携帯。
「うふふ。まだおネムなんですね〜。ナノさん」
「もう少し寝てますか〜?好きにしていていいですよ〜」
……あ。そうだ。ちょっと思い出しました。


私はナノ。記憶喪失の余所者です。
ダイヤの国に来て困っていた私は、最初、墓守領の世話になっていました。
まあ、部屋に引きこもるか、ダメダメなペースでお仕事をするか、ですが。
そして、あるときエースと紅茶探しに出かけ、帽子屋領に迷い込みました。
撃たれる!と思いましたが、エースの保護者(?)はとても偉い役持ちらしいです。
『催し』の前だったこともあり、大規模な抗争を避けるため、彼は釈放されました。
でも後ろ盾のない私は、そのまま虜囚の身に……。
といってもまあ、虐待を受けているわけではなく、どうやらお客様待遇のようです。
形だけの尋問が終わると、ごく普通の客室に送られ、そのまま爆睡してました。

…………

「あの、私はいつ墓守領に帰れるのでしょう?」
部屋の前に立つメイドさんに、恐る恐る聞いてみましたが、
『さあ〜?』
と口をそろえる。
……こりゃ、帽子屋さんに直接聞くしかなさそうですな。
私は、日の当たる廊下を、歩き出した。
ちなみに後ろには、監視役のお二人がついている。私はチラッと振り返り、
「そういえば、私はお部屋を出ても良かったんですか?」
敵対領土の人間。てっきり牢屋に閉じ込められるのだと、思ってた。
「どうぞどうぞ〜。お屋敷内なら、どこを歩いても構わないとボスの命令で〜」
「まあ、立ち入らない方がいい場所もありますけどね〜」
うふふ〜、と顔を見合わせて笑う様子が怖い。
何となく屋敷全体に緊張感があり、墓守領とは大違いだ。
――……ジェリコさん。
大柄な身体、優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
でもあんなに朗らかな彼だって、マフィアのボスだ。
果たして新参の余所者を連れ戻すため、行動して下さるんだろうか。
それ以前に、迷惑をかけたくなかったのに。エースの野郎……。

「ナノさん、ボスの部屋を通り過ぎてますよ〜」
物思いにふけっていたせいだろう。後ろのメイドさんに言われ、気づいた。
慌てて少し戻り、帽子屋さんの部屋をノックする。
「あの、ナノですが……」
「入りたまえ」
中から声が聞こえた。

…………

扉をそーっと開けると、帽子屋さんは執務机で書類仕事をされていた。
あの薔薇つき帽子と上着は脱いでいる。
「君か。用件は手短にお願いしたい」
顔も上げずに書き物をされている。
口調は素っ気ないけど、お茶会のときほど不機嫌でもないみたい。

……帽子屋さんは帽子屋ファミリーのボスだ。
どうやら彼は、ものすごく紅茶が好きらしい。
だから私の噂を聞いて興味を持っていたという。
でもまあ私は、最初に招かれたお茶会で、ちょっと……いえ、かなり礼を失した
行動を取ってしまったんですよね。
それで帽子屋さんの機嫌を損ねてしまった。
――でも帽子屋領のボスならジェリコさんの敵ですしね……。
こちらも軽々しく、馴れ合うワケにはいかないのである。

「帽子屋さん。早く墓守領に帰りたいのですが……」
「その件については、墓守領と交渉中だ。もう少し待ちなさい」
『交渉中』。
――ということは、ジェリコさんは、動いてくれているんだ!
見捨てられていなかったんだ。温かい熱が心に一気に広がっていく。
ホーッと肩の力が抜けた。帰ったら頑張って働かないと。
――でも『交渉中』ってことは、交渉決裂という事態も……。
いやいやいや。余計なことは考えるまい。

「なら私は、お部屋で大人しくしていた方がいいですか?それとも働くとか……」
すると、フッと笑う声がした。帽子屋さんだ。
彼は、私が部屋に入って初めて顔を上げる。
帽子を取ると、ずいぶん端正な人だと分かる。
「招いた客を、働かせるような真似はしない。のんびり過ごすといい」
いえ、だから招かれてないですって。
「でも帽子屋さん。敵対領土の私が、屋敷内をウロウロしていいんですか?」
「別に構わないよ。屋敷の門には門番がいるし、入られて困る場所には、それなりの
対策がほどこしてある」
うーん。アバウトかと思ったけど、そうでもないみたい。でも、
「でも、もし私が有力な情報をうっかり聞いちゃって、ジェリコさんに流したら……」
すると帽子屋さんが笑った。
「諜報員でも始めるつもりか?あいにく、そこまで情報管理の甘い屋敷ではないよ」
……そう言われるとなあ。
「むっ。ならいいんですね?諜報活動とかしますよ?」
帽子屋さんは意地の悪い笑みを見せ、
「ああ。頑張ってくれ。そして気が向いたら、私とのお茶会につきあってほしい」
「つきあいませんよ。紅茶は嫌いって言ったでしょう?」
私は素っ気なく返答し、帽子屋さんに背を向けた。

そのとき書斎の本棚が、目に入った。

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