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■時計屋さんと珈琲嫌い・上

この墓守領には、役持ちが二人いる。
一人は言うまでもなくジェリコさん。
で、もう一人が時計屋さんことユリウスさん。彼は時計を直す役持ちだそうな。
それとエースの保護者。お仕事でお忙しいのに、奴を探してしばしば領内、時には
領土外まで出て行くそうだ。
エースめ。お世話になっている方に迷惑をかけるなど、何と酷いガキでしょう!

……さて、あの後。ユリウスさんに見つかり、すぐさまテントは撤収された。
『テントの中で痴×行為に及ぼうとした』と誤解されたエースは、ユリウスさんが
即回収し、部屋に引きずっていった。
でも年頃の少年には不名誉すぎる誤解だ。
さすがに気の毒に思った私は、その場でジェリコさんたちに真相を説明。
で、その後、慌ててユリウスさんを追った。
ちなみにジェリコさんも面白がって……もとい、エースにかけられた冤罪を憂い、
一緒に行きたいみたいだった。けど、領主様も忙しい。
後で一緒に夕食を、とだけ約束して私たちは別れたのである。
ユリウスさんの部屋に入るときはドキドキした。
けど、扉を開けたとき、すでにユリウスさんはエースを怒りまくっていた。
ユリウスさんは私に気づかず、エースは気づいても、私に軽口を叩く余裕が無い。
拒まれているわけでもなさそうなので、私は中に入っていった。

…………

――うーむ……。
で、今。私はユリウスさんのお部屋で、腕組みをしながら考える。
私は記憶喪失。でも別の国から引っ越ししてきたのは確かだ。
だからユリウスさんのお部屋には初めて入った。
彼はご多忙らしく、部屋全体が雑然……というか雑然通り越して混沌としている。
壁のあちこちに無秩序にメモの類いが貼られ、床といい、作業台といい、時計屋の
工具類や本であふれかえっている。よくこんな部屋で寝起き出来るもんです。
あと、時計修理をしているらしいだけあって、機械油の匂いが鼻をつく。
ん?でも機械油だけじゃないな。特徴的な匂いがもう一つ。これは――

「聞いているのか、エース!」

と、そこに怒声が響いた。

私はソファに腰かけていて、その前にはユリウスさんとエースが向かい合っている。
「聞いてる、聞いてる!聞いてるってユリウス!だから違うんだよ!」
「何が違うんだ!目をそらすな!人の話はちゃんと聞け!
昼間から狼藉をはたらくなど、私はそんな育て方をした覚えは――」
目の前では、ひたすら怒るユリウスさんと、ふてくされるエース。
そんな、大変に爽快な光景が広がっていた。
……て、のんびり座っている場合じゃない。誤解を解かないと。
「ま、まあまあ、落ち着いてください」
遠慮がちに声をかけると、ユリウスさんはやっと私に気づいたらしい。私を見、
「……おまえは……」
赤の他人を見る目だった。私は笑顔で、
「はい。ナノです、時計屋さん。それとさっきの件ですが――」
『遅いよ!』と言いたげなエースを無視し、説明を始めた。

…………

「……なら、本当に単なる事故だったのか?」
時計屋さんに問われ、私はうなずいた。横でエースは、
「だからそう言っただろ!テントを見せていただけだって!!」
「だが、それ以前の問題だ!エントランスに勝手にテントを――」
……でも、お説教は続行らしい。
「おまえという奴は、あちこち出歩くに飽き足らず、所構わずテントまで――」
「いいじゃないか!旅に出ているんだから、テントくらい当たり前だろ!?」
「迷子になっているだけだろう、だいたい、すぐに出歩く奴が――」
……うーむ。今度は放浪癖への説教が始まった。
それに斜め上の答えを返しつつ、余計に保護者を怒らせるエース。
そろそろ、部外者は居づらい雰囲気だ。
――誤解は解き終わったし、おいとましますか。
私はソファから立ち上がり、頭を下げる。
と、時計屋さんがこっちに目をやり、ちょっと気まずげな顔になる。
「……あ、ああ。客に珈琲も出さず、すまない」
あ、そうだ。機械油以外のもう一つ特徴的な匂い――珈琲だ。
しかもかなり濃い。ばりばりのブラック派と見た。
よく見ると、棚には玄人志向の珈琲器具がいっぱい。
この調子だと焙煎とか、手回しミルの段階からやってそうだなあ。
「いえ、お気になさらず。珈琲は嫌いですので」
……何か答えがズレてたかも。でも私はそう言って笑うと、頭を下げた。
時計屋さんも気まずげな顔でうなずき、エースへのお説教に戻る。
――何となく対人関係が苦手そうな人ですね。
でも不思議と嫌な感じがしない。
あと、ついでにエースを見る。
目が合うと彼は、なぜか驚いたように私を見て……敵意をもって睨みつけてくる。
敵だ!やはりこいつは敵だ。いつか倒す!!
エースにだけ見えるよう中指を立てておくと、今度こそ出口に歩いて行く。

――でもなあ……。

この部屋は何だか見たことがある気がする。
『初めて』という感じがしない。
けど時計屋さんに、私を知っている様子はない。相談できる間柄でもない。

時計屋さんの部屋を出るしかなかった。
もう来ることはないだろうと思いながら。

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