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■墓守領の紅茶娘・上

四つの領土が争うダイヤの国。
私こと余所者ナノは、別の国からダイヤの国に『引っ越し』て来ました。
他のことは思い出せません。
どうも、落ちたショックで、記憶喪失になったみたいなんです。
自分の名前と紅茶好きであること以外、何も分かりません。はい。

……もう少し慌てるべきかとも思います。ですが、私は過去にも何度か記憶喪失に
なってるらしく、現在の状況にも、わりかし冷静に対処しています。
頭の重大な機能に、欠陥があるのでしょうか、自分……。

それで、銃弾飛び交うダイヤの国をフラフラしていた私ですが、偶然、墓守領の
領主であるジェリコさんに拾われ(?)ました。
そして、当面の住居をお世話していただいたのです。
めでたしめでたし。


……しかしこれから、どうすればいいのでしょう。


…………

動く。ナノさんの手は高速で動く。
――3番紅茶製作開始。ブレンドティー。
コンロにかけた湯は沸騰寸前。猶予はないが、手は動く。
配合はダージリンベース。ディンブラ、キャンディ。配合5:2:3。
さじに乗せた茶葉の重さは、勘で量る。グレードはブロークン・オレンジ・ペコー。
ティーポットの湯は捨てる。急げ。茶葉良し、ヤカンの湯温は?98度。良し。
ポットは?暖かい。ティーポットに茶葉投入。色、香り良し。
ポットの上から、叩きつけるようにお湯を注ぐ。茶葉、浮け。
そしてティーコジーをかぶせ、蒸らし開始。顔を上げる。
――その間に5番紅茶の制作開始。ストレート。硬水使用。
アッサム。グレードはティピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコー。
ティーポットに投入。
茶葉良し、湯温97度。良し。お湯を注ぐ。
ティーコジーをかぶせる。蒸らし開始。蒸らし時間短め。注意されたし。
その間に――

そのとき、バタンと、部屋の扉が開いた。

「っ!!」

紅茶の世界から現実に引き戻され、私は顔を上げる。
「あ、ジェリコさん!」
私は顔を輝かせ、部屋に入ってきた人物を見た。
「…………」
館長服のジェリコさん。眼鏡の奥の鋭いまなざしで、私を見る。
そして、私の背後に見えるものに、わずかに目を見開いた。

紅茶。テーブルには大量のティーカップ、ティーポット、ヤカン、その他いろいろな
品物があった。テーブルのすみに開かれたノートには、紅茶のデータがぎっしり。
あと本。主に美術館からお借りした、紅茶関連書籍が、ソファに、床に、大量に散乱
していた。あ、扱いがぞんざいでしたね。これは反省せねば。
そして茶葉の袋。とにかく大量の茶葉の袋がある。
テーブルの上のみならず、キッチンにも所狭しと置かれ、ほとんどは開封されてる。
しかし私も無駄に開けているわけではない。カビが生える前に飲みきる自信はある。

「ジェリコさん、どうぞ。一番お勧めのブレンドティーです」
私は3番のブレンドをカップに注ぎ、ジェリコさんに差し出す。
「…………」
あれ、どうしたんだろう。あの親切で頼りがいあるジェリコさんが、笑顔も何も無く
差し出されたカップを無言で見つめている。どうしたんだろう……。
そして、すぐにハッとする。
「あ!す、すみません。ストレートの方がお好みでした?」
急いで3番の紅茶を飲み、配合と味だけ、急いでノートに書き付けた。
5番紅茶の蒸らし時間はもういいだろう。
ティーコジーを取り、ティーカップにティーストレーナーという茶こしをつける。
ポットをカップに傾けると、美しい赤色の紅茶がとくとくとカップにそそがれる。
うん、アッサムの上級茶葉の甘い香り。
「蒸らし時間を少し短くするのが、このフラワリーの香りを最大限に引き出すコツなんです」
色良し、香り良し。ジャンピングも成功のようだ。
「はい、どうぞ」
とびきりの笑顔で、ジェリコさんにカップを差し出す。
「…………」
しかし、ジェリコさんはやはり無言だった。
そして私はまたも失態に気づく。差し出したアッサムを自分で飲みながら、
「え……えーと……あ!やはり領主様なら、高価な紅茶ですよね。
失礼しました。では、こちらのクオリティ・シーズンの貴重な――」

「外に出ろーっ!!」

ジェリコさんの怒声が部屋に響いたのであった。

…………

ジェリコさんは、ジェリコさんらしくもなく、ブツブツ呟いている。
「俺もよく考えるべきだったぜ……。
墓地で紅茶を飲むような子が、大人しく客人をやってるわけがないんだ」
「ジェリコさん、どうしたんですか?私、大人しいですよ?」
手首をつかまれ、廊下をずるずる引っ張られながら、私は聞いてみた。
ジェリコさんは冷たい目で私を見下ろし、
「ああ、そうだろうな。ある意味では大人しいな。
必ず出ろと言っておいた食事会にも出ず、部屋に引きこもって紅茶三昧。
これなら時計屋の方が、まだ姿を見かけるくらいだぜ」
そう言って、私を引っ張っていく。

……うむ。私はここに住み始めてから、ほとんど外に出ていません。
睡眠も食事も最小限にとどめ、ひたすら紅茶のデータを、猛烈な速度で収集していたのです。

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