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■墓守領の人たち・上

『ようこそ、ダイヤの国へ、ナノ』

……という夢を見た。

「え!?夢オチ!?」
がばっと起き上がるなり、叫んでみる。
「て、あれ?」
目をぱちくりさせた。私はベッドに寝ていた。
今いるのは、一通りの設備が整った客室だ。
ベランダの向こうは美しい森林、その上には見事な青空が広がっていた。
私は、お借りした寝間着姿でベッドに座り、首をかしげる。
「夢だったんですか?あれ?えーと、どんな夢だったっけ……」
夢の記憶は覚醒するなり、急速に薄れていく。
しばらく思い出そうと頭をひねったけど、結局何も思い出せなかった。
もちろん、夢以外の記憶の方も。
「うーん。何か飲みたいですね」
とりあえず、目覚めの紅茶を飲むべく、客室備え付けの小さなキッチンに向かう。
「お!」
そこにはちゃんとコンロやピカピカのポットが置いてあった。
「おおー!」
バスガス爆発……じゃない、ガスっていいなあ。
他にも何かないかとキッチンを漁ると、基本的な食材と、紅茶の茶葉が出てきた。
「さて、朝一のブレンドはどうしますかね?」
私は腕組みし、紅茶のデータを引き出すことにした。

…………

「ナノ、いるか?」
誰かが部屋の扉をノックしている。
私はキッチンに立ち、紅茶を飲みながら、振り向く。
「あ、はい、どなたですか?」
「ジェリコだ。疲れてると思うが、もう××時間帯経った。ちょっと寝過ぎだぜ?」
笑いを含んだ声は、間違いなくジェリコさんのものだ。
あ。ヤバ。そういえば起きてから、かなり時間帯が経つのに部屋から出ていない。
疲れて寝こけたと思われてるみたいです。

……墓地でジェリコさんと出会い、滞在を断った後。
私はすぐにでも立ち去るつもりだった。
でもジェリコさんに、夜の女の一人歩きは危険すぎると強い説得を受けまして。
とりあえず一晩というお約束で、ジェリコさんの領土に泊めていただいたんです。

「ナノ、入りたいんだが、ドアを開けてもいいか?」
またジェリコさんの声がした。
うわ、部屋に入るのに了解を取るとか、気遣いの出来る人っていいなあ!
――…………。
何だろう。何で私はこんなことに感動しているのでしょう。
まるで私の今までの人生、部屋に入るのに了解を取る人など皆無だったかのような
印象を受けてしまう。
「ナノ?」
「あ、はい!どうぞどうぞ!」
再度、扉の向こうから聞かれ、慌てて返事をする。そしてガチャッと扉が開いた。
「おはようございます、ジェリコさ――」
笑顔で私は言いかけ、凍りつく。
「おはよう、ナノ。よく眠れ――」
入ってきた笑顔の男性。彼も言葉の途中で止まってしまった。
「え、ええと、ジェリコさん……ですよね?」
私は恐る恐る確認した。
目の前にいるのは、スーツを着たインテリっぽい眼鏡の人。
いやまあ、ジェリコと名乗ったし、顔に傷もある。その男性も、
「あ、ああ。墓守の仕事以外では、この格好をしていることが多いんだ……」
うん、それなら確かにジェリコさんだ。
そういえば美術館の館長だとも名乗ってたし、服を変えることもあるんだろう。
「おはようございます、ジェリコさん」
改めて、ごあいさつする。
「お、おはよう。よく眠れたか?」
なぜかジェリコさんはまだ戸惑っているようだ。
「ええ。気持ちよく過ごせました。あ、どうぞ、紅茶が出来ています」
私は急いで、戸棚から新しいティーカップを取り出し、ティーポットから紅茶を注ぐ。
「……ああ、ええと……」
ジェリコさん、なぜかキッチンを凝視し、呆然としておられる。
「昨晩のものとは、また配合を変えてみたんです。お口にあうといいんですが」
「どうも……」
カップを差し出すと、ジェリコさんは、戸惑いがちに受け取ってくれた。
そしてそれを飲みながらキッチンを見、
「……もしかして、あんたは今までずっと、紅茶を淹れていたのか?」
うーむ。キッチンには茶葉の袋や紅茶の器具が、ずらーっと広げられていた。
あと、テーブルには、室内の備品のノートが開かれていた。
ノートには早くもブレンドのデータが、ぎっしり書き込まれていた。
「こ、紅茶が好きでして……」
好きというか、私は記憶喪失。自分の核となりそうな要素が、まだ紅茶以外にない。
よって、どうしても気持ちが紅茶に向いてしまうのだ。

断じて自分が重度のカフェイン中毒だとか、盲目的に嗜好飲料を崇拝しているとか、
そういうことは無い……と思います。多分。

…………

そして私は、居住スペースの廊下を、ずるずると引きずられていった。
「いえ、ですから、試したいブレンドがあと、たった数十種類だけで――」
手首をつかまれながら、私は主張してみた。
「寝るまで紅茶を淹れてるつもりか?少しは外の空気を吸えって」
なぜだろう。ただ目覚めの紅茶を淹れていただけなのに、ジェリコさんの何かを
刺激してしまったらしい。ジェリコさんは三職兼業でご多忙な方らしいのに、私を
食堂まで連れていって下さるという。
まだ紅茶を淹れたかった私は抵抗したけど、部屋から引きずり出されてしまった。

ジェリコさんは幾何学模様あふれるモノクロのスペースを歩きながら、
「ほら、ここはエントランスだ。この先の渡り廊下は美術館とつながっている。
美術館から居住スペースに帰るときは、裏の出口か、ここを通ってくれ」
……『居住スペースに帰るとき』?
一晩で立ち去ると言ってあるのに、何か案内モードだ。
そういえば、起きてからかなり時間帯が経つし、そろそろ行かないと。
「ジェリコさん。私、そろそろおいとまを――」
「まあ、いいから、いいから」
しかしジェリコさんは物腰柔らかに見え、私の手を未だに離してくれない。
そして、声がした。

「あ、墓守頭さん!それに君は……」
エントランスの向こうに、小柄な影が見えた。
剣を持った少年だった。

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