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■知らない世界4

「あ、こんにちは」
私は紅茶をもう一口飲み、笑顔で頭を下げる。薔薇つき帽子の男性もつられたのか、
「こ、こんにち……い、いや君は何をしているんだ、お嬢さん」
マシンガンを構え直し、大変に険しい顔で男性が言う。
銃を向けられ、私もちょっと我に返る。
「あ、はい。ちょっと紅茶を淹れてまして」
「紅茶?この状況で?」
「紅茶が好きなんですよ」
当たり前だ。他に理由などない。
今すぐ撃たれる気配では無かったので、ちょっとしゃがんで二杯目を淹れる。
「…………」
薔薇つき帽子の男性の、困惑の気配が、ここまで伝わってくる。
でも私はそれどころではない。
あー、アルコールランプでわかしたから、お湯の量が足らない。
一個目のティーカップを傾けると、ゴールデンドロップが紅茶の水面に波紋を描く。
「お湯が二杯分だと、茶葉の量の算出が難しいですよね」
その紅茶を飲みながら、男性に言う。
「…………」
薔薇つき帽子の男性は答えない。紅茶をのんびり飲む私と地面のティーセット、
複数の茶葉をチラチラ見て、撃つかどうか決めかねているようだった。
――これ、命の瀬戸際の状況なんですよね。
どうも実感がない。実際に撃たれたら、のたうち回って命乞いすると思うけど。
でも記憶喪失で、何に対しても現実感がない。
紅茶が美味しすぎて、抗争という現実と結びつかない。
あと、なぜか目の前のマシンガンの男性に、全く警戒感がわかない。
だから私としては、午後の平和な路地裏で知人に会った。その程度の感覚だった。
もちろん、向こうの男性は私を知っていそうにないけど。

男性が迷っている間、私は別のティーポットからストレートの紅茶を注ぎ、男性に、
「いかがですか?」
「…………」
のんびり笑顔で男性を見ていると、その背後に別の人が現れた。
「どうしたんだ!?敵か!?」
――ウサギ……!?
ギョッとした。
でっかくて格好いいマフィアっぽいお兄さん。恐ろしく鋭い顔をしている。
しかし頭に生えた二本のお耳が凄まじい存在感をかもし出している。
お兄さんは薔薇つき帽子の人から私に目を移した。
「……なんだ、この女」
建物の陰で紅茶を飲む私に、露骨に顔をしかめた。
「こんな状況で紅茶でも飲んで。頭がおかしいんじゃねえか?」
……う、うん、まあ。普通はそう思いますよね。
記憶喪失は頭の異常と言えなくもないし。
ウサギのお兄さんはガチャッと銃を私に向け、
「どうする、気味悪ぃから撃っとくか?」
――あ。何か絶体絶命?
紅茶を飲みながらそう思う。
薔薇つき帽子の方が今うなずいたら、ウサギ耳のお兄さんは恐怖を感じる間も与えず
私の頭を撃ち抜くんだろう。それが分かってしまう。でも動けない。紅茶を飲むだけ。

そして永遠と思える数秒の後、
「いや、放っておこう。この調子なら、フラフラどこかにさまよい出て、流れ弾に
でも当たって命を落とすだろう。我々が撃つまでもない」
……ずいぶんな言われようですなあ。
「それもそうだな。行こうぜ!!」
ウサギ耳のお兄さんは忠実に銃を下ろし、さっさと私に関心を失ったようだ。
より銃声が激しくなった表通りに、すぐ走って戻っていく。
怖くないのかな、すごいなあ。
でも薔薇つき帽子の男性は、すぐには戻らない。
相変わらず紅茶を飲む私を見、言った。
「それで君は何を飲んでいるのかな?恐怖でおかしくなった哀れなお嬢さん」
失礼すぎる言い方だ。けど私は、ストレートティーのカップを男性の方に出した。
「どうぞ」
直接飲んだ方が、わかりやすいと思う。
「…………」
彼はなぜ受け取ったのだろう。
薔薇つき帽子の男性はカップを受け取り、匂いを確かめる。
そして舌で溶かすように一口含む。そしてちょっと驚いたようだった。
「……ダージリンのファーストフラッシュか。いい農園のものだな」
「ええ。ゴールデン・フラワリー・オレンジペコーの含有量が絶妙ですよね」
実はティーセットより、この茶葉の方がお値段が張った。
でも代金に見合うだけの味はあると思う。
「そうだな。こういったものは、淹れ方に技術が出る」
薔薇つき帽子の男性は、抗争を忘れたかのような顔で、目を閉じて紅茶を飲む。
そしてハッとしたように目を開き、私にカップを突き返してきた。
「……こ、こんなことをしている場合では無い。悪いな、お嬢さん」
顔が若干赤い。そそくさと銃声激しき表に向かい、最後に私を振り返る。
「……君の名は?」
「うーん。多分『ナノ』だと思います」
記憶喪失ですし。すると男性は失望したような嘲笑を浮かべた。
「『多分』?はっ。やはり頭のおかしい女のようだな。時間を無駄にした」
そう言って表通りに走っていく。
「失礼な人ですねえ」
上に立つ人みたいだけど。ああいう人とは何があろうと合いそうにない。
そして残された私は残りのダージリンを飲みほし、撤退準備に入った。

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