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■知らない世界3

でも匂いに関して、それ以上分かることも、思い出すこともなかった。
そして。

「お、そろそろお湯が沸きましたかね」
一時間帯後。建物の陰にしゃがみ、私はアルコールランプの炎に目を細める。

記憶喪失を治すと決めて、とりあえず紅茶を淹れることにした。
雑貨店に行き、ティーセット(中古半額品)とアルコールランプを購入。
それに紅茶専門店に行き、数種類の紅茶を手に入れた。
で、人の来そうにない建物の陰に場所を作り、シートを敷き、地面にティーセットを
設置。ランプに点火。小型ヤカンに入れた水をわかしたのである。
やや汚れ、ヒビの入ったティーポットには、最初に持っていた紅茶を含めた、数種類の
紅茶をブレンドした。それとティーポットはもう一つあって、そっちにはまた別の
茶葉をストレートで淹れる。
そこに、計算した角度と高さで二つのポットに慎重にお湯をそそぎ……フタをして
一息つく。そしてふと呟いた。

「……私ってもしかして、お馬鹿なのでは?」

……ですよね。そうですよね。
実は現在の所持金はゼロです。
何だって手持ちの金を全額使って、中古のティーセット一式購入してんだ。
そして路地裏でお湯を沸かし、呑気にお茶会とな。
ちなみに表通りは現在静まりかえっている。
なぜならちょっと前、『抗争がある!』という叫び声が行き交い、ほどなくして人の
気配が絶えてしまったからだ。つまり、ここらはじき、戦場になる。

――そこらへんのカフェに行き、金を払って紅茶を淹れてもらえば良かったのでは?
繰り返すが所持金ゼロ!自分の考え無さに、今頃冷や汗がダラダラ出る。
で、でも何というか、紅茶の袋を見た瞬間に『紅茶淹れたい!飲みたい!』以外の
思考がすっぽ抜けてしまったのだ。記憶を取り戻したいとは別の次元で。
「ば、馬鹿ですか、アホですか、私!ああ困った困った!困りましたね……。
あ、そろそろいいかな」
蒸らし時間が終わった、と本能が告げる。
いそいそとポットからカップにお茶を注ごうとしたとき――声が間近で聞こえた。
外壁に当たったらしい。衝撃で建物ガラス窓がびりびり震える。
――ホコリが紅茶に入らないかなあ、もう。

銃声はそれから一気に増え、近くの建物にも撃ち込まれる。耳が痛いなあ。
私はそれを聞きながら、慎重に慎重にカップに紅茶をそそぐ。
建物の陰から見える表通りの方では、バタバタと怖そうな服の人が走り回っていた。
幸い私のいるあたりは彼らにとって死角なのか、私の存在は気づかれていない。
――しかし、何だって変な帽子をつけてるんですかね、あの人たち。
そしてティーカップを手に取って、私は目を細めた。
――おお、色といい匂いといい。けっこう上出来じゃあないですか。
一口含むと、至福の味が広がる。
ニルギリとウバのファーストフラッシュと合わせたのが良かったかなあ。
そして地面に震動。ぱらぱらと上から瓦礫の破片が降り、私は慌てて紅茶を守る。
うお、私が隠れている建物にも銃弾が撃ち込まれた。窓が割れたらしい音。
ガラスを浴びたのか、流れ弾が当たったのか。建物の住人の悲鳴が私にも聞こえた。
帽子をつけた、ヤバそうな人たちは、どんどん人数を増やし、そこらを撃ちまくる。
今も目の前で、向かいに見える建物の陰に走り、そこを何やら撃ちまくっていた。
私と同じく(?)隠れていたらしい人が、ここまで聞こえる命乞いをしていた。
でもすぐに無慈悲な銃声。さらに悲鳴。
――いや、これ、本当にシャレにならないですよ。私もヤバくないですか?
超ヤバイですよね。早く逃げないと。
いやいや、そう思うなら早く逃げろよおまえ……と、自分で自分にツッコミ。
余裕があると言えば聞こえがいいけど、状況判断も出来ない大馬鹿さんなだけだ。
――森に逃げますか。銀髪さんもいるし。
少なくともあんなメルヒェンな森まで、抗争は来ないでしょう。
そう決めると、私は受け皿とティーカップを持って立ち上がる。
――あ、でもその前にもうちょっと味を確かめないと。
と、私は紅茶を一口飲む。うむ。絶妙な渋みと甘み。気品高い芳香。
「ああ、紅茶が美味しい……」
抗争も逃げることも完全に忘れ、至福の笑顔でのんびり呟いた。
そのとき、近くを走っていた足音が止まる。
今の私の呟きが聞こえてしまったらしい。
「……はあ?」
そして声が間近で聞こえた。見つかったようだ。
――どうしますかね。
ティーカップと受け皿を持ちながら、振り返る。
そこには。

呆気にとられた顔でマシンガンを持つ、薔薇つき帽子の男性がいた。


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