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■知らない世界2

森の空は夕刻に転じていた。
「あ、あの、すみません!ねえ、起きて下さいよ!!」
私は必死に、キノコの森に倒れた男性を揺さぶった。しかし男性は……記憶喪失だの
謎の絶叫をするなり昏倒した男性は、今度こそピクリともしない。
よほどショックだったんだろう。
でも私だってショックだ。いくら自分の頭を叩いても、何も思い出せないんだもの。
「起きて下さい!私のこととか、ここのコトとか、何というかチュートリアル的な
ことをしゃべっていただかないと、困るんですよ!!」
しかし呼べど叫べど、名前さえ知らない男性は、ついに起きなかった……。
「どうしましょう……」
夕暮れの森に立ち尽くし、私は途方に暮れた。

何度も男性に呼びかけ、悩みに悩み、私はついに立ち上がった。
そして銀髪の男性からちょっと離れ、
「すみません。誰か、人を呼んできますからね」
自分を知る人から離れるのは心細いし、見捨てるようで罪悪感もある。
だけど私に残された記憶に、医学の知識は無いみたいだし、小娘が大の大人を担いで
森を抜けるのも無謀だ。
「本当にごめんなさい。必ず戻りますから……!」
そして私は男性に背を向け、小走りに森を抜ける。
――でもあの人……『”また”記憶喪失になったのか!』って言いましたよね。
思い出せないワリに、妙に自分が落ち着いているのは、そのせいかもしれない。
「『また』記憶喪失になったのなら、『また』記憶が戻るってこともありますよね」
そして、私は助けを求めるべく、振り返らず森を走っていった。
しかしその後のゴタゴタで、私が森に戻ることは、ついになかったのだけど。

…………

…………

とりあえず、私は森を出て手近な街に急いだ。
が、そこで世間の風の冷たさに直面した。
助けを呼ぶべく街の人たちに声をかけたんだけど、
「あ、あのお、すみません……」
「急いでるんだよ、話しかけないどくれ」
「も、森に人が倒れていて……」
「知るかよ。どきな!」
……しかしこれでまだ、親切な部類なのだ。いちおう返答してくれるもの。
ほとんどの人は話しかけても気づかないか、故意に無視する。
「余裕のない街ですねえ」
人情味薄く、みんな急いでいる。あるいは疲れている。
その後も何人かに声をかけ、無視されるか冷たい返答をされた。
私はついにあきらめてしまった。
肩を落とし、知らない街をとぼとぼ歩きながら、
「一度、森に戻ってみますか」
銀髪の方の体調も気になるし。そして店の看板が視界に入る。
通りには店が並んでいた。人通りも増え、どうやら商店街に入ったらしい。
店のウィンドウには平凡すぎる私が映っていて、途方に暮れた顔をしていた。
「何か医薬品でも買って帰りますかね」
と、自分は金銭を持っているのだろうか……と、ちょっと自分の身体を調べる。
「おっ」
ポケットを探ると、お財布の感触があった。
人目につかない柱の陰に隠れ、中を確かめるとそこそこの金額が入っている。
これだけの額なら、しばらくは余裕だ。
私は驚きながら、さらに自分の服を調べると、砂時計が出てきた。
「J.M……?うーん。ちょっと思い出せないですね」
メーカー印か何かかな、と思い、砂時計をポッケに大事に戻し、さらに調べる。
「おお!」
どうしてかお財布よりも嬉しかった。ポケットから紅茶の袋が出てきたのだ。
すでに開封された紅茶の小袋だ。量は4オンス、125gですね。
私は茶葉を観察したり、匂いをかいだりして、
「銘柄は無名ですか。何だって、そんなものを……匂いは悪くないけど、ブレンドが
難しそうですね。とりあえず甘みのある品種とあわせてみて――」
そこでハタと止まる。
「……ブレンド?」
試しに思い出してみる。すると、今までと違い、紅茶の淹れ方だのブレンドだのの
知識がずらーっとわき出てきた。紅茶だけじゃ無い。珈琲やココアの知識まで。
「おおお!」
こ、これは……私の記憶って意外とあっさり戻るのでは?
「…………」
としばらく集中したけど知識以外のことが出ない。
「うーん……」
私はしばらく紅茶の袋を眺め、決意した。
「とりあえず、紅茶を淹れてみますかね」
たかが紅茶と言うなかれ。紅茶を見ただけでブレンド法まで一気に思い出した。
紅茶を実際に淹れてみたら芋づる式に、残りの記憶も戻るかもしれない。
そういえば私の服……何か紅茶の匂いがするかも。
茶葉のせいだけじゃない。服のそでをくんくん嗅いでみると、染みついたように
紅茶のいい香りがした。それに……
「薔薇……?」
そう。私の身体からはほんのちょっとだけ薔薇の匂いがした。

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