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■まだクローバーの国3

「それじゃあね、ナノ!」
「帰りにまた来る」
「またな、ナノー!」
「毎度ありがとうございましたー!今後ともごひいきにー!」
仕事に旅に遊びにと、三々五々に散っていく役持ちの皆さん。
余所者の私は頭を下げ、手を振ってお客様を見送った。
「ふう……」
そしてやっと一息ついて、空を見上げる。
空は晴天。髪をゆらす、心地良いそよかぜ。荘厳にそびえるクローバーの塔。
遠くにクジラの鳴き声。いつもと変わらず、私に優しい人たち(一部例外あり)。
この世界に日付はないけど、昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来て。
引っ越しが起きて、いろいろ戸惑って、でも最後には落ち着いて店を開いて。
それからは、こんな平和なときがずっと続いている。

……本当に?

ふと私は考える。
――本当に、ここはずっとクローバーの国だっただろうか。
何か重大なことを忘れている気がする。
でもいくら首をひねっても違和感の源にたどりつけない。
「……片付けますか」
私はあきらめて、飲み終わったカップを屋台の流しに持って行く。
「うーむ……」
そして私は洗い物の前に、ふとポケットに手を入れる。
予想していた硬い感触。取り出してみると砂時計だ。

光に砂時計をかざす。そしてクルッと上下を逆にした。
「…………」
砂時計の砂がサラサラと下に流れていく。
でも時間帯は変わらない。
くびれたガラスと、静かに落ちる珪砂、小さな木の柱。
どうやって作ったのか、これは手作りの砂時計らしい。
底には流ちょうな筆記体の、『J.M』の刻印が入っていた。
「はてさて」
J.M。メーカー名では無さそうだし、誰のイニシャルだろう。
J……ジョーイ、ジェフ、ジャック、ジェニー、ジョージ……ん?
違和感に首をかしげつつ、私は砂時計をポケットに戻した。
そして流しの蛇口をひねり、カップをバシャバシャ洗い出す。
「ジェイソン・モス、ジェイムズ・ミラー、ジェフリー・ダーマー……」
何だろう。これ以上考えてはいけない気がする。
そして、最後に濡れた手をポンと叩き、
「やはりジェイムズ・モリアーティ教授ですか!」
「何がだ」
――ツッコミが入った!
「はい、いらっしゃいませ!」
ツッコミ……いえ、来客の歓喜を抑えつつ、声の方向を見ると、
「げっ」
私の顔からスッと笑顔が消える。声の主は帽子をわずかに持ち上げ、
「接客業にあるまじき歓迎の言葉をありがとう、お嬢さん」
と、ブラッド=デュプレは優雅に微笑んだ。
そのまま彼は、屋台そなえつけの安ベンチに座ると、足を組み、
「ダージリンのセカンドフラッシュ」
と横柄に言いつけた。そして反応に困っている私に、
「早くしなさい。主人を怒らせる真似は賢明とは言えない」
「……毎度ありがとうございます」
ツッコミする気力もなく、私は茶葉の缶を手に取った。


ブラッド=デュプレ。
私がこの世界に来た当初から、私ごときに関心を示されているマフィアのボス。
ただし対等の関係ではない。
思い出したくない、あれやこれやの経緯を経て、向こうからの扱いは
『紅茶を淹れられるペット』。
毎度、好き勝手にさらわれ、好き勝手にされます。しくしくしく。

出来上がった紅茶をブラッドに渡すと、私は自分用にも緑茶を淹れる。
まあ……お客様が少なすぎて、やることもないし。
そして、屋台を出て、ブラッドの向かいのベンチに正座する。
安ベンチが重さでギシギシ言っておりますが、まあ気にするな。
「ブラッド。J.Mっていうイニシャルに心当たりはありますか?」
するとダージリンを飲んでいたブラッドは、目をすぅっと細め、
「ふむ。目が覚めたら、君の身体にそういったタトゥーなり彫られていたと?」
何すか、その世にも奇妙な物語。
「いえいえ、少々、やんごとなき事情がございまして」
冷気をまといつつあるブラッドに慌てて言う。
あと、取り上げられそうな悪寒がするので、砂時計の存在は伏せておく。
「知り合いのイニシャルだと思うんですが、Jのつく人なんていたっけ、と。
ブラッドはB、グレイはGでしょ。ユリウスだってYですし……」
「……ナノ……」
「はい?」
「いや……」
非常に何かを言いたそうな顔になり、紅茶をすするブラッド。
けど、彼は結局何も言わず、しばしの沈黙の後、
「ナノ。身の丈に合わない難問に頭を使うのは止めて、私のことだけを考えて
いなさい。その方が、周囲も頭痛に悩まされることはないだろう」
何だろう。途方もない罵倒を受けているのは分かるけど、きっかけが不明だ。
――うう……。
何か悲しくなってきて、苦い緑茶をすすりつつ、Jの問題について考える。
他に誰かいただろうか。ジャック……でもエースのイニシャルは当然Aだ。
そして、ふと私はある名前をつぶやいた。
「ジョーカー……」
すると頭痛をこらえる顔だったブラッドが、ピタリと動きを止める。
ゆっくりと私を見、静かに問う。
「『ジョーカー』に会ったことがあるのか?」
「…………」
私は湯飲みをベンチに置き、腕組みをする。
まあ異世界に来て色んな知り合いが出来た。そんな名前の人も、中には……。

――何だろう。何か重大なことを忘れているような……。

かすかな頭の痛み。
記憶をたどる。ハートの国、クローバーの国……そして今。
けど、最後に私は顔を上げた。
「いえ、気のせいですね。そんな知り合いはいませんよ」

私はずっとクローバーの国にいる。

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