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■まだクローバーの国1

どこかで扉を叩く音が聞こえた気がした。

「んー……」
寝返りをうつと、ギシッと不吉な音がする。
「また酷使しすぎたかなあ。点検していただかないと、ダメですかね……」
我ながら寝ぼけた声で、ぼんやりと呟く。
そう。異世界に一人暮らしをする余所者、ナノさんのベッドはお安い。
私が一番安いものをと迫ったため、当たり前ですがお安い。
例えるならばコンビニなんかに置いてある通販雑誌で『ソファにもなるベッド!』
とか言って、チープさをごまかしてる感じの低価格ベッド。しかし、そのキャッチ
セールスに惹かれ、購入したとて実際にソファにするのは最初の数日だけ。
後は買い換えで捨てるまで、年がら年中、布団敷きっぱなしのベッドにし……。
――だから何で、こう!どうでもいい知識だけ、子細に覚えてるんですか、私!
異世界に来て、長いのになあ。
ウトウトしながら、さらに寝返りを打つ。
すると、どこかでまたノックの音がした。来客かな。
まだボーッとしていると、扉の向こうから声がかけられる。
「ナノ!俺だよ、俺!ボリス!」
「ボリス?」
知り合いの声に、一気に覚醒。私はガバッと起き上がった。
そしてパジャマの上に羽織を引っかけ、ベッドから下り、スリッパでバタバタと扉に
向かう。うっすい扉を開くと、ニッとチェシャ猫が笑っている。
「や!ナノ!」
「ボリス!どうしたんですか?」
「マタタビ紅茶を飲みに来たんだけど、店が開いてなかったから……お休み?」
「――っ!!」
ヤバイ。七時間帯で起きるはずが、また寝坊した!
「開店しますよ!!すぐ行きますから、お、お待ちを……うぁっ!!」
最後の悲鳴は、バタバタと走ろうとして、転びかけたため。何せスリッパなもんで。
「おっと!」
でも薄い床に激突する前に、フワッと受け止められた。
いつの間にか隣にいたボリス。
片手で私の身体を支え、禁の瞳で優しく微笑んでくれていた。
「ほら、慌てないでいいよ。俺はちゃんと待ってるからさ」
他のカフェじゃ、あんな美味しいマタタビ紅茶は飲めないもんね、と笑う。
「ど、どうも……」
ちょっと顔を赤らめながら、私は気恥ずかしくベッドに向かう。
そして、乱れたベッドに羽織を放り投げ、パジャマに手を……
「……ボリス。いつまで、ここにいらっしゃるんですか?」
ちゃっかりテーブルに座り、頬杖ついて着替え鑑賞体勢な猫に低く問う。
「あはは。バレた?寝ぼけてるみたいだったから、イケると思ってたんだけど」
チェシャ猫はカケラも悪びれず『よっと』と器用に一回転して床に着地。
「じゃ、俺、表を掃除して待ってるよ!」
とファーを軽く揺らして、外にかけていった。
「まったく……」
そんなことを言われては怒れない。呆れてため息をつき、私はパジャマを脱ぐ。
「やっぱり、慣れないことを、するもんじゃないですねえ……」
ボリスが座っていたテーブルの上にあるもの。それを手に取る。
『みんなの 算数ドリル』
……ふざけたドリルだけど、こんなものが必要になるほど私は数字に弱い。
手作りの砂時計まであって、解答にかかる時間をチェックしてる。
そしてテキストはまだまだある。
知り合いの役持ちに本棚を一つ増設してもらったくらいだ。
「……にしても、いつ買ったんでしたっけ?」
ドリルをテーブルに放って、砂時計を見ながら私は首をかしげる。
「まあ、いっか」
すぐに考えるのを止める。どうせ誰かが勝手に持ち込んだんだろう。
『記憶喪失』の副作用か元からなのか、私はけっこう忘れっぽいのだ。
「お仕事、お仕事」
私は窓辺に歩き、カーテンをちょっと動かした。
スッと差し込む日の光。
「良い天気ですねえ……」
といっても、ここには良い天気以外は無いけども。
窓の外に見えるのはクローバーの塔。
時計塔はまだ見えない。

ここはクローバーの国。

私はナノ。余所者の素性。日本人ということ以外は全部忘れてる。
特異的な要素はゼロ。むしろマイナス。
どうも、ダメダメすぎて元の世界から脱落し、異世界に招かれたらしいのだ。
ただし詳細は不明。全ては『記憶喪失』の闇の中だ。

「よっと……」
普段着に着替えた私は、壁にかけた黒エプロンを取り、ポケットに砂時計を放り込む。
パンッとはらい、顔をあげ、ついでに頬も両手でパンと打ち、眠気を追い払う。
「さて、頑張りますか」
私は簡易キッチンまで行き、棚を開け、商売に使う珈琲豆や紅茶、ココアパウダー
など一式を取り出す。
両手に抱えると……うう、ちょっと重い。うわ!グラついたあ!!
「おっと!」
で、また転ぶ寸前に支えられました。冷や汗をかきながら、
「あ、すみません。ボリ――」
「気にしないでくれ、女の子を助けるのは騎士の役目だよ!あははは!」
「…………ども」
いつの間にか不法侵入していやがった騎士。彼に軽く頭を下げる。
見ると、裏口の方の扉が開いた形跡があった。
……いつから中にいて、どこまで見ていた。

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