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■そよかぜのように

「ブラッド……」
月夜の道にマフィアのボスが一人。供も連れず立っていた。
「いい月夜だな、お嬢さん」
「そうですね。それではさようなら」
バッとプレハブに走り、全力で扉を閉めようと……
「くっ……!」
扉の間にステッキを差し込まれ、閉めるに閉められない。
外からはゆったりとした声で、
「つれないな、お嬢さん。せっかく届け物をしにきたというのに」
「届け物……?」
「ほら、君の大事なエプロンだ。仕事にさしさわるだろう?」
「あ……」
そういえば、黒エプロンを落としたんだった。
確かハートの城から走ってくる最中に。
そしてまた首をかしげる。
――何の用事で?
時間なんていい加減なこの世界で、全速力で走る用事なんてあっただろうか。
どうも頭に、もやがかかって思い出せない。
とりあえず渋々開けてエプロンだけ受け取ろうとしたけれど……ブラッドはもちろん
強引に中に入り込む。粗末な椅子に勝手に座り、
「それでは、エプロンを持ってきたお礼に紅茶を淹れてもらおうか」
「それ、普通は私から言うことなんですが……」
「そう嫌がるな。紅茶の味だって戻っただろう。
パーティーのときの味は本当に素晴らしかった」
「なら昼間、店に来ればいいでしょう」
「夜明けを待てなかった。君を案じ、会いたい一心でここまで馳せ参じたのだよ」
「はいはい」
とはいえ、飼い主には逆らえない。
私は嫌々立ち上がり、お望みの紅茶を淹れるため、テーブルの上を片づける。
「はあ、本の整理だってまだ終わってないのに……」
プレハブの床をぶち破りそうなほど積まれた書籍の山を見てため息をつく。
でもとりあえずはテーブルの上の『さんすうドリル』を束ね、砂時計を……。
「…………」
砂時計をぼんやり眺める私に、ブラッドは言う。
「それは時間帯を変える砂時計ではないな」
「ええ。そうなんです。勉強をするときに目安があるといいってユ……」
――っ!
息が詰まる。胸が苦しい。

間に合わなかった。伝えられなかった。
何も思い出せないのに、その叫びだけが、刻まれた傷のように心の内を荒れ狂う。

立ちすくむ私をブラッドは静かに眺める。
私も彼を見て、しばらくして、小さく、本当に小さく言った。
「……ブラッド。あの、夜が明けるまで、そばにいてくれませんか」

「もちろん、最初からそうするつもりだったよ、ナノ」
「……ありがとう、ございます」
ブラッドは立ち上がり、私の元まで歩いてくる。
そして、黙って私を抱きしめた。
「君が望むなら、いつまでも、永遠に」
「夜が明けるまででいいですから」
キッパリ言うと、指で顎を持ち上げられる。
「本当につれないことだ。しかし、君の意思をねじ曲げて悪いが、夜が明けたら、
私は君を屋敷に連れて行く。拒むことは許さない」
「また逃げますから」
「また捕まえるまでだな」
そっと唇が重なる。私もブラッドを抱きしめた。
「紅茶、いいんですか?」
「君を慰める方が先だ」
「え……」
「泣いていた。夜道で会ったときからずっと」
そういえば、首元が湿っているような。
ブラッドは、あふれてあふれて止まらない私の涙を舐めた。
なぜ自分が泣いているのか分からない。
けれど、涙が止まらず、どんどんひどくなっていく。
私はついにブラッドの胸にすがり、嗚咽した。
「ナノ……」
背中を抱きしめてくれる温かい腕。

やがてブラッドは両腕で私を抱き上げると、一つしかない部屋の隅にある、粗末な
ベッドへ私を運ぶ。
頑丈では無いベッドがギシッと鳴り、私はまだしゃくり上げながらブラッドを見る。
「あなたは……ずっと、そばにいてくれますよね……?」
「……忘れろ、ナノ。夜が明けて昼になろうと夕刻になろうと。
屋敷に行き、私の部屋に住め。そして二人で永遠のお茶会をしよう」
耳元で甘くささやかれる。
手が服の隙間から忍び込み、触れられた箇所が熱を持つ。
「冗談じゃ、ないです……」
まだ涙を止められず、それでも必死で言う。
「ほら、集中しなさい、お嬢さん」
首の傷あとを軽く噛まれ、薄れかけていた傷に軽く痛みが走る。
「ん……でも、屋敷には、住まないですから……」
「やれやれ。君に恋心が芽生えるまで、どれだけ口説けば良いのやら。
トカゲではないが私も長期戦だな。まあ、どうせ時間などいくらでもある。
永遠に君とのゲームを楽しませてくれ、ナノ」
そう言われ、私はブラッドの胸をくすぐり、少し笑う。
「そう言われると終わらせたくなりますね。ねえ、ブラッド。私は、ずっと……」
「……っ!」
私を愛撫していたブラッドがバッと私から顔を離し、凝視する。
「ナノ、まさか、君は……」
「……なーんて、ね」
どこかの騎士の真似をして言い、片目をつぶる。
「恋より玉露が好きです」
「ふ……くく……本当に君という子は……」
ブラッドが噴き出した。
「あははは」
つい私も笑う。そして彼の胸を指でくすぐりながらからかう。
「ねえブラッド……愛してますよ」
「ふ。残念だな、お嬢さん、もう嘘の季節は終わった。
君の言葉を、真実の告白として喜んで受け取ろう」
「ええ!そんな、今の嘘!無し、無しですよ!」
「だから嘘の季節は終わったと……くく」
「あ、あははは」
抱きしめられ、彼の熱に溶けていく。
そしてブラッドと私は笑いながら睦み、愛し合う。
夜が明けるまで、ずっとずっと。

そうだ。きっとお別ればかりじゃないはずだ。
夜が明けたら、ブラッドより先に起きて店を出よう。
新しく会う人がいたら、笑ってあいさつしよう。

雪が解けて大地に芽を出した物が何か、確かめに行こう。
見えるのが黒い土でも、その下には植物の芽が今にも出ようとしているかもしれない。
怖いなら、ちょっとずるいけど誰かに一緒について来てもらおう。

そして、いつか本当に自分自身の足で歩いて行けるように。

私が選んだ大好きな不思議の国。

その国を吹き渡るそよかぜのように、のんびりと歩いて行こう。

――うん、いつまでも怖がっちゃダメですね。
「ブラッド、本当に大好きですよ」
そして、返事も聞かずブラッドにキスをした。

………………
Thank you for the time you spent with me!!

2011/06/11
aokicam

9/9

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