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■怪盗『黒いアフタヌーンティー』

……そして十数時間帯後の夜の時間帯。
ハートの城の、薔薇迷路でのことだった。

「待てっ!」
「逃がすなっ!!」
私は走っている。ハートのお城の兵士に追われていた。
装束は茶色のローブ、そしてエリオットに適当に買ってもらった簡素な仮面。

ありえないことをしていたし、自分でもありえないと思う。
私は下調べもせずハートの城に潜入し、目的の紅茶を掠め取って逃げていた。
もちろんダージリンのファーストフラッシュ。ブラッドが喉から手が出るほど欲しがっていた品だ。

自分でやったこととはいえ、どう考えても実現出来そうにないことだ。
それが出来たのは、責任者は何をしているだろうと思いたいくらい警備がいい加減だったからだ。
兵士の統制はガタガタで、それぞれが自分で判断するしかないらしい。
おかげで私のような小娘に右往左往させられ、逃げられるのを許してしまっていた。

「はあ……はあ……」
とはいえ女一人の足で鍛えられた兵士から逃げ切るのは厳しい。
振り向きざま、小さな爆弾を投げる。
派手に上がる煙と悲鳴。
エリオットに買ってもらった、殺傷能力のない爆薬や煙幕を駆使して、どうにか兵士たちから距離を開ける。
「……痛っ!!」
銃弾が頬をかすめ、別の銃弾が腕を浅く傷つける。
でも、立ち止まったりはしない。
命の危険もあるけれど、それより強いのは使命感。
――この紅茶を……ブラッドに……!

やがて迷路の外の風景が見えだした。
まだ煙幕もたくさんある。どうにか逃げ切れるかな?
希望の光が胸に差し込んだ。
そのとき、兵士たちの一人が、明るい声になって叫ぶ。

「エース様!」

息絶え絶えだった私は思わず立ち止まる。
どこかで聞いたことのある名前だった。
そして息をつく私の前に、見覚えのある赤いコートの青年が姿を現した。

「……」
どれくらい経っただろうか。
私は未だに動けないでいる。
エースさん……エースの赤い目が、私に動くことを許さなかった。

エースはじっと私を見て、
「……何かそれさ、俺への挑戦みたいな格好なんだよな」
宵闇でエースの表情はよく見えない。
でも笑っているような怒っているような奇妙な声だった。

それにしても、なんでローブに仮面姿が、彼への挑戦になるのだろうか。
「君って面白いよね。ほえほえしてるかと思ったら、こんなことするんだからさ。
余所者ってみんな、こんな変わった子なのかな」
やっぱり正体はモロばれのようだ。
「そして、そんな格好をしてるから、俺は君を見逃さなきゃいけない。
運が良かったね、本当に」
私は動けない。
エースは笑っていたけれど、その手はずっと剣にかかっていた。
理由はよく分からないけど、もしエリオットの買ってきた服が全く別のものだったら私は彼に切り捨てられていた。
どうしてか、そんな確信があった。
私の背後から兵士たちが、
「エース様……賊を見逃すんですか!?」
するとエースは急に冷たい声になり、
「おまえたちがその子を殺していたら全員ペーターさんに始末されちゃうぜ。
陛下はお茶がちょっと無くなったって気づかないって。
さあ、下がるんだ」
エースは兵士たちに合図し、彼らもそれ以上反論せずに従った。

そして、エースと私だけが薔薇の迷路に残った。
ようやく脱力して肩の力を抜く私のそばを、エースは通りすぎる。
そして私の方を向かずに言った。
「言っておくけど、城の軍事責任者として、次は君を殺さなきゃいけない。
女の子の火遊びはこれっきりにしておくんだぜ」
そう言われて反論出来るわけもない。
――というか、この人が軍事責任者だったんだ。
小娘一人の侵入を許すあたり、よくこのお城は持っていると思う。
「それと、早く帰って、腕の傷も治した方がいいと思うな」
言われて、私はさっき銃弾がかすめたところを見る。ローブには小さくない血の染みが広がっていて、今も広がりつつあった。

エースは口笛を吹きながら立ち去ろうとし、最後に思い出したように私に、
「あ、そうだ。『今』の君の名前は何だ? 可愛い泥棒猫くん」
私に名乗ってほしいのだろうか。
完全にお情けで見逃された形の私は、ちょっと挽回したくて胸を張った。

「私は怪盗、黒いチューリップ……じゃなかった。
怪盗『黒いアフタヌーンティー』!!」

そしてエースさんに思い切り爆笑され、傷心のていで城を後にしたのでした。

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