続き→ トップへ 小説目次へ ■眠りネズミ ……ン時間帯後。 シャワーも浴び、ボリスの部屋を出た私は、鬱々と遊園地を歩いていた。 ――うーむ。ここから歩いて帽子屋屋敷に行く、ですか。 さすがに遠いなあ。いや、その前にユリウスのところによれないだろうか。 ――それで、寄って長引いたら、今度こそ撃たれそうですねえ……。 もうとっくに私の不在はバレているだろう。 ていうか行きたくない戻りたくない。紅茶の腕は落ちたしブラッドも冷たい。 やっぱりユリウスの部屋で籠城して……。 「ナノっ!!」 突然、呼ばれて、きょろきょろする。 「こっち、こっち!」 見ると少し人もまばらな芝生に可愛いお耳。 しおれたヒマワリに囲まれてた巨大な齧歯類がいた。 「……ピアス」 眠りネズミのピアスがヒマワリの種をかじりながら、私に手を振っていた。 「ナノにも分けてあげる!たくさんあるんだよ!」 他のヒマワリより一足早く仕事を終えたヒマワリさんたちは、大輪の花を咲かせて 作った子どもたちを、今ネズミに食われている。 何か周囲のお客さんの目が痛い。 「いえ、私は見てるだけで精一杯なので……」 あれ?おなか一杯だっけ。 丁重に辞し、でも立ち去らずに座る。屋敷に帰るのを少しでも先送りにしたかった。 するとピアスがヒマワリから顔をあげて私の顔をのぞきこんだ。 「ナノ。どうしたの?」 小首をかしげる仕草は、女の私より可愛い。 「いえ、何でもないですよ」 「ううん。俺に会ったときから悲しそう。何かあった?」 顔に出ていたらしい。 「うーん……」 私も考えるのは苦手だから、考え事を押しつけられる嫌さは分かる。 『ある日突然、自分が何の能力もない、顔のない人間だと気づいたら?』 元の世界ではありふれた悩みだけど、ここでは珍しい悩み。 きっとピアスまで悩ませてしまうだけだろう。 私は失礼して、ヒマワリの種一つを口に入れる。 あ。結構香ばしくて美味しいかも。 チーズ珈琲はネズミさん以外に売れないけど、ヒマワリ珈琲なら……。 「…………」 それ以上何も浮かばず、私はため息をつく。 本当に私は、飲み物から完全に冷めてしまったらしい。 目を閉じて落ち込みながらヒマワリの種を味わってると、 「ん……」 何やら唇に感触が……え? 「へへ。ナノにちゅうしちゃった」 目を開けると、ピアスが微笑んでいた。 「こらっ」 怒らないと調子に乗られるから怒っておく。でも本気ではない。 動物さんはそれが分かったのか、笑いながら二度目の隙をうかがってくる。 でも私はそれ以上ピアスをかまえず、ため息をついた。 「ナノ、元気ないよ。本当にどうしたの?」 私が反応しないので、ピアスは心配そうだった。 「何でもないですよ、ありがとう」 微笑んで、ヒマワリの種をまたかじる。ピアスもかじりながら、 「俺、頭が良くないけど、話だけでも聞くよ?悲しそうな顔しないでよ」 「うーん……」 これで話さないでいたら今度はピアスの方が泣いてしまいそうだ。 「何て言うか、飲み物がうまく淹れられなくなったんです。珈琲も紅茶もね。 せっかく店をやると決めて、いろんな人を振り回したり、応援をしてもらってたり したのに、それで、このままだったらどうしようって思って」 「そんなの簡単だよ!俺のおうちに住めばいいよ!」 「…………」 まあ何だ、予想通り、可愛いネズミは相談相手にはならなかった。 「ナノ。ナノ。もっと撫でてよ」 「はいはい」 大きなネズミは私の膝にちゃっかり頭を乗っけてヒマワリの種を食べ、私は存分に 耳を撫でている。落ち込みは直らないけど癒やされる。 ――可愛いなあ。 何の悩みも無さそうなネズミさんがうらやましい。 ピアスはくりくりした目を私に向け、 「ナノは、仕事がないとそんなに不安? だってここに来た頃は仕事してなかったんでしょう?」 「う……」 痛いことを言われ、言葉に詰まる。 ――そういえば、最初は珈琲も紅茶も純粋な趣味だったんですよね。 特に良い物を作ろうとは考えず、好奇心だけで、飲んで淹れて。 それで勝手に腕が上がって、皆に喜ばれ、褒められて。 それがずっと続くんだと思っていた。 でも趣味を仕事にし始めたあたりから、歯車が狂いだした気がする。 「ピアスは、自分の仕事が嫌になったり、急にやる気が無くなったりしないですか?」 「しないよ」 アッサリしたものだった。そういえば、ピアスは何の仕事をしてるんだろう。 確かマフィアだったはずだけど。 「汚れる役だけど、ボスが『おまえは役に立つ』って褒めてくれるから頑張れるんだ」 ニコニコ笑う姿に劣等感を覚える。 私はここのとこ、ずっとブラッドをガッカリさせている。 「でも、自分の役が嫌だって奴もいるよ。 俺と違って嫌われたりしないのに、ちゃんと仕事をしないんだ。 俺は頭が良くないけど、そんな奴よりは偉いよ。お仕事をちゃんとするんだから」 「そうですね」 一人だけ。自分の役を嫌っている男を知っている。 「俺は代えの利かない存在じゃないし、仕事も役も捨てられないから、ナノの悩み はよく分からない。でも、ナノが悲しい顔をしてると俺も悲しい。 ナノにはいつも笑っててほしいよ」 「ピアス……」 無垢な好意が愛おしくて、頭をもっと撫でてやる。 するとピアスは名案を思いついた、という顔で、 「そんなに悩むのが嫌なら、悩まないようにしてあげようか? あ。そうだ。思いだした。監獄に行ったとき、俺、決めたんだ。 今度会ったとき、君がどこにも行かないよう、ノコギリで……」 猛ダッシュで逃げた。そりゃもう必死で逃げた。 ノコギリ片手に追いかけられた恐怖は多分一生忘れられない。 森なら恐らく、一時間帯後には…………だっただろうけど、遊園地なのでボリスに 助けてもらえた。 「ボリス、やめて、やめて、やめてよぉ!!」 「止めるか、馬鹿ネズミっ!!」 猫にいじめ倒されるネズミの悲鳴を心地良く聞きながら、私は夕映えの遊園地を ぼんやりと見ていた。 そして…… 「ナノ〜」 疲れた顔のエリオットが、私を迎えに来たのだった。 1/2 続き→ トップへ 小説目次へ |