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■チェシャ猫・上

私は丘に座り、自分の茶園を眺めている。
「セオリー通りなら、旅に出るところなんですが……」
んでもって、画家の知り合いの家に泊めてもらって一晩寝て、あとは飛行船に事故
でも起きれば勝手に治るはずなんだけど。
しかし意欲消失はまた別物だ。
魔法を使う気が無ければデッキブラシだって動かない。

私は茶園を眺める。時期的にはオータムナルだ。
――茶を摘んだ方がいいですかね。
この間は、子どもの身体にも関わらず、歌を歌いながら喜んで茶を摘んだ。
今は『摘まなきゃ』と思うだけで、何も感じない。動くのが面倒。
まあ、潰してくれと頼んでるのに勝手にブラッドが残しているんだから、帽子屋屋敷
の方で勝手に管理すればいい。
「…………」
そんな自分にまたもショックを受ける。
――私、こんな嫌な人間だったんですか?

不思議の国の住人の機嫌を取ろうと、愛想を振りまき、飲み物の腕を必死に磨き、
誰にでもいい顔をして。
それで、それなりに立場が安定したら、その情熱をあっさり捨てる。
「ユリウス……」
私は膝を抱えて、帽子屋屋敷の門を見る。

ユリウスに会いたい。今すぐに。
彼なら、私を叱り、呆れ、それでも親身になって考えてくれるだろう。
ユリウスに惹かれたのは、彼が自分を装わないからだ。
根暗で性格が悪くて人づきあいが苦手で。それを隠しもしない。
自分を装わない彼の前では、私やエースも装わなくてすむ。本音でつきあえる。
時計塔にいたら、例え珈琲への情熱を失っても、私は動揺しなかっただろう。
ユリウスに会いたい。今すぐに。
――でも、今はきっと帽子屋屋敷を出られない。
私への不信感をあらわにしたブラッドが出してくれない。

ただ、ハロウィン・パーティーが終わればすんなり出られそうな気がする。
ブラッドは、浮気性で誠意のない私にカンカンだ。
紅茶の腕も落ちたし、本当に私に愛想が尽きかけてるのかもしれない。
「…………」
――それで、いいじゃないですか。
マフィアのボスだ。関係がないに超したことはない。
うつむき、膝に顔をうずめる。下らない自己嫌悪で、涙がこぼれそうだった。
そのとき肌に感じる風を冷たく感じた。
「?」
顔を上げる。帽子屋屋敷の風景が、ゆっくりと変わる。
「え……?」
そこには、見覚えのある監獄の……

「ナノ、ナノ」

肩を叩かれた。我に返ると、ちゃんと帽子屋屋敷の庭園だった。
そして振り向くと、ピンクの猫さんがいた。
「ボリス……」
「どうしたの?元気ないじゃない」
「いえ、大丈夫ですよ」
にっこり笑うと、ボリスも笑う。
賢いチェシャ猫だからごまかせたかは自信がないけど。
「ナノ、約束だろ?プールに行こうよ。迎えに来ちゃったんだ」
「へ?」
ボリスは目を輝かせて私の腕を引っぱる。
前にも同じことがあったような……いいんだろうか。不法侵入を許しまくって。
「先約があるんです。ハロウィン・パーティーが終わってから行きますよ」
「開始はまだ先の時間帯だろ?俺は今すぐナノと遊びたいの!
ほら、ブラッドさんが来ないうちに早く早く!」
言うが早いかボリスは、いつの間にか出現した扉に、私を引っぱっていく。
「ちょ、ちょっとボリス!私は今、人生という名の袋小路を散策してですね……」
というか、浮気をチクチク言われたばかりのなのに、ボリスの誘いを受けたら、
ブラッドにどんな嫉妬をぶつけられるか……。
「はいはい。ほら、ボーッとしてるとエイプリル・シーズンが終わるよ。
さあ、くぐってくぐって」
「ちょっとボリス!」
抗議したときにはもう扉をくぐっていて。
私は夏の国に戻って来た。
――ああ、もう!

飲み物の腕が落ちたのなら、流され体質も直ってると良かったのに。

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