続き→ トップへ 小説目次へ ■帽子屋屋敷・3 使用人さんたちが紅茶に口をつけ、そして言う。 「え?」 「あれ……」 一瞬だけど厨房がざわめいた。 「え……やっぱり不味かったですか?」 私は思わず、紅茶を飲んだ使用人さんたちを凝視する。 するとすぐに数々の優しい笑顔が返ってくる。 「まさか!美味しいですよ、ナノ様〜」 「さすがナノ様の紅茶ですね〜」 「あ、あはは。ありがとうございます」 私も笑顔を使用人さんたちに返した。 でもその笑顔は少し、ぎこちなく見えたかもしれない。 私の紅茶の腕が落ちた。 ……あれは少し前の時間帯のことだ。 久しぶりに帽子屋屋敷に来た私は、思う存分、紅茶を淹れるぞと張り切った。 そして時間をかけ、正確に淹れて、ブラッドに持って行った。 一応、家主だから。一応。 無難なブレンドティーだけど、淹れ方に間違いはないはずだった。 でも書斎にいたブラッドは一口だけ、私の紅茶を飲むと、 『……もういい。別の者に淹れなおさせる』 ティーカップを返し、二度と私を見ようとしなかった。 『……失礼ですね、ブラッド。そこまで怒らなくてもいいのに』 書斎を出た私はブツブツ言いながら紅茶セットを持って廊下を歩いた。 『お姉さん!』 『お姉さん〜』 そして走ってきたのはハロウィンの仮装をした可愛い双子だった。 スポーツの秋とやらで遊び疲れたらしい双子。 喉が渇いているらしいので、少し冷めたさっきの紅茶を勧めた。 そして双子は一口飲むなり、ディーは、 『あれ?お姉さんが淹れ方を間違えるなんて珍しいね』 と無邪気な顔で言った。ダムも、 『本当だね〜失敗して不味い紅茶を淹れちゃったお姉さんも可愛いよ〜』 と言って、全部飲まずに走っていった。 後には、立ち尽くす私が残された。 私も自分の淹れた紅茶を一口飲んでみる。何を失敗したのだろう。 失敗だったのはショックだけど、味が分からないことには直しようがない。 『……あれ?』 どこがおかしいのか分からない。 普通の味に思える。正確に淹れた、無個性な紅茶。 でも帽子屋屋敷では失敗作。皆、お茶会のたびに絶品の紅茶を飲むものだから、 紅茶に興味のない双子でさえ、相当に舌は肥えている。 『ええと、前、私はどう淹れてましたっけね』 でもイマイチ思い出せない。 けれどあんまり落ち込まない私は、まあいいかと肩をすくめた。 『どうせ、真剣に淹れても普通のお客さんは味の違いが分からないんですし。 砂糖で味つけすれば子どもさんは喜ぶし、その方が売り上げも……』 『っ!!』 そのとき私は立ち止まった。 今、私は何を考えたのかと。 ゾッとした。 まず売り上げ。味の追及は二の次でいいと、今そう思わなかっただろうか。 『そ、そんなはずはないです。私は、みんなに美味しい飲み物を淹れたいって……』 それから急いで厨房に行き、できる限りの技術を駆使して紅茶を淹れた。 その場にいた使用人さんたちに飲んでもらった。 そして、冒頭の反応だった。 ――でも、どうして。正確に淹れたはずなのに。何で味が分からなくなって……。 厨房で訳がわからず立ちすくむ。どうしていいか分からず、オロオロした。 でも、使用人さんたちは私に優しい。 「お嬢様は獄舎暮らしでお疲れなんですよ〜」 「少しお休みになれば、すぐ元のお味に戻りますよ〜」 あまりに私が動揺していたせいか、口々に慰められた。 けど、使用人さんたちも『元のお味』と口を滑らせた。 私の腕の低下はもはや確定事項であるらしい。 「後片付けは俺たちがやりますから、ナノ様はお休みになっていてください〜」 「は、はい……」 私は使用人さんたちに優しくうながされる。 ――何で、なんですか……。 私はよろよろと厨房を出た。 …………。 肩を落として帽子屋屋敷を歩く。 ――いつから……。 きっかけは遊園地だ。最初はブラッドが気づき、ユリウスやエースにも言われた。 味が落ちていると。 そのときは言い訳が出来た。炎天下の遊園地は楽じゃない。飲み物を売るスタンドは ひしめき、売れ筋は甘いジュース。 珈琲は甘いジュースやお酒と比べてどうしても不利だ。 他の店との競争もあって、砂糖を増やしたり見栄えをよくしたり。 買ってほしい一心でいくらでも媚びた。 で、帰るころにはヘトヘトになって味の研究どころか、そのまま寝てしまう。 でも問題の本質は忙しさじゃない。 ――私はそんな今の自分に危機感を抱いていない。 何とかしようという気がわいてこない。 私は廊下にあった鏡を見る。 どこにでもいる平凡な少女。 でも黒エプロンをつけたらマイスター気分。 みんなをうならせる紅茶や珈琲を淹れることが出来ると、いつしか自惚れていた。 でも、それは本当に、元から備わっていた天性の才能なんだろうか。 無理に無理をし、背伸びに背伸びをして、やっとのことで出した結果なんじゃないだろうか。 そして監獄を出た今、『店を開く!』と宣言したときの純粋な気持ちは、お金の前に 明らかに精彩を欠いている。 「ジョーカー……」 鏡に額をつけて思う。 彼がかりそめの命とともに持って行った私の『罪悪感』。 「余計なものまで、一緒に持って行かないでくださいよ……」 罪悪感を捨てる。エリオットのような完全な悪人になる。 それは心の重荷を捨てて開き直るとともに、自分がこだわってきた大切なもの、 ある種の純粋さを捨てることでもあると。そのことに気がついた。 「私、飲み物を淹れる才能なんて、最初から無かったんですね……」 一点集中すれば、多少は人並み外れたことが出来るみたいだけど、それは火事場の 馬鹿力のようなものだ。動機は永久に続くものじゃない。 私は不思議の国で生きていくため、必死だった。 ただそれだけ。個性も、眠った才能も、隠された力もない、本当に平凡な小娘だ。 3/5 続き→ トップへ 小説目次へ |