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■夢魔

「まあ、何だ。君も苦労を背負い込むというか、難儀な定めだよな」
「…………そうですね」
同情したようなナイトメアに低く言う。
私は彼の机の前のソファに座り、疲れた身体を休めている。
飲んでいるココアは口惜しいことにインスタント。

お世話になったナイトメアには、最初にあいさつに来ようと思ったのに、グレイに
引き留められ、ユリウスと過ごし、エースにつき合わされて時間を食ってしまった。
久しぶりにココアを淹れてあげたいのに、その気力も残っていない。
「ああ。ココアはいいんだ。後でいくらでも淹れてくれ」
ナイトメアはトントンと机の上で書類を束ねる。
「エイプリル・シーズンはどうだった?」
「どうと言われましてもねえ……」
ユリウスに会えたのは嬉しかったけど、後はゴタゴタだったりドロドロだったり
××××だったり、監獄だったりで、あっという間に終わった。
世間ではサーカスや各種お祭りがあったらしいけど、遊園地で少し遊んだ程度。
あとは仕事に追われ、イベントごとにはほとんど参加しなかった。
「君は真面目な子だな。グレイも色恋にうつつを抜かさず、もっと君を見習うべきだ」
むしろあなたが見習って下さい。
「なら、エイプリル・シーズンの残りは遊んで過ごすといい」
心の声を軽く無視し、ナイトメアは言った。
というか立ち上がった。
そして窓を開けて、私に手をさしのべた。
「え?いえ、私はまだお仕事の用事が……」
「遊びに行くぞ、ナノ!」
え。まさか……。


高い、高い。雲がお友達で、下が果てしない。
「うわっ!いやああっ!!」
「ナノ、そんなに暴れないでくれ!本当に落とすぞ!!」
「だって、だって、うあ!ああ!下りる!下りる!!」
「下りるから!もうすぐで地面だから落ち着け!うう、吐血しそうだ……」
私は絶叫しながらナイトメアに抱きついている。
場所は……クローバーの塔近くの……空中。
ナイトメアが私を抱きかかえて空を飛んだのだ。
塔のご領主と空中散歩、なんてロマンチックなものじゃない。
パニックでパニックで下からどう見えるかなんて気にせずナイトメアに抱きついて
絶叫しまくっている私でありました……。

「はあ……はあ……」
「ナノ、大丈夫か?」
雪の溶けかけた街に下ろしてもらい、ナイトメアに背中をさすってもらう。
病弱領主様が女の子を介抱している図に、領民たちもびっくりだ。
……決して、空から下りてきた絶叫する少女に注目しているわけではない。
「よし行くぞ、ナノ。エイプリル・シーズンは終わりかけているが、見られる
観光地はまだまだたくさんあるからな!」
「で、でも私はお仕事の再開に向けていろいろとやりたいし、店の跡地も……」
「ナノ」
遮られた。
見ると、ナイトメアが珍しく真剣に私を見ている。
「私は君に四季を楽しんでほしいんだ。監獄や冷たい雪や泥棒や……そういう嫌な
ものだけがエイプリル・シーズンだと思って終わってほしくないんだ。
店の跡地を見に行くのは、遊び尽くしてからでもいいだろう?」
「…………」
「遊ぼう。私はもっともっと君にこの世界を楽しんでほしいんだ」
そして、また私に手をさしのべる。もう根負けした。
「そうですね。ではお店のことは、遊び終わってから」
「そうだ。行こう、ナノ」
「……はい!」
私は優しい夢魔の手を取った。
そして、溶けかけた雪の中を笑い合って歩き出した。
……ナイトメアが吐血するまでは。

「……さ、さあ、ナノ、どこに、遊びに、行く……」
ナイトメアは口にハンカチを当てているが、そろそろ倒れそうだ。
行き交う人が私たちを見るなりビクッとして道をあけてくれる。
そういえば塔に来るときもこんな風に嫌な感じだった。
とはいえ、今はナイトメアの方が心配だ。
アミューズメントどころかあの世に遊びに行きそうな感じがする。
雪の上にてんてんと落ちる液体を見ていると、何だか自分がナイトメアに手をかけた
錯覚に陥ってきた。夢魔は青白い顔でミステリアスに笑い、
「……き、君に手をかけられ、終わるのも悪くない……」
「何カッコ良さげなことを言ってますか。行きますよ」
周囲の眼差しに冷や汗をかきつつ、私はご領主さまを引きずっていく。
「ああ、それとナノ。街の顔なしどもが君に道を空けるのはな……」
何か言いかけたナイトメアが止まる。眼前に見えるは真っ白な建物。
「嫌だ、注射は嫌だあ……」
病院を目にしたナイトメアはぶるぶると首を振る。
けど、私はさくさく引きずっていく。
「ここからなら、塔より病院の方が近いですよ。グレイには後で連絡しますから」
「嫌だ、ナノの鬼!悪魔!」
「いい子ですから、ね?」
「いい子とか言うな!ナノのバーカ!」
「…………」
これが、監獄やその後の悪夢で、私を励ましてくれた夢魔なんだろうか。
「もう少し元気になったら、改めて遊びに行きましょう。またお空の散歩に連れて
いってくださいね?」
微笑むと、夢魔も少し気を取り直したようだ。
「……そうだな。私は君とずっと一緒にいられるからな。表でも夢でも」
また引っかかることを言い、小指を出す。
「約束だぞ、ナノ。もう少し元気になったら一緒に遊びに行くからな」
「ええ、約束です」
私は雪の上で、夢魔と約束の指切りを交わす。
そして指を離し、満面の笑顔でナイトメアに、
「それじゃ、病院に行きましょうか」
「嫌だぁぁぁっ!!」
次の瞬間、ないはずの砂煙を立て、夢魔の姿は街の中、地平線の彼方に消えた。

「……元気じゃないですか」
聞き手のいないツッコミを虚しくする私であった。

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