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■騎士

夜の時間帯が開け、シャワーを浴びて私は出発することにした。
「それじゃあ、ナイトメアに会ってきますね」
「ああ。本と砂時計は後で届けさせる」
「お願いします」
「心配するな。必ず届ける。多少ルールを破ってでも必ずおまえに」
何だかやけに大げさだ。
お別れのキスもなく、抱き合ったりはしない。
夜明けの珈琲は淹れたけど、点数も感想もなく無言で飲まれてしまった。
ただ、いつもの倍くらいの時間をかけて飲んでいた。冷めなかっただろうか。
「それじゃ、ユリウス」
「ああ」
彼は素っ気ない。さっさと机に戻り、眼鏡をかけて最初の時計を手に取っていた。
どうあっても、未練の無い男を装いたいみたいだ。
私も切なくため息をつく。
別に奪ってほしいわけではない。
ただ、お互いに好意を抱いているため、距離が遠ざかることが寂しい。
彼は友人として変わらず私を助けてくれるだろう。
けれど一緒になるかは……卑屈な時計屋は自分からは動かない。
――いつか、ユリウスの良さを分かってくれる女性が現れるといいんですが。
そう願うしかない。
「どうした?呆けたように見つめて」
「いいえ。それじゃ、また来ますね」
「ああ」
もう視線を落とし、ユリウスは時計の修理に戻ろうとしている。
「…………」
なぜか私はそんな彼から目が離せない。窓辺で時計修理をする彼を。
「……どうした?」
「いいえ。それじゃあ、また会いましょうね、ユリウス」
「ああ、何度も言わせるな。また会える」
眼鏡を少し上げ、こちらを静かに見つめる時計屋。
「…………」
なぜだろう。いろいろ言わなければいけない気がする。
サーカスのこと、監獄のこと、色んなことへのお礼、あとエースにはもう少し強く
出て欲しいということ、部下になることへのあれこれ、それから、それから……。
でも一つ話せば全部話すことになる。けれど今の自分は忙しい。
「……次に会ったときに話をしよう」
ユリウスが言った。私も我に返り、
「え、ええ、ええ。そうですね。そうですよね……」
――急いで行って、用事を片づけてすぐに帰れば……。
でもなぜそんな気分になってしまうんだろう。
私は扉に手をかける。
最後にもう一度振り向いた。
「ユリウス……」
なぜだろう。泣きたくて仕方ない。この扉を開けたくない。
するとユリウスは眉間にしわをよせ、
「エース。こいつを連れて行け。いつまでも居座られてはうっとうしくてかなわん」
「了解!」
「へ?」
扉がバタンと開き、エースが現れた。
で、扉の真ん前のテント。
「……て、エース!!あなた、ずっと扉の前にっ!?」
「ああ。そうだよ。仲間外れが寂しくてさ。泊まらせてもらってぜ」
いや、ちょっと待て。さっきまで私とユリウスは……その……。
「大丈夫大丈夫。君がユリウスを押し倒した一部始終なんて聞いてないぜ」
……聞いてるでしょう。立派に。
けれどツッコミを入れる前に、ユリウスが静かに言った。

「エース。こいつへの扱いを改めろ。でなければ本当に縁を切る」

珍しく強い口調だった。けどエースは堪えた様子もない。
「うんうん。俺は二人に仲良くしてほしいからね。縁を切られない程度に頑張るぜ」
何を頑張る。というか、私たちをくっつけて、自分も混ざる計画を、未だに放棄して
いなかったのか。
私はエースに引っぱられ、扉から出る。
エースは最後にユリウスを振り返り、
「またな、ユリウス」
「……ああ」
扉が閉まる瞬間に見たのは、ため息をつきながら修理に戻るユリウスだった。

…………。
クローバーの塔を、私とエースは歩く。というかエースがついてくる。
「でさ、ひな祭りは花が散ったから終わっちゃって。君にも見せたかったぜ」
「…………ついてこないでもらえませんか?」
非常に気になる単語を聞いたけど、それよりエースと離れたかった。
彼への好感度は、今やゼロを通り越し、マイナス記録を更新中だ。
油断して、そこらの部屋に引きずりこまれないようにと警戒しながら歩く。
けどエースは変わらずに馴れ馴れしい。
「そんなに嫌わないでくれよ。あっちでは俺もひどかったよ。
ユリウスにも散々叱られたんだ。反省したよ。だから仲直りしようぜ、ナノ。
それにユリウスの部下になりたいなら、俺とは同僚になるはずだろ?」
私は相手にせず、無人の廊下を歩く。
「なあなあ、ナノ。君にそんな風にあしらわれると……寂しいぜ」
「……っ!」
ゾクっと背筋が寒くなる。ゆっくりと振り向くと、騎士の笑顔に会った。
「あはは。やっと振り向いてくれた」
そして私の肩に手を回す。
「なあ、ナノ。例え君が俺の獲物になってもさ。
君が誰も選ばず、いつかユリウスの部下になるっていうなら、俺はもう少し君を見逃していられると思うんだ」
「…………」
彼は監獄では看守で『処刑人』だった。そして今や私は脱獄犯。
でもエースの方から手を下すはないらしい。
私が誰の女にもならず、ユリウスのそばにいる限り……。
エースはかがんで私にキスをする。

「好きだよ。君がいくら俺を嫌いになっても、君が本物の悪人になっても、恋人が
たくさんいても、俺は君をあきらめられそうにない」

悪夢と紙一重のことを言う。
あと『恋人がたくさん』って何だ、言い直せ。
エースは私を抱きしめながら言った。
「本当に、出会いから悪かったのかな。あのとき、妖精の力を借りて空から降りて
きた君が、メイド服姿になって王位継承権を持つ第二王子のために、伝承歌の館に
入り込んで魔法学校に通いながら、砂漠の国でお婿さん探しをして俺に出会って」
「…………」
彼の出会いシーン捏造は進化を続けていた。
というか設定の詰め込みすぎで、そろそろ破綻するフラグが立ってますよ。

「それじゃ、連戦で悪いな、ナノ」
エースは私の腰を抱きながら、適当な客室に足を向ける。
私はあきらめて、深く深くため息をついて従う。

エースとの関係は、今までと変わらずに、闇の中を進み続けるようだ。

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