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■トカゲ・下

電話を取るなり、受話器の向こうで相手が怒鳴りだした。
『おい!いったいいつになったら私の部屋に来るんだ!』
「ご、ごめんなさい。グレイが出してくれなくて……」
そう。私はクローバーの塔の、グレイの部屋にいる。
あれから×十時間帯ばかりずっと。
『私をおまえの連絡先だと思った奴が、電話をしてきて非常に迷惑している!
礼に来るような奴だと思ってはいなかったが、顔くらい見せに来いっ!!今後のこと
も話し合うんだろう!自分でたぶらかした男だろうが!自分で何とかしろっ!』
抗議だか心配だか説教だか嫉妬だかよく分からないことを一方的に怒鳴り散らし、
ユリウスはガチャンと電話を切った。
――ああ、着信拒否されましたかね。
あれ?それでダイヤル式電話って、結局、着信拒否出来たんだっけ。
あ、まあいいや。どうしてもアレだったらメール……じゃなくて手紙、は破られそう
なので……やはり糸電話だろうか。
私は怠惰に寝そべっていたグレイのベッドから這い下り、紙コップを探す。

グレイが買い物袋を抱え、仕事から帰ってきた頃。
そのときには、どうにか糸電話が完成した。
「……何をやってるんだ?ナノ」
紙コップを誇らしげに見る私を、グレイは不思議そうに見ている。
「あ、ちょうど良かった、グレイ。この紙コップを持っていただけます?」
「あ……ああ」
つきあいの良いグレイは素直に紙コップを持ってくれた。
私はグレイに部屋の向こうに立ってもらい、糸をピンと張ると、紙コップに、
「あーあー、本日は晴天なり。グレイ、聞こえますか?」
そして紙コップを耳に当てる。かなりの沈黙の後、
『……感度、明瞭度ともに良好だ』
それだけ帰ってきた。私は満足して紙コップから耳を離すと、
「よし、これで完璧ですね」
自信満々にグレイに言う。
「何がだ?」
そこで我に返る。
「…………さあ?」
グレイから紙コップを受け取り、首をかしげる。彼は頭を押さえながら、
「疲れてるんだな、ナノ。そう思いたい。そう思わせてくれ。
そうであってくれ、そうだろう?」
何か懇願されたのでコクコクうなずくと頭を撫でられる。
「それじゃあ、夕飯にするか。待っていてくれ。すぐに作るからな」
その言葉に私は凍りついた。
「…………あの、グレイ、出来れば外に出るか、せめて買ってきて……」
「安心してくれ。今度は上手くいくさ」
グレイは嬉しそうに、得体の知れない形状の魚を紙袋から出す。
「アンコウ鍋だ。期待していてくれ」
期待出来ない。何一つ。
だけど私も私で料理下手だ。
手伝おうものなら、失敗作どころか確実に毒物劇物が出来る。
謙虚な私は、グレイが『自称食い物』を作るのを絶望的な気分で眺めていた。

…………。
監獄から無事に帰還し、めでたしめでたしと思いきや。
何十時間帯か経過して未だにお礼行脚さえ終わっていない。
遊園地には遊びに行けないわ、帽子屋のハロウィン・パーティーに参加出来ないわ、
塔にいながらユリウスどころかナイトメアとさえ、夢の中でしか会っていない。
グレイとすがすがしく過ごしています。
鍵付きです。部屋から出られません。
彼が帰ってきたら×××三昧です。ただれすぎです。また収監されそうです。
『約束しただろう?俺の部屋に帰って来てくれると』
口約束があだになった。まあ、約束通りに来たんだから、出ればいいんだけど。
出してもらえない。
雰囲気に流されて安易に発言するのは止めましょう。本気で。

…………。
「よし、火は通ったな」
室内付きの小さな台所で、どうにかそれは完成を見た。
ソファの上でゴロゴロしていた私はビクッとしてグレイを見る。
けれど出来上がった『アンコウ鍋』を見て、グレイは渋い顔になっていた。
「やはり、少し失敗したな。オレンジジュースの量がまずかったか?」
オレンジジュースの量どころかオレンジジュース自体がまずいと思う。
だいたい、オレンジのものを加えて、なぜ蛍光ピンクの液体が出来上がる。ボリスへの
リスペクトかそれは。
けれどグレイは笑顔で私を振り返り、
「さあ、出来た。食べよう」
出来てない。食べたくない。
私の頭は、どうやって鍋を床にぶちまけるかという作戦で埋められている。
しかし有能な補佐官には一切隙がない。
「グレイ……」
せめて、哀切の目で私は彼を見上げた。
「…………ナノ」
少しの沈黙があり、
「この夕食と、あと数時間帯だけ、君を独占させてくれ」
「え?」
唐突に違うことを言われ、戸惑った。

「分かっている。もうあまり猶予はない。だがそれでも俺は、君をもう一度独り占め
して、確認したかったんだ。やはり俺のそばに置いた方が君は一番落ち着くと」
「…………」
そう、かもしれない。でも今はあのときより状況がいろいろややこしい。
グレイのものにはなれない。グレイも自虐的に笑い、
「君にはやりたいことも行きたい場所もあるんだろう?
俺は女を束縛する男には、なりたくないんだ。けど、あと数時間帯だけ……」
そう言って、テーブルに鍋を置き、歩いてソファに来ると、私を抱きしめた。
「ん……」
甘く舌が絡み、抱きしめ合う。
「ナノ、君が好きだ。いつまでも、ずっと……」
「……グレイ……」
「君の恋愛ペースがどれだけのんびりしていてもいい。
でも、最後には俺を選んでくれると信じている……いや、選ばせてみせる」
自信に満ちた声で言い、もう一度私を抱きしめた。
私はただ頬を赤くしている。そしてグレイは顔を離すと、アンコウ鍋を見、
「さあ、食べよう。もちろん、いくらでもおかわりしていいからな」

新たな絶望へと私を導いたのだった。

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