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■脱獄・4

「エース、本当に止めてください。ユリウスが知ったらあなたを……」
必死に抵抗するけど引きずられていく。
「ユリウス、ユリウス、ユリウスってさ。弱い子は可哀相だね」
嘲笑が返る。エースは私を引きずり、行こうとする。
「エース……離して……ください」
「あははは。それは聞けないな。ごめんね」
爽やかに私の悲劇を肯定する姿に、心がすうっと冷える。私は半分泣き声で、
「エース、離してください!離して……離せぇっ!!」
「……君のその言い方、久しぶりに聞いたな」
エースは驚いたように私を見た。怒ってはいないけど怖じ気づいてもいない。
――そういえば、以前は結構、暴言を吐いてましたよね。
あれ……いつから言わなくなったんだっけ。
けど、それどころではなかった。
エースには全く変化がないし手を緩めてもくれない。
「でも、いくらいきがったってさ。力を伴わないとどうにもならないんだよね」
紛れもない嘲笑で、エースは私を引きずる。
「ほら、確かこっちの方だ、気配があるな。行こうぜ」
私は恐怖で足が震えだした。
「エース……止めて、本当に止めて。そんなことをされるくらいなら、ここで好きに
してください!その方がマシです!!」
「へえ、君の方から誘うんだ。そういう可愛い反応されると、余計実行したくなる」
「…………っ」
この混濁した真っ黒な感情をどうすればいいのか。
弱い自分への嫌悪。眼前に迫る本当の危機、エースへの恐怖。
それらが混ざり合い、襲いかかる。
「やだ、ユリウス、ユリウス……っ!」
パニックになり、女児のように泣いた。そんな私に憐れむように、
「そんなに俺を悪党みたいにわめかないでくれよ。
俺は君がここにいる方がお似合いだって言ってるだけだろ?
大丈夫。最後に俺がちゃんと×××××にしてあげるからさ。
君も……もっと壊れたくなるはずだ」
――この人は……。
たぐってもたぐっても、闇の終わりが見えない。
ユリウスはこの男の狂気に日常的につきあっているんだろうか。
――それに、もし通じてユリウスが追いついてくれても……。
それは本当に危機の回避になるんだろうか。エースも考えを読んだように、
「そうだね。じゃあ二人でユリウスを待ってようか。ユリウスが加わるのもいいし、
俺とユリウスで、可愛い君を、最初から最後まで鑑賞するのも悪くないな」
絶望が浸食する。ユリウスはエースの親友であり、背中を預け合う仲だ。
けれど時として、弱みを握られているのではと思うほど、彼はエースに弱い。
もちろん最初は必死で私を守ろうとしてくれるだろう。最初のうちは……。
「やだ……助けて……」
私はエースに引きずられながら首を振り、必死に叫んだ。
――どうにもならないときは、ユリウスに頼ったように、誰かに助けを……。

「助けて、助けて、グレイっ!!」

「ナノっ!!」

「っ!!」

瞬間、何が起こったのかよく分からない。
とにかく何かが空を切り、エースの手が離れた。
「え……」
目を白黒させているうちに勢い良く身体を後ろに引き離され、視界を黒が覆う。
「え……?」
「ナノ、よく呼んでくれたな」

まるで私を守るヒーローのように。
グレイ=リングマークが私の目の前に立っていた。


グレイが、私からエースを離し、背にかばってくれたらしい。
ようやくそれだけを把握したけれど、私はすっかり震えていた。
「グレイ……グレイ……」
馬鹿みたいに名を呼び、空気に混じる煙草の匂いに夢では無いと安堵する。
緊張から解放され、涙が出そうになった。
本当に、本当に危ないところだった。
「あはは。ユリウスの次はトカゲさん?困ったときはすぐ誰かに頼るんだ」
「じ、自分一人で頑張って、あなたにいいようにされるなら同じです」
グレイの背中にすがって、それだけを何とか言う。グレイは、
「こちらも突破口を開こうとしていた。君が呼んでくれなければ間に合わなかった
かもしれない。俺の名を呼んでくれてありがとう、ナノ」
グレイも肩越しに振り返り、微笑んでくれる。
そしてエースに再び向き合う背中は、殺意に満ちている。
すでに両のナイフを抜き、獣の気配をまとい、攻撃の機を窺っている。
エースも、どこから取り出したのか嬉々として剣を構える。
黒の看守と漆黒のコートの補佐官。エースは楽しそうに、
「トカゲさん。何か言ってくれよ。こういうとき格好いい台詞を言うもんだろ?」
「おまえにはかける言葉も失せた。無駄な時間を割く気はない。行くぞ!」
そんなやりとりがきっかけになり、黒と黒が走り出す。
痛いくらいの音を立て、長剣と短剣がぶつかりあった。
「ナノっ!」
グレイが斬り合いながら私に叫ぶ。
「俺に任せて、君は先に監獄から逃げろ!」
「で、でも……っ!」
どういう仕組みかさっぱり分からないけど、私がグレイを呼び出したことは確かだ。
彼が身体を張って戦ってくれているのに、私だけ逃げて……。
「俺のことはいい。俺は君にならいくら利用されても。だから……早く!」
「あはは。俺の領域ならさすがのトカゲさんも不利だからね」
エースは大剣をナイフに叩きつける。グレイは数歩下がり、鋭く言った。
「くっ……ナノ、早くっ!君が出られれば、俺もすぐ脱出するからっ!」
言われたことにハッとする。そうだ。私がいなければグレイも逃げられる。
「わ、分かりました……グレイ、ありがとうございます!」
するとグレイは声を和らげ、
「俺の部屋に来てくれるんだろう?楽しみにしてるよ」
――あ……。
そういえばそんな口約束をしていたんだった。
緊迫した空気が緩むのを承知で、恐る恐る口を挟む。
「あの、グレイ。あれはその場のノリと申しますか、出来れば反古に……」
「塔で会おう、ナノっ!」
気のせいか強引に遮られた気がしないでもない。
しかしグレイが不利なのは事実で、エースに少しずつ押され始めている。
ずっと追いついてこないユリウスも、もしかするとジョーカーさんと戦い続けている
のかもしれない。私は改めて頭を下げた。
「グレイ、ありがとうございます!」
そして走り出す。
「あ、待てよナノ!」
「黙れっ!」
グレイがナイフを叩きつける音。
私は腹をくくって二人から遠ざかる。
背後の剣戟は少しずつ小さくなっていった。

…………。
――で、いったいどこが出口なんですかね。
剣戟も聞こえなくなったころ、やっと立ち止まり、息を整える。
広がるのは薄闇と無人の牢獄の群れ。少しずつ不安になってくる。
「出口なら俺が知ってるぜ」
「っ!」

「よくよく色んな奴を巻き込むよな、おまえ」
黒のジョーカーは呆れたように私に言った。

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