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■脱獄・1

「つまり、エースみたいな感じです。居住地は別だけど、所属は時計塔にします。
ユリウスに、私の上司になってほしいんです」
無限の静寂が続く監獄の中で、私はユリウスに説明する。

「となると、おまえの上司たる私は何をすることになる」
『部下になる』宣言をユリウスは一笑に付さず、聞いてきた。
「経営の助言とか、非常時の仮宿舎とか、後ろ盾になってほしいんです」
クローバーの塔では、お金だけ出してもらっていた。
ユリウスに頼むのは、それよりもっと直接的で重要なことだ。
すると、やはりというか眉をひそめられた。
「おまえにしか旨味のない話だな。トカゲの方が喜んで引き受けるのではないか?」
「クローバーの塔は組織の規模が大きすぎますので……」
必ず過重に頼ってしまう。そうすれば主導権を握られる。
グレイは有能だけど、変な場所でもぶつけたのか、私に好意を抱いてくれている。
彼はずっと私を塔に住まわせたがっている。
心配のあまり私の店をつぶす男に経営アドバイザーなんぞ任せたら。
それこそ、目も当てられない事態になるだろう。

「ゴーランドに頼ったらどうだ?遊園地の経営者だし、信頼出来る男のはずだ」
「いえ、あちらも忙しいですから、そこまでご迷惑をかけるわけには……」
ゴーランドさんはワゴンまで買い直してくれたらしい。
ああいったものの値段は知らないけれど、簡単に買える安いものではないはずだ。
彼も彼で、頼もうものなら、グレイとは別の意味で、全力で支援したがるだろう。
「それで私に迷惑をかけるのはいいのか?
私も仕事で忙しい。おまえにばかり構ってはいられないのだが」
案の定、渋い顔をするユリウスに、必死で頼む。
「お願いです。クローバーの塔にはあまり頼りたくないですし、ゴーランドさんは
知り合って日が浅いですから、そんなたいそうなことは頼めません。
頼れるのはユリウスしかいなんです」

とはいえ自分で言いながら自信が無くなってくる。ユリウスも冷たく、
「図々しいにもほどがあるな。それは上司というよりパトロンだろう。
私の居住を見れば、そんなに余財も余裕もある仕事でないとすぐ分かるはずだが」
「だって……」
勇気がどんどんくじけて口ごもってしまう。
一度現れた鍵は再び薄ぼんやりし、今にも消えそうだ。
自分もユリウスを、利用対象にしか思ってないんだろうか。
説得する言葉も尽きた私はポツリと呟く。
「だって……エースを部下にしてるんだから、私を部下にしてくれたって、いいじゃ
ないですか……」

「は……はは」
――え?
耳を疑った。さっきまでの冷たい態度が消えている。
あのユリウスが、肩を震わせて笑っていた。
「え?」
一瞬のうちにユリウスの格好が看守姿から時計屋の服になっていた。
「え……え?」
こちらは逆に戸惑う。いったい何がユリウスのツボに入ったんだろう。
そしてユリウスは笑いを抑えながら、
「お、おまえ、もしかしてエースに妬心を抱いているのか?」
「違いますよ!わ、私はユリウスしか頼れないから……」
赤くなって首をふる。その言われ方だとまるで子どもの焼きもちみたいだ。
「全く、本音を隠す奴だ。甘えたいのなら最初からそう言え」
「違いますってば!」
けれどユリウスは時計屋の格好で牢の天井を仰ぐ。
「今はエイプリル・シーズンだ。私だって、嘘くらいつかれてもいいだろう」
「嘘じゃないですよ!」
ムッとして否定するけど、ユリウスは嬉しげに私を見、また抱き寄せた。
私は胸に再び耳を押し当て、時計の音に耳をすます。
どれくらい経っただろう。返事を待つ私に、ユリウスは言った。

「ナノ、考えるんだ」
ユリウスの藍の瞳が、優しく私を映し出す。
「え?」
「おまえは、あきらめが早すぎるだけだ。他の愚か者どもが言うほど無能ではない」
「?」
「分かっているんだろう?この場所が『何』なのか」
「…………」
分かっていた。無意識に理解していた。鍵のことも罪悪感のことも。
私は迷惑罪とか姦淫罪とか、具体的な罪状で入ったわけではない。
自分で望んだからここにいる。入れてもらえた。罰をもらえた。
――あとブラッド。やっぱりカフェインは関係ない気がします。

「いいか。試行錯誤し、最善の道を探し続けるんだ」
ユリウスは私に説いた。
「常に努力する者を愚か者呼ばわりする奴はいない。
おまえは怠惰に生きている者たちより、よほど賢く生きている」
「……でも、やっぱり頭が悪いですよ。力じゃ叶わないし、何回もやって、どうにも
ならないことも多いですし」
するとユリウスは私を抱きしめ、深く口づけた。
「ん……」
私も首に手を回し、抱きしめ返す。
ユリウスは再び顔を離し、間近の私に言う。
「どうにもならないときは助言を求めろ、誰かに頼れ。
私に頼ったように誰かに助けを求めるんだ。
夢魔でも白ウサギでもチェシャ猫でもトカゲでも……マフィアのボスでもいい。
そいつがおまえに何か企んでいるなら逆に利用し返せばいい」
「……はい」
私が精一杯に伸ばした手をユリウスはしっかりと握る。
「覚えていて欲しい。私の部下になりたいのなら」
「…………」
今すぐ部下にしてくれる気はないようだ。
「例え、遠く離れても。それだけは覚えていてくれ」
涙があふれる。なぜだか自分でも分からない。
嬉しいはずなのに、不思議に悲しくて仕方ない。
さっき言われたとおり、考えようと思うけど、何かに流されていく。
ポロポロとこぼれた涙をユリウスの舌がすくうけど、全部すくいきれずに流れていく。
私はユリウスの胸にすがり、しばらく泣き続けた。
「ナノ、帰るぞ」
「……うん」
私はユリウスともう一度、唇を重ねた。

…………。
「それはそれとして、エースより格下なのは嫌なんで、ナンバー2がいいんですが」
「調子に乗るな!!」
ゴツンとぶたれた。
まあ『時計屋の腹心』という二つ名は、ユリウスには悪いけどサマにならない。

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