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■たったひとつの冴えたやりかた

悲しげなユリウスの瞳は、いつ見ても大好きだ。
牢に座りこむ看守姿の時計屋を私は抱きしめる。
「ん……んん……」
「ナノ。よせ。もういい」
舌を絡め、何とかユリウスを誘おうとするけれど、こちらが焦るほどユリウスは
冷めてしまうようだった。必死な私を押し戻し、目を伏せながら、
「それに、傷だらけの女を抱く趣味はない」
と苦しそうに言った。
「あ……」
私も自分の身体を見下ろす。確かに。いつも以上にぼろぼろだ。服も身体も。
ジョーカーさんが行った後に黒のジョーカーが来て。
常の比ではない強さで打っていった。
動くのも辛いけれど、私としてはもっとひどくされても良かったくらいだった。
ブラッドが一度奮い立たせてくれたものは深くに沈み、もうカフェインの魔力も
利かない。私はまた罪悪感の海に沈むようになった。
その後に来たユリウスに私は隠さず事情を話した。何一つ隠さず。
そうしたらユリウスはため息をつき、
「ここはジョーカーの領域。帽子屋よりあいつが有利なのは当たり前だ」
おまえに非はない、とユリウスは私を強く抱きしめる。
そうされると、ジョーカーに打たれたわけでもないのに罪悪感がかすかに薄まる。
ユリウスの時計の音に耳を澄ませると、少しずつ心が落ち着いてきた。
「おまえが誰か、相手を定めれば話は早いんだがな……」
それは私も以前から思っていたことだ。早い内から『この人』と恋心が芽生える人が
いたら、こんなややこしい事態にはならなかっただろう。
「おまえは誰が一番好きなんだ?」
「ユリウスです」
即答すると看守服の時計屋は、言葉をつまらせた。
「おまえは、また……」
顔を紅潮させながら言われても、実際にそうなんだから仕方ない。
まあいろいろされたけど、彼への好意に変化はない。
つきあった時間は短いけれど、彼の存在は私の心にスッと入り込んでいた。
エースや私のような不安定な人間を惹きつけるのだ、ユリウスという人は。
「ユリウス、私と結婚しますか?」
彼が私に好意を持っていることは確定しているので、一応言ってみた。
するとユリウスは頭痛をこらえる顔で、
「だから妥協で気軽に持ちかけるな。本当に軽い女だと思われるぞ」
むしろ軽い女だと思っていなかったユリウスに驚きだ。
さすがに傷つけることを言ったとユリウスにもたれかかり、目を閉じる。
傷つけあい、それでも抱きしめてくれる温かい腕。
「やはり、ここにずっといるのがお似合いなんじゃないでしょうか、私。
迫られたら逆らえないし、浮気性だし……」
これもまた妥協案だ。監獄は監獄で苦手なものは多い。ジョーカー自身は嫌いじゃ
ないけど痛いのは嫌だ。ジョーカーさんとエースは言うまでも無く苦手。
ブラッドに私の底力を証明されたけど、何だか自信が復活しない。

「本当はおまえばかりも責められないんだ」
ユリウスはため息をつく。
「おまえが逆らえないことは、この世界の特性でもある。
もっとも嫌われている眠りネズミにせまられても、恐らくおまえは拒まないだろう。
余所者は、ここの世界の大体の住人に好かれるが、おまえもまた、大体の住人に
惹かれてしまう。そういう風に出来ているんだ」
「…………」
「そういう者で無ければこの世界に入ってこられない。余所者は求められる」
ユリウスの言葉なら信用が出来る。
つまりは、元の場所でまた店を再開しても以前と同じ状況に陥るだけということだ。
結局、拒むことは困難で、でも誰と一緒になる気もなく、でも皆を嫌いになれない。
この状況でどうやって、困難を打開して、店を軌道に乗せ、それから……。
――……考えるの、面倒くさいなあ。
私はユリウスにもたれて頭をかきむしりたくなる。
どう考えても頭脳労働派じゃないんだ、私は。
ユリウスが一番相性がいいと思うんだけど、エースの策略でユリウスとも妙な具合
になってしまった。
今のユリウスは欲望に流されたとき以外は、恋愛感情を完璧に締めだしている。
私は、自分と同じく、考えるのが苦手なウサギさんを思い浮かべる。
彼は確かどうしていたっけ。

――あ、そうだ。

アイデアは唐突に浮かんだ。深海から浮上するのも一瞬だった。
私はユリウスの腕の中から立ち上がる。そして驚いて私を見上げる彼に宣言した。

「私、ユリウスの部下になります。で、前の場所で店を続けます」

「……は?」
「難しいことは頭のいい人が考えてください。
私はその間に、珈琲、淹れてますから」
そう言って、手の中に再び現れた鍵を、宙に弾いた。

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