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■ブラッドの来訪

「久しぶりだな、ナノ」
黒スーツのマフィアのボスは少し怖い。
己の領域ではない場所にいるというのに、いつもと違う様子がカケラも見られない。
威風堂々と、いつもの笑みを浮かべている。
対して、私は鉄格子に守られているのに声が少し震えてしまう。
「な、何でここに?」
起き上がれず、横になったまま聞く。
ブラッドは帽子の縁を少し上げ、私を見た。
「私は逃げたペットを探しに来ただけだよ、お嬢さん。
拾われ先では、酷な扱いを受けているようだな」
「ペットじゃないですって」
「遊園地に追いつめ、のんびりと網を張ろうとしていたら、監獄の所長が拾っていった」
スルーされた。
「道化ごときに裏をかかれるなど、口惜しいことだ。
首輪をつけられた暮らしは快適か?」
ブラッドは壁に頑丈に固定された鎖を見ながら言う。
私は返答をするのも面倒に思いながら、
「悪くありませんよ。天井つきだから雪に降られませんし、檻が丈夫だから騒ぎに
巻き込まれることもありませんし」
「だが生気の抜けた目をしている。まるで抜け殻だ」
「なら放っといてもらえませんか?」
苛々して冷たい言葉を投げた。
「紅茶の味が落ちたのをお忘れですか?
もう私はあなたが執着する余所者じゃなくなったんです」
私はふてくされて彼に背を向け、玉露を抱きしめる。
彼は私の淹れた紅茶にガッカリして、しばらく店に来ていなかったのだ。
飲み物を淹れられなくなったナノ。
それは誰の興味も引かない、価値無き余所者の名だ。
「違うな」
ブラッドは言う。
「例え君が、茶に興味も才能もなかったとしても、私は君を求めていた。
紅茶の腕前は、欲しいと思った女についていたオマケのようなものだ」
「オマケ……」
その言われ方も少々微妙だ。紅茶の研究には短くない時間を費やしたのだから。
「それはどうも。それじゃ、満足したら他の女でも探して下さい」
素っ気なく答え、目を閉じる。何もかもおっくうだ。無視してしまえばいい。
いかにマフィアのボスと言えど、今の私に手は出せない。
彼は外から声をかけるだけ。
気力も才能も尽きた私を振り向かせようとする虚しい説得を……
「それで、約束の件だがお嬢さん」
「……約束って、ちょっと」
約束。かなり前のことだ。
遊園地に行く前にブラッドに『一つだけ言うことを聞く』という約束をした。
てっきり×××プレイとか変なことを強要されると思ってたら。
――いえ、実際に最初は×エプロンを考えていたらしいですが。

「我々の領地のハロウィン・パーティーに出ること。それで妥協してやろう」
こんな偉そうな妥協は初めて聞いた。私は背を向けた姿勢から顔だけ振り向き、
「そんな居丈高な態度で接されると行く気も失せますが」
「約束は約束だ。それに君は約束を破る子ではないだろう?」
「その場の口約束を、何か重大な誓約のように思われても……」
ブラッドは静かに言う。
「誓約だ。君と私で交わした誓いの約束だ」
――いや、格好良さげに言われても。×エプロンを頼もうとしたでしょうに。
マフィアのボスの話術などに、だまされる私ではない。

いい加減、不毛な会話が馬鹿馬鹿しくなり、もうだんまりを決め込もうと私は再び
ブラッドに背を向ける。
いくらブラッドでも、何もかも思い通りに行くなんて思わないでほしい。
白が黒に、黒が白になるなんてありえない。私は後悔の海に沈んでいたい。
ブラッドに会って、起き上がるのがますます面倒になった。
もうみじめな気持ちにさせないでほしい。
そして、私の頑なさが通じたのか、ブラッドは言った。
「そうか。君のような子が、監獄で完全に無気力になってしまったか」
そして言った。

「本当に恐ろしいものだな。カフェインの禁断症状というものは」
私はガバッと起き上がった。

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