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■トカゲの面会人

「だからボルシチも、カレーとは違うと思うんですけど」
もはや似ているのは色くらいか。
私はぐちぐち言いながら異国料理をすするのでした。
そして皿をなめる勢いで食べ、水を一気のみすると、牢の外に皿を差し出し、
「おかわり」
「す、すまない。ナノ。ボルシチの用意は……というかそもそも身一つで潜入する
のが精一杯だったんだ」
すまなそうにグレイ=リングマークは言った。
最近はどいつもこいつも冗談が通じない。

ジョーカーも看守も不在な監獄。
一人ぼっちでボルシチを食べていたらグレイが現れた。
貴重なご飯を噴き出すところでした。
結局ナイトメアを振り切って監獄に来たらしいグレイ。
彼は食べ終わった私に懺悔する。
「君を監獄に追いやったことは本当にすまなかった。後悔している。
あのとき、どんな犠牲を払ってでも俺の部屋に連れ戻すべきだった」
「は、はあ……」
何というか、後悔の方向が少々違っている気もする。
グレイは『私を逃がして』監獄に追いやった点を悔いているらしい。
つまるところ、店を壊したこと自体は未だ間違っていると思ってないのだ。
ナイトメアが来させまいとした理由が何となく分かった。
相変わらず真面目な顔をして、すがすがしいぶっ飛びぶりである。
「ナノ。一緒に帰ろう。俺は君の身に起こったことは何一つ気にしない。
怒りや後悔をいくらでもぶつけてくれて構わない。君をずっと守らせてくれ」
「グレイ……」
これだけさんざんな目にあった私を、それでも求めてくれるのがとても嬉しい。
真剣に言ってくれているし、言ったことは本当に実行してしまうのだろう。
私はちょっとだけ起き上がろうとして……果たせずにへたばり玉露を抱える。
――何でこんなに何もする気が起きないんでしょう。
頭痛もひどいし眠くて仕方ない。やはり監獄を出る気が起こらない。
「やっぱりダメみたいです。グレイ、帰ってください」
「ナノ」
一向に動かない私に、グレイは悲しそうなため息をつく。
「グレイ。誰か来たらあなたが厄介なことになります」
けれどトカゲの補佐官は強く首を横に振る。
「嫌だ。俺は君のそばから離れたくない」
「グレイ……」
この人なら本当に、ここの人たちと一戦交えそうな気もする。
けれど監獄ではいかにグレイと言えど不利だ。
不利でなくても、相手がユリウスだったりしたら……どちらが傷つくのも嫌だ。
「お願いです。グレイ。私のことは放って置いて」
「ナノ。一緒に帰ろう。俺は君のことを……」
私はへたばりながら手を伸ばす。牢の外には出せない。
でも鉄格子をつかむグレイの指にかすかに触れる。
グレイは悲痛な顔でうつむいた。
こんな顔をさせていることが本当に申し訳ない。そしてふと思った。
――……監獄でもエイプリル・シーズンって有効なんですかね。
今さらながらに『嘘の季節』のことを思い出す。
だから微笑んで言ってみた。
「私はここで罪を償い続けます。いつか刑期を終えて外に出たら、あなたの所に行き
ますから。待っていてください。そのときまで待っていてくれたら……」
「嫌だ」
グレイもアッサリと馬鹿な嘘を見抜いてくれる。
「君は何も罪を負っていない。罪を問われるべきは俺の方だ」
それでも、少しでも彼の心を慰めたいと嘘を続ける。
「待っていてください。いつか監獄を出たら、必ずあなたの部屋に帰りますから」

…………。
「眠いです……」
グレイが立ち去るよう説得するまで、それはそれはそれは苦労した。
この疲労は罪悪感由来ではなく、頭を使いすぎたために違いない。
私は玉露の袋を抱きしめ、監獄の天井を仰いだ。
「でも私がいつか外に……」
そんなときが本当に来るのだろうか。
もう一度外を走り、みんなのためにお茶を淹れ、グレイやユリウスやブラッドのそばで笑える時が。
――ダメだ、想像出来ないです。
「それに鍵はどこかに行きましたし」
監獄に入るときに使った鍵はすでに消失している。
ナイトメアが言うには、ここから出るには特殊な鍵が必要だという。
でも鍵以前の問題だ。
誰にどんな言葉をかけられても、私はここを出る気になれなかった。
もうジョーカーの言うとおり、永久にここにつながれているしかないのだろう。
そうして少しずつ皆に忘れていき、グレイもやがて誰かと結婚するだろう。
私はもう一度、後悔と不安の海に沈むため目を閉じる。
――グレイが、みんなが、早く私のことを忘れてくれますように。
そうして目を閉じようとしたとき、再び靴音を聞いた。
ジョーカーたちのものではない。
――面会の多い日ですね。
いろんな人に会って疲れた。
誰が来ようと返事をする気になれず、私は苛々と眠ろうとした。
そんな私の耳に声が、

「やあ、久しぶりだな。お嬢さん」
「……っ!」

もう二度と聞くことはないと思っていた声に目が開く。
わずかに残った力で顔を上げると、彼がそこにいた。
彼がついにやってきた。

常とは違う黒のスーツ。それでも変わらない奇妙な薔薇付き帽子。
ブラッド=デュプレが牢の向こうから私を見下ろしていた。

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