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■夢魔と鍵の話

傷だらけの身体のまま横たわり、鉄格子の外を見ている。
ユリウスにもらった薬はとっくに無くなっている。
でもまあ、あれもジョーカーさんの『恩赦』と紙一重のシロモノだ。
苦痛を一時的に和らげても根本的な解決にはならない。
そして私は鉄格子の向こうの玩具たちを見る。

――いつかは、私もあの中の一つになるんでしょうか。

空想だけど、何となく本当にそうなりそうな気もする。
生ける屍と化し、慈悲深いジョーカーに打たれ蹴られるのを待つ悲しい存在に。
でも、それはそれで待ち遠しい。本当の『物』になれば、もう何も感じない。
――私はどんな玩具になるんですかね。
可愛いぬいぐるみだといいな。女の子が喜びそうな大きなクマのぬいぐるみ。
私は横たわったまま空想し、玉露の袋を抱きしめる。
「……?」
そのとき、誰かがこちらに歩いてくる靴音が聞こえた。
誰かがいたぶりに来たのだろうか、それとも慰めに来たのだろうか。
私は檻の中に横たわり、ただ待った。
やがて靴音が私の檻の前で止まる。
視線を向けることもおっくうで、私はうずくまっていた。
そして声を聞き、耳を疑う。
「ナノ……」
「……ナイトメア!」
さすがに驚いて思わず起き上がり……痛くてうずくまる。
「いや、いいんだ。無理に起き上がらなくて」
「どうも……」

私は牢の床に横たわり、無気力にクローバーの塔の主を見上げる。
夢魔の服装のナイトメアは、監獄でもどこかミステリアスな空気をまとっている。
そして、ナイトメアはすぐに私の考えを読んでくれた。
「ナノ。それは逆だ。グレイはむしろ自分を責め続けている。
君の帰る場所を壊し、君を追いつめて塔から追い出し、最終的に監獄に追いやって
しまったとな」
――グレイ……。
私は彼に申し訳なくて仕方ない。罪悪感を抱く相手として一位か二位に入る。
彼の気持ちに答えたいとどれだけ強く願ったことか。でも……。
「奴はルールを破ってでも監獄に入ろうとしていた。止めるのに苦労したよ」
ナイトメアは私の後悔に割り込み、言葉を続けた。
――あなたが監獄に入るのはルール違反じゃないんですか?
でもそれに夢魔は答えない。
私は全身の痛みとひどい頭痛に耐える。
そして玉露を抱きしめ、夢魔を見上げる。
読心能力のある彼はすぐに答えてくれた。
「帽子屋屋敷は知らない。だが、どこも似たり寄ったりだ。自分たちが追いつめた。
あるいは配慮が至らず、君が監獄に行くのを止められなかったと後悔している」
「そう、ですか……」
何でみんな私なんかに気を使ってくれるのだろう。
もう一度みんなに会いたいと、わずかに思う。
「そうだ、ナノ。私と一緒に帰ろう」
ナイトメアの言葉にわずかな希望が混じる。
同時に、どこか近くで誰かの気配が動いた気がした。

私は上半身だけ起こして扉を押した。でも、扉はビクともしない。
するとナイトメアは悲しげに目を伏せた。予想していたという顔だった。
「ナイトメア。私の刑期はどれくらいなんですか?」
答えはすぐに返る。
「刑期を決めるのは君自身だ」
「え……」
それは新しい発見だった。
なら、もしかして私はもう刑期を終えていたりするのだろうか。
「その可能性はなくはない。君が本当にそう思うのなら」
ナイトメアの言葉に、もう少しだけ勇気が出る。
私は鉄格子に捕まって、何とか起き上がると扉に手をかけた。
やはり扉は動かなかった。
再び強い倦怠感が襲ってきて、私は牢に座り込む。
ほんのわずかの間だけ差し込んだ光は再びおぼろげになり、後は闇だけが支配する。
「ナイトメア……」
夢魔は悲しげだ。
「君が解放されたいと思わない限り、ここから出るのは無理だろう」
「…………」
確かに解放されたいとはあまり思わない。
自由に生きることも、縛られて生きることもままならず、人を傷つけ傷つけられ、
行き場も無くさ迷う。
それなら、監獄の奥深くで朽ち果てる方がいいのではないか。
どうせ自分は頭が悪くて、何一つ形に出来ない。
「ナノ。この世界に愚かでない者はいない。
もう一度、あいつに会ってやってくれ。
時計屋との関係も、表でちゃんと話しあえばいい」
「……うーん」
確かに、ここのユリウスは、表の世界とは別の顔を持つ。
『時計屋』である彼と話し合えば、また元のような仲になれるかもしれない。
けれど、いくら希望や勇気をふりしぼっても、立ち上がるのも面倒だった。
「まあ、いつか刑期を終えて出たら考えます」
私はざわざわする心を休めるため、牢にうずくまる。
「ナノ、そんなことでは……!」
「ここもそんなに悪いところではありませんよ。
珈琲も紅茶もお茶もダメですが居心地はいいですし」
そう。唯一、明確に不満なのはそこだ。
監獄は嗜好飲料禁止。まあ監獄に入る前から、ちょっとお茶の量は少なくなって
いたけど、いざ全断ちされると嗜好飲料が恋しくて仕方ない。
「娯楽関係は禁止だからな、ここは」
ナイトメアが少し声を和らげた。
そして遠くを見るように言った。

「君が自分から出る気がないのなら、あとは『奴』に託すしかないか」
「…………」

来るのだろうか。彼が。
「来るだろうな」

「何度もゲームを制しかけた男、君とは別の囚人を脱獄させた男だ。
そして、誰より君に惚れ抜いている……まあうちの奴が一番だと思いたいが」
最後の身びいきはともかく。
「ブラッドはもう私に飽きていますよ。助けに来るなんてありえません」
色んな人に好きにされ、紅茶の腕も落ち、監獄まで堕ちた女に誰が惚れるだろう。
ナイトメアもあえて否定して、無駄に希望を持たせることはしなかった。
「さてね。帽子屋屋敷は完全に情報を隠匿して、何が起こっているか分からない。
だが奴なら、パラダイムシフトの鍵を持っているかもしれない」
「?」
聞き慣れない単語に疑問符を浮かべる。
ナイトメアはニヤッと笑い、少しもったいぶって言う。
「白を黒に、黒を白にする魔法の鍵だ。
全ての前提を覆し、時に歴史さえ動かす。
そして不思議の国では、囚人を脱獄させる鍵になる」
……分かるような分からないような。
でも私の目を見つめ、私を導いた夢魔は、覚悟を促すように言った。
「あの男なら、裏返った駒をまた表に戻せるはずだ。
そうしたら外に出て、どこに行って何をしてもいい」
そして言う。
「だからもう一度、この世界を選んでくれ、ナノ」

私は答えない。
夢魔と、恐らく近くにいるだろう白ウサギに無駄な希望を与えたくなくて。
返事をせず、彼らが立ち去るまで、いつまでもうずくまっていた。

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