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■無かったことにした話

私は空を見上げる。遊園地の盛大な花火が一つ。
「わあ、きれいですね」
空を見上げて微笑む。
例によって、いつの間にか監獄に行き、気がつくと遊園地に帰っていた。
長いことジョーカーと話していたはずだ。けれどあれは夢に似た時間。
現実では全く時間が経過していなかった。
私は地面を這い、かろうじて残った小銭を拾い集め、嫌な色で汚れたワゴンを片づける
ことにした。
「はあ、こんな失敗を知られたらジョーカーに……て、知られてましたね」
監獄の所長の罵りが脳内再生される。
さっき会ったばかりなのに、また彼に会いたくなる。
でも、会いたいときに限って夢を見ることがない。
けど必ずまた会うだろう。
それは確信だった。

それから何時間帯か商売にいそしんだ。一向に中身の増えない会計箱に鬱々として
いると、人ごみの向こうから二人の男性が現れた。
「いらっしゃい、ユリウス!!」
ワゴンのカウンターに立つ私は、満面の笑顔でユリウス=モンレーを迎えた。
渋々と言った様子で現れた時計屋は、夏の遊園地に不似合いな黒い服。
いつも以上に陰気そうな顔で私を見た。
「久しぶりだな……」
「あはは。お会いできて嬉しいです!ユリウス!」
「ナノ、ナノ、俺を無視しないでくれよ」
ユリウスの後ろから主張するのは、彼の友人エース。
確かに無視なんていじめっぽい。失礼なことをしたと思った私は言い直す。
「いらっしゃい、ユリウス他一名!!」
「ナノ、俺も名前で呼んでくれよ」
笑顔のエースはなかなかめげない。
「いらっしゃい、ユリウス他、××騎士エース!!」
「ナノ。女の子がそういう恥ずかしい単語を大声で言うのはどうかと思うぜ」
「いらっしゃい、ユリウス他、××!!」
「いや、よく勘違いされるけど、俺の名前は恥ずかしい単語じゃないんだ」
「いらっしゃい、ユリウス他、×××××××××!!」
「ナノ。それは名前ですらなく、単なる罵倒で……」
エースがなおも切り返そうとしたとき、私たちの間にユリウスが割って入る。
「笑顔でケンカをするな、おまえたち……」
げんなりした顔で言い、それから私を見た。
「おい。さっき、何かなかったか?」
「え?」
てっきりお説教かあいさつが来ると思った私は笑顔を消し、戸惑う。
「何か困ったことやトラブルが無かったか?」
「い、いえ、別に……」
彼なりのあいさつにしては、何かを確信しているような口調だった。
けれどあんな『些細』なことをわざわざ時計屋にチクる人がいるわけがない。
ワゴンだって完璧にきれいになった。
「何もなかったですよ?」
私は言いながら、さりげなく会計箱を、表から見えない位置に移動させる。
「本当に何も無かったか?」
「ええ、もちろんです。いつも通りですよ?」
私は笑う。不吉な感じのする黒い影のことが、なぜか頭をよぎる。
けれどあんな不気味な物は、ユリウスと無縁だろう。
「そうか……」
ユリウスはそれ以上追及せず、ワゴン前のベンチに座る。
ニヤニヤと私を見ていたエースもその隣に座った。
ごまかせたことに私はホッとする。
やはり嫌なことは無かったことにするに限る。
放って置いても後でジョーカーが思う存分罵倒してくれるのだ。
――早くジョーカーに会いたいですね。
不思議と監獄が懐かしくて仕方なかった。

…………。
「味が落ちたな」
「うん、前はもう少し美味しかったよね、ナノ」
出した珈琲は、点数こそないものの露骨に不評だった。
「そうですか。ごめんなさい……」
「い、いや、売店の味にしては上出来だ!それに、おまえは何時間帯も休み無く
働いていたのだろう?」
頭を下げる私に、ユリウスが慌てて言い直す。
「いえいえ、もっと精進しますね。負けませんよ!」
私は笑顔で親指を立てる。
そして思う。
――ジョーカーなら、文句を言い続けそうですよね。
そういえば彼は珈琲派なんだろうか紅茶派なんだろうか。
――うう、何か最近、ジョーカーのことばかり考えてますね……。
会ったばかりの上、夢の中の人だ。どうかしている。
「さて、それじゃ、行きましょうか」
私は黒エプロンを外すと、片づけを始める。
「いや、いい。私はすぐ帰るから、おまえは店を続けろ」
「よくないぜ、三人で夏祭りに行く約束だろ?」
「そうですよ。私も楽しみにしてたんですよ!」
ユリウスは私やエースになだめられ、ボソボソと文句らしき事を呟いていた。
でも無視してやる。

ユリウスが来たら店を休んで三人で夏祭り見物に行く。
これはエースと打ち合わせて決めたことだ。
――いよいよ作戦開始ですね。
エースを見ると、彼も笑顔だった。

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