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■夏祭りの夜・序

遊園地の空は、きれいな青空だ。
「ありがとうございましたー!」
私はアイス珈琲を買って去るお客さまに頭を下げる。
ふと見ると、お昼時なのか、ひと気が途絶えた。
「ナノ。少し休まない?」
「そうだよ、ナノ。休もうよ!」
客が途切れるタイミングを見計らってボリスとピアスが声をかけてきた。
この猫さんとネズミさん、パレードとやらの準備があるはずなのに、店の手伝いを
してくれていたのだ。数字に弱い私に代わり、会計をしてくれたり、ゴミ出しを
してくれたり。助かることこの上ない。
……クレームをつけるお客さまに銃を向けるのだけは止めてほしいけど。
「お二人こそ休んでいてください。疲れてるでしょう?」
私は二人のため、特製マタタビティーとチーズ珈琲を淹れることにする。

お子様向けの甘いメニューや動物さん向けメニューを拡張したこともあり、今のとこ
売り上げはまずまずで、利益も出ている。
嬉しいのは、どこにでもあるワゴンの店なのに『この間すごく美味しかったから、
また来たよ』とわざわざ再来店してくれる人が何人もいたことだ。
一口飲むなり目を大きく開け友達を連れてきて『この店、超美味しいよ!』とお友達に
勧めてくれた人もいた。
そんな私の内心を読んだのか至福の顔でマタタビティーを飲むボリスは、
「前の店のときはナノ一人きりでいろいろ手際がまずかったんだよ。
作ることにも集中出来てなかっただろ?誰か雑用をする人を雇って、作ることだけに
専念してたら、絶対お客さんが増えるよ」
「うん。ナノはちゃんと作れば誰にも負けないくらい美味しいよ」
チーズ珈琲を飲みながらピアスも断言してくれる。お世辞でも嬉しい。
とはいえ、店の規模的に人を雇うのは大げさだ。
「まあ、いいじゃないですか。慣れればそのうち上手くなりますよ。
ユリウスみたいに一国一城の主というのも格好いいですしね」
「時計屋さんが格好いい?」
ボリスが急に眉をひそめる。彼は大いに異議があるようだった。
「あの人も部下を使ってるよ?」
ピアスからも余計なツッコミが入る。ボリスも乗じて、
「あんな根暗で引きこもりで性格の悪い葬儀屋のどこが……痛!」
私にはたかれ、ボリスが頭を押さえる。
「ユリウスのことを悪く言わないでください!」
「ちゅう……」
自分が怒られたわけではないのに尻尾を垂らすネズミさん。
「あんたって、時計屋さんは別格みたいだよね。何か妬けちゃうな」
苛々と尻尾を振られても、こればかりは譲れない。
「そうです。ユリウスは特別なんです」
「でも、そう言う割に時計屋さんは一度も店に来ないだろ?」
意地悪く言われても気にしない。
「いいんです。ユリウスはいつも忙しいんですから」
開店したことは電話で伝えたものの『そうか、頑張れ』という返答だけで、一度も
来てくれたことが無い。
でもユリウスは私を気づかってくれている。その確信があるから気にはならない。
けれどボリスは心配そうに、私の耳元に顔を寄せ、ひそひそ声で、
「でもさ、ナノ。時計屋さんはともかく、『あの人』には気をつけなよ」
「…………」
『二人で内緒話なんてズルイ!』というピアスの抗議がやけに遠い。
あの人、が誰を指すかは私にも分かる。
領主ではなく、仕事熱心でもない、特殊能力を持っているわけでもない。
けれど、彼は多くの人に警戒されている。味方からも。
青空のように明るいのに、その笑みは空洞で、時に不気味だ。
「時計屋さんも、あの人にだけは弱いみたいだからさ。
で、あの人はあんたに好意を持ってる」
それがとんでもなく重要なことのように言う。
「気をつけなよ。ナノ」
「大丈夫ですよ。だって、ここは遊園地でしょう?」
私もひそひそ声で応じる。
ゴーランドさんの領地なのだ。ブラッドとのことで、安全は保証されている。
マフィアのボスでさえ私の意思を無視して連れ出すことは出来なかったのだ。
けれどボリスは不安そうな顔を改めない。
「俺もピアスもおっさんも、そろそろパレードの準備であんまり手伝いに来れなく
なるし、夏祭りや大きなイベントもある……本当に心配だよ」
そう言って、私の髪に口づける。
「俺のものにならないのは、もうあきらめがついてる。でも、あんたが桜の花びら
の匂いをつけて帰ってきて、しばらく笑わないでいるのは、嫌だ」
「…………」
返答が出来ない。チェシャ猫にはバレていた。
「な、ナノ。やっぱり今からでも銃の使い方を教えようか?
いざというとき自分の身を守れるように……」
「ボリス、何度も言いましたよね。私は銃なんて危なっかしくて無理だし習う気もないって」
ボリスの部屋に住むようになってから、銃の使用をしつこく勧められていた。
でも断っている。しつこかったボリスも、無理やり持たせたとき、重さで私が銃を
取り落とし、それが暴発しかけた、ということが起こってからは勧めてこない。
「銃が嫌なら、俺のノコギリを貸してあげる!」
ピアスが目を輝かせるが、
「ありがとう、ピアス。でもお断りします」
ニコニコときっぱり断っておく。しおしおと耳を垂れるピアスを撫で、
「大丈夫ですよ。気をつけますから」
……それはそうと大幅に話がそれた気がしないでも無い。
賢いボリスが話を本筋に戻してくれた。
「で、そいつはあんたのお気に入りの、時計屋さんの友人だ。
だから時計屋さんのことにも注意した方がいいって言うこと」
「まあ、気をつけます」
私はよく分からず生返事でうなずいた。
「うん、本当に気をつけて」
重ねて忠告し、ボリスは軽く私に唇を重ねた。
心配しなくても、あんな危険な男に自分から近づいたりしない。
ユリウス絡みでない限り。

……このとき、私とユリウスの事情に通じていたのは話題の『彼』だけだった。
そして、そのことを利用しない『彼』ではないのだと。

まあ、私が気づくころには大抵が手遅れになっているのだけれど。

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