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■最初のお客さま・下

「お待たせしました……」
ブラッドが立つ気配がないので、仕方なくトレイに紙コップを乗せ、ブラッドの元に
持っていく。案の定、紙コップを見るなりブラッドは眉をひそめた。
形式にこだわる彼だから、きちんと陶器のティーカップに入れてほしいのだろう。
「仕方ないじゃないですか。ガラスコップを洗ってる暇なんてありませんし、環境
保全の観点から言ってもプラスチックより断然、紙素材の方がですね」
「環境では無く経済的な観点から……だろう。
少し会わないうちに金にうるさくなったものだ」
嘆かわしい、と言いたげにわざとらしく手のひらで目をおおうブラッド。
その割に紅茶はきっちり飲んでいる。そしてトレイを手に立っている私を見て、
「金が欲しいなら、いくらでも払うというのに。何なら、一晩、君を……」
「私に本格的に嫌われたくないなら黙っていていただけません?」
「その方が賢明なようだ」
ブラッドは大人しく降参し、紙コップの紅茶を飲んだ。
それにしても、なぜ彼はこんなところにいるのだろう。
店の再開を伝え聞いたにしても開店と同時に来るなんて。
「ブラッド。まさか夏がお好きなんですか?」
「そんなことがあるわけないだろう。夜の時間帯であっても、来ることさえ億劫だ」
実に嫌そうな顔で言われた。それで私も首をかしげざるを得ない。
――まさかとは思いますが、私の開店を待って?
「中立地帯の塔付近と違い、ここは仮にも敵対領土内だからな。君の紅茶を飲みたく
なっても、これまでのようにエリオットに連れてこさせるわけにはいかない」
「え……」
ということは、と私は宙をあおぐ。

「ブラッド。私の紅茶が飲みたくて仕方なくて、わざわざ来たんですか?」

「……そのとおりだ、ナノ。罪なお嬢さん」
なぜか偉そうにステッキを向けられる。
でも私の顔がちょっとにやけているのは多分バレている。
ブラッドの方も渋々といった顔で、
「これからは私の方から飲みにいかなくてはならない。実にだるいことだ」
――なるほど。他の領土にお世話になると、こんな旨味もあるんですね。
ゴーランドさんの領地では、エリオットも好き勝手は出来ない。
今までのようにグレイの目をかいくぐり、無理やり私を連れて行くようなことも、
もう気軽にはされないのだ。となると、これは関係を切るいいチャンスだ。
場合によっては本当に遊園地に根を下ろすのもいいかもしれない。
そう思ったとき、ブラッドが私の手を取り、手の甲にそっと口づけた。
「……強行したら、本気で怒りますよ」
けれどブラッドは意外にあっさり手を離してくれた。
「他の男の元に転がりこんだところで、私から逃げられると思わないことだ」
――だから他の男とか、そういう言い方はやめてもらえませんかね。
言いたいけど、言ったらチクチク突かれそうだから言わない。
触れられた手の甲がやたら熱かった。

…………。
「美味かったよ、ナノ」
新しいお客さんが来ることもなく、しばらく談笑してブラッドが紙コップを返す。
私が受け取って、用意してあったダストボックスに捨てれば片付けは終わりだ。
「ありがとうございました」
お代を受け取ろうと、私は笑顔で手を出す。
ブラッドも肩をすくめ、ふところに手を入れ……固まる。
「……お客さま」
私は営業スマイルを保っている。ブラッドは動揺を必死に押し殺したような声で、
「じ、実に素晴らしい味だった。代金は後日、屋敷の方で十倍にして払おう」
「額面通りの価格でいいですから、今払っていただけますか?」
「そ、それは、その……さ、財布を……」
「財布が何か?お客さま」
私は笑顔のまま威圧する。ブラッドの額に冷や汗が浮くのが見えた。
それと『払いに行く』ではなく『取りに来い』という発想がどこまでもブラッドだ。
下心も少し透けてるし。
「その……ナノ……」
「別にいいですよ。ブラッドには今まで散々お世話になりましたから」
いじめるのがちょっと可哀相になって手を下げる。
「お代はツケときます。またいらっしゃるんでしょう?」
ちょっと素っ気なく言ってブラッドに背を向ける。すると肩をつかまれ、
「ん……っ」
抱き寄せられ、唇を重ねられた。
今しがた飲んだダージリンの味が舌から伝わってくる。
夏場のためか少し汗ばんでいる。
馴染みのある着物の感触が、違う人のような新鮮味を感じさせる。
――ブラッド……。
「私から逃げられると思うな。何度逃げても捕まえる。肝に銘じておくことだ」
唇を離すと、私に鋭く言い放つ。
本当にそうするのだろう。この世界のルールとやらを容易く無視する彼なら。
そんな頭の良いボスは『マフィアとは合わない』という私の言い分は一向に覚えて下さらない。
「頑張って、そよかぜを追いかけて下さいね」
だから私も肩をすくめ、彼に軽く笑いかけるのだった。
「近いうちに、本格的にしつけ直さなくてはな」
苦笑するブラッドは再び私を抱き寄せる。
「いつかの約束を覚えているか?」
「覚えてますよ。『言うことを一つ聞く』ですよね」
未だに戦々恐々だ。ブラッドはニヤリと笑い、
「君への願い事は……………にしようと思っていたが再考することにしよう」
ブラッドは唇を重ねる。私は普段と違うマフィアのボスに酔いしれ……ることなく
先ほど言われた言葉を愕然と頭の中で繰り返していた。

――今『×エプロン』って、確かに言いましたよね……。

ブラッドの××××趣味にショックを受ける。
い、いやそれより問題は使用するエプロンだ。
種類は?丈はどのくらい?
それが重要だ。とくに丈の長さは凄まじく重要だ。
が、言えないし確認する機会もない、というか確認する機会にあいたくもない。

遊園地の空に、花火が盛大に散る。
私たちは影を一つに溶かしつづけていた。
マフィアのボスに抱きしめられ、甘い口づけを受け。
私はエプロンの種類についてひたすら悶々と……もとい、考察を続けていた。

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