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■猫とネズミごっこ・上

夕刻の遊園地のこと。涼しい夕風に吹かれ、私はゴーランドさんに借りたワゴンで
開店準備をすすめていた。
「動きやすさを考えるとここがいいけど、見栄えを考慮すればこの位置が……」
と、フレンチプレスの置き場所に悩んでいると、
「ナノ」
ファーをふさふさ揺らし、元気になったボリスが走ってきた。
「ナノ!」
「ボリス。アトラクションのお誘いなら後にしてください。忙しいんです」
「ナノ〜、もっと構ってくれないと、すねちゃうよ?」
「いいじゃないですか。同じ部屋で寝起きしてるんですから」
「そうは言っても、お互いあんまり時間が合わないじゃないか」
そう。この時期の遊園地は夏祭りにパレードと忙しい。
ボリスもボリスで、パレードの山車作りをやっているそうだ。
私も居候の手前、開店準備の合間に裏方仕事を手伝っている。
……とはいえ頭を使う作業や細かい手作業は苦手なので、必然的に肉体労働。
で、夜になり、部屋に戻ると疲れて爆睡。
対して昼間へたばっているボリスは、夕刻や夜に活発になる。
よって同居の割に、すれ違い生活が続いている。
ボリスはそれが不満らしい。
だから、遊びに誘いに来たかと思ったけど、ボリスは違うことを言った。

「サーカスですか?」

「そ。おっさんがナノを誘ってこいって」
私は首をかしげる。この国になってからやたらイベントやお祭りが多い。
そういえば他の領土でも、この時期はいろいろ独自の催しがあるようだ。
サーカスはその中でも、会合や舞踏会級の大規模なものらしい。
とはいえ、私は元々この世界の人間ではないので参加義務はない。
「私はお留守番してますよ。いろいろやることがありますしね」
きっぱり断る。食い下がるかと思ったボリスだけど、
「そっか。行きたくないなら無理に行かない方がいい。あんたは忙しいもんな。
おっさんには、俺からごまかしておくよ」
チェシャ猫は頭がいい。私が気が進まない理由をすぐに察して了承してくれた。
……あまり知人と顔を合わせたくないのだ。
「ごめんなさい、ボリス」
「いいよ。サーカスのお土産を持って帰るからね」
そう言って、優雅に私の額にキスした。
「楽しみにしてますね」
私も笑う。
そして私のサーカス不参加が決まったのだが……。
「はい、じゃあ捕まえた」
ふいにボリスが私の腰にがしっと腕をからめる。
「へ?」

「猫とネズミごっこだよ。俺の勝ち!」
……忘れてた。

「というか、一度中断したじゃないですか。いきなり再開なんて卑怯ですよ」
抱きつかれつつ抗議すると、一度ボリスは離れ、
「そっかそっか。それじゃ再開するよ。はい、再開。はい捕まえた!」
「……やる気ないですね。ボリス」
再び抱きつかれ、猫耳をなでる。卑怯だけど可愛い。可愛いけど卑怯。
「もっとじわじわ追いつめたかったけど、あんたと来たら肝心なとこでお茶や店に
走っちゃうだろ。俺がリードしてあげないと」
鬼にリードされる鬼ごっこって何だろう。
そう思って悩んでいると、
「それじゃ、場所を変えようか。ワゴンはこのままでいいよね。
誰かが盗めるようなものは置いてないし」
「え?」
ボリスがチェシャ猫の力で、どこでもド……コホン。どこかに通じる扉を作った。
そして両腕で私を抱えた。細身の猫さんに見えるけど、彼も意外に力持ちなようだ。
「どこに行くんですか?ボリス」
間近のファーに何となくスリスリしながら聞くと、猫は満面の笑みで、
「あんたを、ゆっくり食べられる場所!」
「……あ」
これも忘れてた。
「誰かーっ!人食い猫がーっ!」
声を上げたけど呪うべきかな、近くには誰もいない。
「ボリスー!腕だけは勘弁してください。指も困ります」
「ナノが頑張ってくれたら考えてもいいよ」
だんだんと恐怖が忍び寄ってくる。
けれどやはり視界には誰もいない。
こうして夕刻の遊園地から、二人が消えたのだった。

…………。
「それで、猫さん用ドリンクなんですが、マタタビをハーブ代わりにたっぷり使った
マタタビティーと、さっきの店で飲んだマタタビリキュールを使用した珈琲の、
カフェ・シルバーヴァインを考えてるんです。ボリスに後で試飲をお願い……」
「分かった、分かったからちょっと集中してくれる?」
ボリスはちょっとうんざり顔だ。
彼がつないだのは、単に自室で、私はベッドに押し倒されている。
でも頭の中は珈琲や紅茶でいっぱいだ。
「マタタビですよ?飲みたくないですか?」
「飲みたい!……でも俺は今ネズミを食べたいの」
「うーん。それなら気は進まないけど、サーモンティーとか……」
頭では食われる寸前と理解しつつも、一度珈琲や紅茶にハートを奪われると簡単に
戻ってこられない。私がボリスにべたべたされつつ天井を仰いでうなっていると、
「っ!!」
痛みを感じて、若干正気に戻る。ボリスが首筋に牙を立てたのだ。
「い、痛いですよ、ボリス」
「あんたが俺をかまってくれないから、そのおしおき」
そう言って傷ついた箇所を舐められた。
いつものおふざけとは違う、艶のある仕草だ。
気がつくと、ボリスが私をじっと見下ろしている。
「ご、ごめんなさい。本当にごめんなさい。指とか腕とか勘弁してください」
もう一度頼んでみる。
「大丈夫だよ。あんたに恨まれる箇所は食べないって」
「そうなんですか?良かったです」
ホッとするが、食べるという想像は違っていなかったことに少し怖くなる。
そして他に食べるところと言えば……。
私はようやくハッとする。
「あのボリス。まさか……」
「いくらなんでも察しがついてきた?説明の手間が省けて安心したよ」
つきたくない。つく性格になりたくなかったけど、ついてしまうようになったのが、
嫌な方向に場数を踏んだゆえか。

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