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■ボリスと夕食

「すごい。エスプレッソマシンがあるんですか……!」
遊園地が盛況なためか倉庫には誰もいなかった。
ひんやりした空気の中、私はただ目を丸くする。

極細挽きの粉状珈琲に高圧の蒸気を加え、一気に珈琲を抽出する製法がある。
これを『エスプレッソ』といい、カフェではおなじみの上質な味だ。
ただそのためのエスプレッソマシンは、とても高価で使いこなすにも技術がいる。
さすがのユリウスもエスプレッソマシンは持っていなかった。
たまに飲みたくなったときは、二人で街のカフェに行ったものだ。
エスプレッソマシンは、珈琲通には究極の憧れ。
一緒に作れるフォームドミルクと組み合わせれば、ラテにマキアート、カプチーノと
レパートリーも無限に広がる。そして女性や子どもさんに大人気のラテアート!
しかも倉庫にあったのは家庭用のお手軽なハンドサイズではなく、一抱えはある、
大きなサイズ。本物のカフェ用の、本職の品だ。
遊園地の他のカフェで使えばいいのにと思ったほど立派なもので……気のせいか、
これも新品同様にピカピカだ。
もう、早くこれを使ってみたくて、いてもたってもいられない。
「豆!ないんならすぐにミルで粉砕しないと!」
私は興奮で足踏みし、すぐに走り出した。
「ナノ、捕まえた!」
「っ!」
気配を感じ、ヒラリと身をかわす……という優雅な動作など出来ず、転びかけた。
「ボリス、危ないですよ!倉庫が行き先だってバレないと思ったのに」
飛びかかってきたチェシャ猫に文句を言うと、
「匂いを追ってきたの。それに俺は今ネズミ狩りの最中なんだぜ?」
と楽しそうに答えられた……ごめんなさい。『ごっこ遊び』を忘れてました。
あわててボリスから距離を取るけど、涼しい倉庫でチェシャ猫は元気そうだ。
これからエスプレッソマシンを思う存分使いたいのに腕を食べられてはたまらない。
「ね、ねえボリス。ちょっとゲームを休憩しませんか?
美味しいアイス珈琲を淹れてあげますから」
「ダメダメ。俺は珈琲よりネズミを食べたいの」
「マタタビ珈琲ですよ?」
「……だ、ダメダメ!」
あ。ちょっと反応した。動物さん向けメニューも拡張すべきですか?
けどボリスは私にじりじりと私に迫る。
とりあえず、少しずつ後ろに下がり、身を翻して一気に走り出す。
「はは。ナノ、待ってよ」
嬉しそうなボリスの声。私も走りながら、必死になって考える。
――マタタビティーに、チーズ珈琲、ニンジン珈琲……。
ユリウスが聞いたら激怒しそうだなあ。
「ボリス、お魚珈琲ってあったら飲みますか?」
走りながら聞いてみる。
「ナノ。ネズミにそういう反応されるとちょっと覚めるんだけど……」
「あ。すみません。キャー怖いー。それでマグロ珈琲なんですが」
「……う、うん。お刺身とか入れたらきれいかな」
「きれいですかね……」
動物さん向けメニューは計りがたい。
そういえば、ハートの国にいたとき、エリオットにニンジン料理専門店に……。
「ボリスっ!!」
私は急ブレーキをかけた。倉庫の床になぜか砂煙が立つが気にしない。
「え?ナノ……?」
私は、戸惑うボリスの両手をガシッとつかむ。

「猫さん料理専門店に連れて行ってくださいっ!!」

…………。
夕暮れの時間帯。領土はどこかよく知らない。
ともかく私たちは、猫さん料理レストランにやってきた。
「何で、連れてきたんだ。俺……」
「ここですか。うわー、皆さん可愛いですね!」
あっちを見てもこっちを見ても猫耳に猫尻尾。
普通のお客さんも見かけるのは、メニューに魚料理が多いせいか。
「何でこうなった。おっさんが余計なことしなけりゃ、いい雰囲気で今頃は……」
「ほらほら、席を取りますよ、ボリス」
暗い顔でブツブツ言うボリスを引っぱり、私は席につく。
可愛い猫耳店員さんにお水を出してもらう頃には、ボリスも気を取り直したようだ。
「まあ、これはこれでデートみたいで良いか。
ナノ。あとでちゃんと再開するからね」
「はい。じゃあボリスのおすすめメニューを教えていただけますか?」
「いいよ。この店で人気があるのは、このお刺身と……」
ボリスはメニュー表を開いて嬉しそうに説明してくれた。
私も熱心にメモを取る。

やがて料理が運ばれ、私たちはにぎやかに食事を始めた。
「乾杯、ナノ」
「乾杯!」
ボリスのマタタビリキュールと私のマグロドリンクが、音を立てて触れあう。
「ほら、どんどん食べなよ、ナノ。
マタタビ香草焼きムニエルと一番人気のネズミ風ステーキ。美味いんだぜ」
「『風』ですよね。ネズミ『風』……」
そのとき音がし、店の客から歓声が上がる。
遊園地が近いのか、窓辺から見事な花火が見えた。
「きれいですね、ボリス」
私は微笑み、ボリスも笑う。
「うん。すっごい楽しい」
そして二人で談笑しながら、楽しいひとときを過ごしたのでした。

ちなみにマグロドリンクの味は……ノーコメント。

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