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■『私』対グレイ

「つ、疲れました」
長いこと歩き、ようやくナイトメアの執務室に来たときには足が棒のようだった。
ユリウスの部屋から外に出るときもそうだったけど、いつもと同じ距離なはずなのに、数倍歩いた気分だった。
私は息を整えつつ、扉を開けることにした。
「…………」
手が届きません。一生懸命に背伸びをしても宙をつかむ。
「開けて下さいぃーっ!!」
ドンドンドンと必死に叩き、やっと扉に反応があった。
「……?誰だ?ナイトメア様は、今、夢に逃げて……」
扉を開けてくれたのはグレイだった。
というかナイトメアは不在らしい。
彼一人と知って、一瞬緊張する。でもグレイの様子はいつも通りだ。
最初、グレイは私に気づかず、不審げに辺りを見ていた。
こちらが小さくなってるのだけど、何だかグレイが大きくなっている気がした。
気のせいか、少し疲れているようにも見えた。
――過労なんでしょうかね。後でココアを……。
いや、この小ささだ。厨房に行くまでが一苦労だし、ガス台を使うにも椅子がいる。
――そういえば、いつ元のサイズに戻れるんですかね。
私のために薬を用意してくれたユリウスには申し訳ないけど。
そう思っていたとき、グレイがようやく私に気がついた。
鋭い目が少し和らぐ。彼はかがんで私に目線を合わせてくれた。
「どうした?迷子か?どこから来た?」
さすがに私がいきなり小さくなったとは想像していないらしい。
「グレイ、私ですよ、私!」
必死に訴える。
「?」
「ナノです。ちょっと小さくなってしまったんです」
さらに必死に訴える。
「ナノ……?」
いぶかしげだったグレイは私をじっと見る。しばらくし、
「っ!?ナノなのか!?」
グレイの目が驚きに見開かれた。

…………。
撫でられている。部屋に入れられるなり、膝に乗っけられ、撫でられた。
「あの、グレイ。それでユリウスを探しているんですが」
無言でひたすら頭を撫でられる。
部屋には二人だけ。他に誰もいない。これは拷問に近い。
「というか、あなたにも伺いたいことがあるんですが」
グレイはこちらを凝視しつつ無表情だ。結構怖い。
「ぐ、グレイ。お話しましょうよ?」
これは嫌がらせだと個人的に思う。
「というかエースはどうしたんです?」
もしかしてグレイは私が嫌いなんだろうか。
「あの、そろそろ頭を撫でるのを止めてほしいんですが」
このままだと摩擦熱で頭から煙が出るんじゃなかろうか。
「あの……グレイ!」
「……あ」
ようやく、グレイの瞳に正気が戻った。
「す、すまないナノ。君があまりにも小さいからつい」
「ど、どうも」
答えづらい。というかやっぱり撫でてくるのは止めて欲しい。

私は膝に乗っかりながら事情を話した。
「時計屋が君を子どもに……?余計なことを」
グレイはユリウスに思うところがあるらしい。
経緯を話すなり、不機嫌そうな表情になった。
「時計屋が戻ったらすぐに戻してもらおう。その後で俺の部屋に帰ろう」
けれどそれにはキッパリと首を振る。
「あなたの部屋には戻りませんよ、グレイ。私のお店、壊したでしょう」
けれど、グレイは予想をしていたという顔だった。
「それがどうした?」
開き直られ、私はしばし言葉を失う。
「謝罪の一言もないんですか?資材泥棒を、止めようと思えば止められたのに、
見て見ぬフリをしたという話も聞きますが」
「ああ、その通りだ。俺は悪いことをしたとは思っていない」
グレイの目は揺るがない。
「どうして、そんなことを……」
「それは俺が逆に聞きたい。君こそ、いつまであんな生活を続けたいんだ」
完璧に説教モードだった。
「でも、私には大切な場所でしたっ!」
「それがどうした!!」
グレイが私に怒鳴る。その勢いに押され、私は反論の言葉を失ってしまう。

「好きな女が!騎士や帽子屋のようなクズに虐げられるのを!黙って見ている男がどこにいるっ!」

今まで見たことも無い鋭い瞳で私を見据える。
「君があの場所にこだわるなら、君に嫌われても、俺は喜んでその場所を奪う。
騎士は他にももっとひどい話を……本当に時計を止めてやろうと思った」
でも逃げられ、かなわなかった、と無念そうだった。
「グレイ……」
言葉を続ける間もなくグレイは私を抱きしめる。
強い煙草の臭い。いつもより大きな身体。爬虫類なのに身体が熱い。
「塔にいてくれ、ナノ。あんな危険な場所に身を晒すのは、もうやめて欲しい」
声が震えている。本当に泣きそうだった。
「君の腕前は塔の皆が知っている。仕事なんていくらでも与えられる。
だから、どうか俺の目の届くところにいてほしいんだ。それだけでかまわない」
胸が痛い。この人の想いに答えられたら、どんなに幸せだろう。
でも、うなずくことは出来なかった。
「グレイ……心配しないでください。次の滞在先はもう見つけたんです」
恐る恐る言うと、グレイの瞳が剣呑に光る。

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