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■部屋を出る

窓の外は良い天気だ。
その朝の時間帯、私たちは部屋で朝食を終えた。
グレイは向かいのテーブルで食後のお茶をすすっている。
格好いいお兄さんと緑茶……何だか妙な組み合わせだ。
グレイは透明な緑の雫を見下ろし、
「最初は苦いだけだと思っていたが、飲み慣れてみると、結構甘みがあるんだな」
私もなけなしの知識を披露することにした。
「お茶の渋みや苦みは、茶葉の内につまっています。
ですから低温で淹れると甘みのある優しい味になるんですよ。
最も、それだけ味わいも香りも薄くなってしまうので、やはり高温がオススメですけどね」
私はそっと茶を口に含む。まろやかな狭山茶が喉を心地良く通っていく。
「『色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす』と茶摘みの歌にあるように、狭山地方のお茶は味に定評があって愛されています。
時間をかけて甘みをゆっくりと抽出するのがオススメですね」
……なんちゃって。書物の丸暗記ですが。
けどグレイは、今にもメモを取りそうな顔で神妙にうなずいた。
「君は本当にお茶に詳しいんだな。もっと教えてくれ。君が好きな味を俺も知りたい」「…………」
私は沈黙する。
グレイの言葉に感動したのではない。

……すみません、私、実は緑茶のことは全然詳しくないんです。

紅茶や珈琲についてはあれだけ知識がついたのに、緑茶の知識は来た当初とほとんど変わりない。
玉露最高、お手軽番茶、気楽なほうじ茶、定番煎茶。
そのくらい。後は、それはもう適当に飲んでいる。値段の違いさえ分からない。
夏に水出し麦茶を飲むのと変わりない感覚だ。
しかし、周囲にあれだけ緑茶玄人の扱いを受け、本人が知識ゼロなわけに行かないから、多少は勉強している。
勉強しているが……全く身につかない。頭に入らない。相変わらず適当に飲む。
私の店で緑茶を扱わない理由はそれだ。
売れないことに加え、聞かれても緑茶のことなんて分からないからだ。
でもグレイは別に受け取ったらしい。
「ナノ、そんな寂しい反応をしないでくれ。意地悪しないで俺にも教えてほしい」
テーブルの向こうから、私の手を握る。
大きくて暖かい、男の人の手。短剣を扱い慣れているせいか、少し硬い。
――この前の夜の時間帯はこの手に……。
思い出して少し赤くなる。
「何だ?思い出しているのか?」
グレイは気づいたらしい。ニヤッと笑って手を引っぱってくる。
「だ、ダメです!止めて下さいっ!」
「なら君のお茶のことをもっと教えてくれ」
「は……はあ。考えておきます」
適当に言葉をにごす。
けれどグレイはまだ手を離してくれない。
何だか恥ずかしくなる。ご令嬢のようにか細いわけでも色白なわけでもない。
本当に、どこを気に入って私なんかに愛をささやいてくれるのだろう。
「グレイ、片づけますよ」
手を振り払い、トレイに空の食器をのせて立ち上がる。するとグレイもすぐに、
「俺も手伝おう」
と私の手からトレイを取る。
「いいですよ、グレイ。私が洗いますから」
「気にするな」
と部屋付きの流しに持っていく。
「もう……」
私もついて、流しに行く。
汚れたものは放っておけば元に戻る世界だけど、私は習慣から汚れ物はちゃんと洗う。
私は流しでカチャカチャと皿を洗いだし、ふきんを手に待機するグレイに渡した。
「はい、グレイ」
「ナノ。泡がまだついているぞ。ちゃんとすすぎなさい」
「あう」
でもなぜか額にキスされた。どさくさにまぎれてる気がしないでもない。
グレイが汚れ物を元々どうしていたのかは知らない。
けど、こうして手伝ってくれるのはありがたいことだ。
穏やかな時間に私は何となく嬉しくなった。

…………。
「ナノ。部屋にこもってばかりでは退屈だろう。外は晴れているし、一緒に出かけないか?」
後片づけも終え、グレイはくつろぎモードだ。
ベッドで私を膝に乗せ、嬉しそうに抱きしめてくる。
私はグレイの胸にもたれながら、
「グレイ、お仕事の方はいいんですか?」
「ああ。あと……時間帯は休める」
短くないが長くもない時間帯だ。
なら部屋でゴロゴロしていればいいのに。
たまに変な場所に伸びかけるグレイの手をぺしっとはたきつつ、窓の外を見た。
晴れていい天気だ。そういえばこの部屋に来てから一度も外に出ていない。
「店の場所を見に行かないか?そう時間が経っていないからまだ元に戻ってはいないと思うが。
その帰りに食事をして、どこかで休もう」
「…………」
『どこかで休もう』の部分が気になりますが。
でもグレイと一緒ならいいか、と私は考え直す。
「では行きましょうか」
「ああ、そうだな。すぐ行こう!」
グレイは嬉しそうに私を膝から下ろす。
私たちは手をつないで部屋の入り口に行き、私は扉に手をかけて開いた。

寒気。

「寒っ!!」
私は扉を閉める。

「ナノ……」
呆れたように私を見下ろすグレイに、
「ね、ねえ。部屋にいませんか?コタツでも出して二人でおしゃべりして」
未だにコタツに未練のある私であった。
「ダメだ。もう予約も取ってあるし、行くぞ」
予約とか言ったし。あとコタツのことをスルーされた。
グレイが扉を開け、私はおののいた。
数歩よろめき、
「寒気が、冬将軍が……グレイ、私はもうダメです。
後のこと、特にエースの始末はよろしくお願いします」
「……本当に騎士が嫌いなんだな。その願いはそのうち叶えてあげたいが、とにかく出るぞ」
「いやあああっ!」
グレイに引きずられ、私はグレイの部屋を出て行った。

これがグレイとの短い同居生活の終わりになる。

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