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■自己嫌悪

珈琲も淹れ終え、追加分も用意した私はようやく一息ついた。
「あー、お茶が美味しい」
「ナノ、机に正座して茶を飲むのは止めてくれないか?」
「はいな」
ナイトメアに低い声で言われ、もぞもぞと机から下りる。
でもお茶は正座しないといけない気がするんだな。
私はおせんべいをかじりつつ、少し離れた場所から会議を見守った。
三人はどうも雪祭りについて話し合っているらしい。
銅像がどうこう言い争っているけど、まあ私はあまり聞いていない。
――雪祭り……街に他の領土のお客さんがたくさん来そうですね。
となると商売のチャンスだ。是非とも店を再開させたい。
売り上げが増えれば、それだけ借りたお金も返せるというもの。
何よりこの世界の人に、それだけたくさん、珈琲や紅茶を飲んでもらえる。
――あとは店がいつ元に戻るか、ですねえ……。
まあ、それはおいおい考えよう。
それに一番大事な屋台が無事だから、早期の営業再開は不可能ではないはず。
ちょっと勇気がわいてきた。
ナイトメアが自分の雪像の重要性について未だ演説を続けている。
私はそれを聞き流しながら考える。
――あとは、その間寝泊まりする場所をどうしましょう。
一応、自立を目指す身として、これ以上迷惑をかけたくない。
塔の客室に泊まるなら滞在費は絶対支払いたい……が、領主様は受け取ってくれないだろう。
――あ、そうだ。
私の頭に電球が灯った。

そうこうしているうちに会議は物別れに終わったらしい。
「……私はもう部屋へ帰る」
「あ、こら、時計屋!!」
「ナイトメア様、落ち着いて……」
ナイトメアの制止を無視してユリウスが席を立つ。私も慌てて立ち上がる。
「あ、ちょっと待って下さい……カップ、後で片づけにきますね!」
会議室に言い置いて、早足でユリウスの後を追った。

「ユリウス、ユリウスー!」
私が追いついて呼びかけるとユリウスは立ち止まって振り向いてくれた。
「……ニヤニヤして気色の悪い。何の用だ」
素っ気ない。けれど、聞く気がないのなら最初から立ち止まらない人だと知っている。
「ユリウス、私が店を開いているのはご存じですよね」
「ああ。馬鹿なおまえにしては頑張っているな」
「…………ども」
何て言うか、そういう物言いは変わらないなと思いつつ、
「それで、雪で店がダメになったんです。ですからしばらく部屋に泊めてもらえませんか?」
「ああ、かまわん」
ユリウスはそう言って、歩き出しかけ、
「…………は?」
私を振り向いて、まじまじと見る。そんな変なこと言ったかな。
「だから、前みたいに泊めてくださいよ。店が戻るまでの間だけ」
「…………」
ユリウスは形容しがたい顔で私を見ている。
「ええと、滞在費が必要でしたらお支払いしますよ。珈琲だって淹れますし、時計修理のお手伝いも……」
「いや、いい!いい!おまえの手伝いはいらん!!」
私が手伝ったときの悪夢の記憶が再現されたのか、ユリウスが即座に首をふる。
「滞在費など……珈琲だけでいい。おまえがいて、あれがいつでも飲めるのなら……」
ユリウスは軟化姿勢だ。珈琲をそこまで喜んでもらえましたか。
「そ、それじゃあ!さっそく珈琲器具を部屋の方に……」
と言いかけたとき、

「ナノ。泊まる場所がないのなら俺の部屋に来ればいい」

低い声がした。
グレイ=リングマークが険しい顔でユリウスを見ていた。
そしてそのまま私のところまで来、強引に腕を引いた。
「わっ!!」
足下のバランスを崩し、よろめいたところをグレイが抱きとめる。
普段はこんな乱暴なことをしない人なので、驚いた。
「おいっ!」
不愉快そうに声をあげたのはユリウスだった。けれどグレイは無視し、私を抱きしめながら、
「俺は何度も君の店に泊まらせてもらっているからな。今度は君が泊まってくれ」
「っ!!」
息を呑む。言わんとすることは頭の良いユリウスには分かっただろう。
というよりグレイは私よりユリウスに聞かせるために言った。なぜかそんな気がした。
――でも、グレイの方からそんなことを言うなんて……。
いつかは知られる事だ。でももっと後だと思っていた。
「ナノ……おまえ、こいつと関係を……?」
ユリウスは呆然としていた。
私は言い訳出来ずうつむく。
さっきまでの浮き足だった気分は完全にしぼみ、じわじわと恥ずかしさが浸食する。
これでブラッドやエースとのことが知られたら、まなざしは軽蔑に変わるだろう。

この世界で、私の立場はとても弱い。
後ろ盾を断る割に、自分一人で渡るには要領が悪く。
マフィアに太刀打ち出来る知力も、騎士に対抗出来る腕力も無い。
だからといって彼らに非がある訳ではない。私はそこまで悲劇のヒロインじゃない。
本当に嫌になった人間は、どんな犠牲を払ってでも逃げる。
私だって計算ずくでも誰かの腕に飛び込んだだろう。
でも私は必ずしも、自分を守ろうと自衛を画策してきたわけではない。
ただ、自分にとっての一番を常に優先してきただけで。

でもユリウスは古風な人だ。尻の軽い女を許しはしない。
浮かれていた。はしゃいでいた。
ユリウスが戻って来てくれたのが嬉しくて嬉しくて。
クローバーの国で起こったことを忘れていた。
自分が汚れたこと。ユリウスに釣り合わない人間に墜ちてしまったことを。
「行こう、ナノ。俺の部屋は初めてだったな」
グレイは力の抜けた私の肩を抱き、優しく導く。
ユリウスは追ってこない。
私はただ自分が恥ずかしくて消えたくて、グレイの腕の中でうつむいていた。

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