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■珈琲を淹れた話

窓の外は相変わらず良い天気だった。
そんなクローバーの塔の広々と会議室では、塔の重役三名が集まっていた。
そして会議室の中心に立つナイトメアが、重々しく話し始める。
「あー……、ごほん。それでは、会議を始める」

ユリウスとのふざけあいが一段落して、私は会議室に呼ばれた。
何だか知らないけれど参加するようにナイトメアに言われたのだ。
とはいえ塔に居住しているわけではない私は、傍聴に来た程度の気分だ。
それで彼らの邪魔にならないよう商品を持って練り歩く。
「えー、おせんにキャラメルー。あんぱんにラムネはいかがっすかー」
「おお!気が利くな、ナノ!それでは……」
「ナノ。勝手に商売しないでくれるか」
私の声に目を輝かせたナイトメアが何か言う前に、グレイに言われました。
ユリウスも冷たく、
「昔の劇場じゃ無いんだ。変なものを売り出すな」
「あははは。もっとたくさんいらっしゃるかと思ったから、つい」
会合のような規模を想像していたら、いたのはナイトメアとユリウス、それにグレイの三人だけだった。
それに知人なら、元々お金を取る気はない。
「それじゃ、勝手に始めていてください。私は飲み物を入れていますね」
「え?ナノ、君も参加していいんだぞ」
慌ててナイトメアは言うけれど、私のことはお構いなく、と頭を下げる。
そしてお茶請けをユリウスたちに適当に配り、彼らのそばのテーブルに行く。

私はお菓子と一緒に飲料器具や珈琲豆を持ってきていた。
グレイの計らいで、雪の中から引き上げてもらったものだ。
残念ながらココアの原料は袋が破れ、ダメになってしまった。なので珈琲だけ三人分淹れることにする。
「……よし」
黒いエプロンを身につけ、ホコリを弾くと顔を上げる。
これを身につけるとなぜか気合いが入る。
それはいつものことだけど、今は、いつも以上に気合いが入る。
もうナイトメアの声や会議の内容は聞こえない。
私は豆を取る。
取り出した豆はハンドピックし、フルシティローストしたマンデリンのグレード1。
必要量を手回しミルに入れ、さっと中挽きにグラインド。
手早く布ドリップへ。湧かした湯を入れたドリップポットを粉へ。
粉に湯を。一度手を止め、蒸らす。再度湯を注ぎ。滴下を続行。
液の色は?匂いは?理想的。抽出へ。抽出。色?良し。
サーバーに珈琲が落ち。何てきれい。注ぐ。集中。勘。
抽出終了。勝負。ドリップをサーバーから外す。色。
ティーカップに珈琲を注ぐ。黒。きれい。匂い。良し。
ユリウスにはブラックで。
グレイにはクリーム。
ナイトメアにはクリームと多めの砂糖を。
入れ、無駄なくかき混ぜる。
そしてトレイに乗せ、ナイトメア、ユリウス、グレイと順に配る。
会議は乱さず静かにすっとカップを差し出しすぐに引く。
背筋は伸ばし、顔を上げ、足音は立てず、何より珈琲を揺らさず。
……終了。
「――はっ!」
そこで我に返った。

「あ、あれ?」
気がつくと、私は空になったトレイを持って突っ立っている。
――あ、そうだ。珈琲を淹れないと!
慌てて珈琲器具を見ると、もう使用形跡がある。
それでユリウスたちを見ると、もう彼らの前には淹れたての珈琲があり、三人……特にユリウスがじーっと私を見ている。
――ま、また飛びました?
ナイトメアを見ると。
「ああ、吹っ飛んでたな。珈琲の園に」
「う、うう……」
いつもではないけれど、たまにこういうことがある。
『ここだけは!』『このときばかりは!』というくらい気合いが入ると……吹っ飛ぶ。
その間は恐ろしいほどに手つきが違うらしい。
しかし人の好みはそれぞれ。
手が見えないくらい早かろうと不味いと言われればそれまでだ。
――マンデリン豆は苦みが強いんですよね。ナイトメアのにちゃんと砂糖を入れましたかね、私。
不安になって、珈琲を飲んでくれる三人を見た。
「うん、甘くてよろしい!」
「コクがあって美味い。ありがとう、ナノ」
ナイトメアとグレイはそう言ってくれた。なら、と私はユリウスを見る。
クローバーの国は珈琲通がおらず、珈琲修行は主として自分の舌に頼ったものになった。
とはいえ店では一番の売れ筋は珈琲だ。ヒマがあれば文献を漁り、遅くまで淹れ、いろんな人に意見を聞いた。
その成果はどこまで出たんだろう。
やがて、飲み終えたユリウスが顔を上げる。
私の心臓が跳ね上がった。また点数はつけてもらえるんだろうか。
「……上達したな。とても」
それだけ?と私は肩を落とした。やっぱり採点対象外なのか。
けれどユリウスは続けた。

「通う」

「え?」
顔を上げると、ユリウスが空になったカップを見ながら呟いた。
「こんな珈琲を出す店があるなら、その店に必ず通う。仕事の用が無くとも」
「…………」
引きこもりのユリウスが、用事がなくても塔を出て通ってくれる味。
お世辞も入っているのだろう。でも素っ気なくも優しい褒め言葉。
なぜか急に力が抜ける。大きく息を吐いて、私は椅子に沈み込んだ。
器具を洗わなければいけないとか、そんなことが頭に浮かぶけど動けない。
ただゆっくりと天井を仰ぎ、息を吐く。
良かった。本当に嬉しい。視界がぼやける。

帰ってきてくれたんですね、ユリウス……。

5/5

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