続き→ トップへ 小説目次へ ■その後・ブラッド編 その時間帯。店にやってきたエリオットは、心なしか耳が垂れ気味だ。 「悪い、ナノ。また『茶園の調子が悪いんだ』」 それは私と帽子屋屋敷の間の合い言葉だった。 「あんまり頻繁に呼び出されると困るんですけどね」 私はカップを拭きながら、エリオットに渋い顔をする。 「もう十分すぎるほど評判が下がっているのに、またお休みだなんて……」 するとエリオットはこちらの表情をうかがい気味に、 「いいじゃねえか。こんなボロい店なんか止めて、また屋敷に住めば。 そうすれば茶園だってわざわざ通わなくても世話出来るだろ?」 「私の店なんです。借金も返してないし……」 そう。この店は塔の全面支援で作ってもらった。 本当はちゃんとした店舗も建てられたらしいけど、身の丈に合わないと断って最低限の費用で建てている。 これ以上迷惑をかけたくないという遠慮もあるけど、資金を返すつもりでいたからだ。 ……でも、開店してそれなりの時間が経つけど、ナイトメアには材料費すら返金出来ていない。 なのにご領主殿と補佐官殿ときたら、さらなる融資を持ちかけて下さる。 私は自立にはほど遠い。 エリオットは私を説得する。 「ナノ。戻って来いよ。ブラッドと仲直りして、また俺たちと一緒に暮らそうぜ。 俺のこづかいで、塔から借りた金を全部返してもいいし」 「はあ……」 私は補佐官殿のようなため息をつく。 エリオットは私並みに難しいことが苦手だ。 未だに、私がブラッドと喧嘩して屋敷を飛び出したと思っている。 彼や屋敷の人たちにとって、私は今もブラッドのペット。 こんなに暖かい笑顔を見せてくれるウサギさんも、最終的にはほとんど無理やりに私をブラッドの元に連れていってしまう。 それを経験から学習している私は、あえて逆らわない。 「じゃ、店を片づけて鍵をかけるから、ちょっと待ってくださいね」 「おう!」 三月ウサギは元気に笑う。 でも茶園が心配なのも事実だった。 ブラッドの屋敷に構えた茶園。屋敷を出た時点で潰してもらうつもりだった。 不在の間、世話をさせるほど厚顔ではないし、もう屋敷に戻らないと思っていたから。 でもブラッドは私が出ることを許したばかりか、茶園を保存した。 どうもあの小瓶のことが関わっているらしいけど、よく分からない。 最初は私も、ボスの物わかりの良さを単純に喜んでいた。 けれど、その後は頻繁に呼び出されることになって逆に後悔した。 『茶園の調子が悪いんだ』 エリオットにその一言を出されると私は行くしか無い。 結局、未だにブラッドとの関係は切れていない。 「いつか君は、自ら帽子屋屋敷の門をくぐるだろう」 「はいはい。ダージリンが冷めますよ、ブラッド」 「つれないことだ」 そう笑ってブラッドは私の淹れた紅茶を飲む。 私は主の顔をうかがった。 「ブラッド。まだ怒っていますか?」 「怒っていないとでも?これだけ私を激怒させ、そして生きながらえている者は君だけだ」 「……ごめんなさい」 正直、店を出したいと言ったときは撃たれるかと思った。 ハートの国では手に入らないなら撃つとまで言った男なのだから。 「今はもう、君を撃つなど不可能だ。君の奔放なわがままを許してしまうほどに、私は……」 その後は聞き取れない。その代わりブラッドは独り言のように言う。 「猫など、飼うものでは無いな。気まぐれで、つむじを曲げると、すぐに飛び出していく。しつけも難しい」 「私は猫ではありませんよ」 「いいや、そのものだよ。チェシャ猫が気に入るはずだ」 「む……そんなことないですってば」 彼との会話は途切れず続く。 月明かりに照らされたブラッドと、かたわらに立って紅茶を淹れる私。 二人きりのお茶会は続く。 時おりブラッドが顔を上げ、それが合図のように何となく私も唇を重ねる。 ――ブラッド……。 愛おしいような狂おしいようなよく分からないもので心の内が満たされる。 それが何なのか分からない。 ――もしいつか分かることがあれば、そのときは……。 ……よく分からない。 とりあえず抱き枕兼紅茶係の扱いは、いい加減改めてもらわないと。 でもまあ、この後彼の部屋に連れて行かれ、しばらく滞在させられるんだろうけど。 「ん……」 ブラッドの手が私の背中に回り、唇がさらに強く押しつけられる。 口の中に唾液とともに混じる紅茶の香り、混じり合う彼の舌の感触。 「ナノ……逃げられるものなら永遠に逃げて見ろ。 だが私も、何度でも君を手に入れる……あきらめはしない……」 胸が熱い。でも同時にとても切なく苦しい。 全てを忘れるように目を閉じ、私たちはいつまでも互いを抱擁していた。 1/7 続き→ トップへ 小説目次へ |