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■砕け散った小瓶

私は目を閉じて震えている。
――それで、何もしないんですか?私は。
ブラッドが勝って屋敷に連れ戻されるか。
グレイが勝って彼のものになるか。
でも代償に負けた方が大けがをするか、下手をすれば二度と……。
自分自身はそんな終わり方でいいんだろうか。

――私は、私自身はどうしたいんですか?

最近ずっと、何度も何度もしてきた問いを、改めて自分に問う。
――目を、目を閉じるな!
自分に言い聞かせ、目を開ける。
涙に濡れた視界の隅に、未だ争うグレイとブラッドが見えた。
轟音と火花、破壊されるガラスに調度品。
私の周囲だけが無事。後はたいそうな惨状だ。
――こんなときでも、私が安全なように気を使って……。
でも、どうすればいいんだろう。
分からない。
そのとき、私の目に何かが飛び込んだ。
――あ……。

ハートの小瓶。ブラッドに捨てられたかと思っていた。

――ブラッド、まさか私の小瓶を、ずっと持って……?
手を伸ばして取る。
月明かりに光るガラスには、小さな小さなヒビが入っていた。
長いこと玉露の袋に収まっていたせいか、未だに玉露の芳香をまとっている気がする。
それに混じるブラッドの紅茶の匂い。
――お茶、飲みたいですね。
現実逃避気味に考える。早いところ終わらせて玉露が飲みたい。
そういえば最近緑茶を全然飲んでいない。
私は小瓶を握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。
すると、いち早く気づいたグレイが、
「ナノ、伏せていろ!流れ弾が当たるかも知れない!」
「私がそんな真似をするか。おまえこそナイフを誤って彼女に投げるのではないか?」
「そんなことをするか!!」
そして再び吹き出す殺気と轟音。
「や、やめて、やめてください……っ」
それだけ何とか叫ぶけど、それで止めてくれる訳もない。
――どうすれば……私、どうすれば……。
そしてナイフの音と銃声で頭がだんだん麻痺してくる。
――何か……だんだん考えるのが面倒になってきました。
やっぱり頭が悪いのだ、私は。
――こんな戦い見てるよりお茶が飲みたいですねえ……。
縁側に座って日向ぼっこをしながら玉露を飲みたい。
いや、もっと言うならまた誰かにお茶を、いやお茶じゃ無くてもいい。
紅茶でも珈琲でもココアでも淹れてあげたい。
――大変だったけど、臨時カフェは楽しかったですよね。
私は銃声の中、ボケーッと考える。

最近はほとんど思い出すこともなくなった空白の記憶の向こう側。
私にも、あんな風にみんなでわいわい楽しくやっていた頃があった気がする。
でも、どうしてか。いつからか私はその場所を失った。
この世界に来て間もない頃。ブラッドに会った当初は、私には帰る場所があり、自分を迎えてくれる人がいると信じていた。
でも、それは一番幸せだった頃に退行していただけで。
――もう、戻る場所はなかったんですよね、私。
そしてこの世界はそんな私を優しく迎えてくれた。
私はきゅっと手を握る。私はどう生きていきたい?

私はこの世界が好きだ。皆が大好きだ。皆に笑顔でいてほしい。
涙がこぼれる。
ブラッドが好き、グレイが好き、ユリウスが好き、ナイトメアが好き、ペーターが好き……皆、好きだ。
皆が笑っている顔が、一番大好きだ。
そして馬鹿な私が、皆を少しでも笑顔に出来る方法があるとすれば、それは……。

そのとき、ガラスが砕け散る音がした。

「え……」
私は手の中の小瓶を驚いて見つめる。
けれど、そこにはもう小瓶は無かった。
まるで内側の水圧が小瓶を砕いたように。
小瓶は粉々に砕け散り、月明かりの中、宝石のようにキラキラと落ち……床に触れる前に全て消えてしまった。
気がつくと、二人の男は戦闘を止めていた。
「小瓶が割れたか……だが、どうして。
どうナノを懐柔しても砕けなかったものが、なぜ今……」
「ナノ、どうした。何があった!?」
私にはよく分からなかったけど、ブラッドとグレイには意味が分かったらしい。
小さな小さな瓶が割れただけなのに、武器を下ろした。
そして重大事のように、何があったか私に問いただしてくる。
けれど、私は答えない。

その代わりに、自分の中でようやく得た答えを口にした。

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