続き→ トップへ 小説目次へ ■対決・上 夜も更け、誰もいない談話室で私はへたばっていた。 「つ……疲れました……」 やっと終わった。何もかも。 臨時に設営された喫茶スタンドはもう撤去された。 けど私の頭の中は今も『あ、次は紅茶淹れて、その間に珈琲を……』と戦闘モードだ。 本当に本当に大変だった。 私は潜在能力まで引っ張り出して淹れまくり、走りまくり、クレームを出さない程度にどうにか全注文をこなした。 でも閉店後はどっと疲れが来て、片づけ準備なんかは不可能で。 塔の人たちにほとんど任せるという情けない有様だった。 頭をかきむしって自己嫌悪にうめく。 そもそも、当初の計画では会合の合間に開くはずだった。 で、まあいろいろあって最後の会合の、最後の集まりの後に駆け込みで実現出来た。 これから帰るだけの皆が、足を止めてくれただけ感謝、としか言いようが無い。 「うう。会合に疲れた人たちの気晴らしっていう目的が……」 「いいや、十分気晴らしになったよ」 「!」 テーブルから顔を上げると、目の前にグレイがいた。 優しい瞳で私を見ていた。 彼は両手に二人分のココアを持ち、一つを私に差し出してくる。 「……どうも、ありがとうございます」 私は受け取って飲む。グレイも椅子を引いて向かいに腰かけた。 「俺のつたない出来では、君には不味いだろうけど」 「……そんなこと!」 否定する。疲れた身には甘味は単純にありがたい。 「美味しい……」 「そうか?」 「ええ、すごく!」 疲れの前に、厳選された渋みや深みは糖分にアッサリ陥落する。 嗜好飲料の難しさはそこだと思う。 「あれだけの注文を一人でさばいた手並みは見事だった。味だってどれも高級店の味わいだ。ナイトメア様も褒めておられたよ」 「そう、ですか」 実際には私は常にいっぱいいっぱいだったのですが。 「でも、いろんな人に淹れて、いろんな好みがあるんだと思いました……」 分かりきっていたことだけど改めて実感する。 ナイトメアはカフェオレをごくごく飲んで『珈琲はやはりブラックだな!』とか言っていた。 ペーターはどうも味音痴らしく、一気に飲んでひたすら絶賛してくれた。 ビバルディはにっこりうなずいて『よし』と一言。 エースはコピ・ルアクという珍種の珈琲を飲んで、かなり微妙な顔をしていた。 エリオットは『多分頼むだろうな』と予測して用意しておいたニンジン珈琲にご満悦。 大人になったディーとダムも、甘いチャイモカに大喜び。 その他、役持ちの人も役なしの人、一人一人反応が違う。 感想があったり、無かったり。笑顔になったり、一部の人は渋い顔になったり。 でもブラッド=デュプレは結局来なかった。 最近のブラッドは私の紅茶を過度に絶賛してくれるけど、自分はまだまだ未熟なのだと思い知らされた。 皆を笑顔にするのは簡単じゃない。 薄暗い談話室で、私は静かに呟く。 「研究することが山のようにあります」 「…………」 すると、向かいに座っていたグレイがそっと私の両手を取る。 「ナノ、塔に戻ろう。面倒なことは俺が引き受ける。ここで研究すればいい」 「グレイ、前にも言いましたよね。それだと結局同じことだと」 ブラッドが私に飽きるまで塔で引きこもり生活。 それでは以前と何も変わりない。 「なら、君はブラッド=デュプレを説得出来たというのか?」 「う……っ」 それを言われると痛い。実はこの後におよんで何も言っていないのだ。 というか臨時喫茶のこと自体何も言わなかったから、きっと怒ってる気がする。 「ん……」 グレイがテーブル越しに、私に唇を重ねてきた。 「ナノ……君が好きだ」 「……私は……」 答えられない。ただ申し訳なくて、グレイが離れてすぐに立ち上がる。 「グレイ、私、そろそろ部屋に戻らないと。本当にありがとう」 そして席を離れようとし、 「ナノっ!」 ココアのカップが床に落ちる音。 私はグレイの腕の中にいた。 「グレイ……ダメです……」 彼は、もう匂いが移ることを気にする余裕も無いらしい。 痛いほどに抱きしめられる。 そして私の胸に広がる、懐かしい煙草の香り。身体にあたるナイフの感触。 「グレイ、お願い。離してください……」 「嫌だ。今君を離したら、君は二度と帽子屋領から出てこない。そんな気がするんだ……」 「…………」 否定は出来ない。最近はブラッドとの仲も改善し、屋敷内にも、茶園を作るほど馴染んだ。 逃げることは考えず、屋敷でブラッドとちゃんとやり直すのもいいのでは……と思ったことも一度や二度では無い。 でもそのたびにグレイへの、そしてユリウスへの思いが邪魔をする。 「君を愛している……」 「グレイ……」 顔を上げられ、深く口づけられ、その先の言葉が封じられる。 「全てどうでもいい。もう君を、帽子屋には帰さない」 強い意志を秘めた言葉。彼は私のために、全ての面倒ごとを引き受ける気でいる。 でも、私自身は、そこまでの好意を嬉しいと思うけれど。 「私は……」 先の続かない言葉を悪あがきしながら紡ごうとしたとき、 「お嬢さんから離れてもらおうか、トカゲ」 冷え切った声がした。 「!!」 グレイの動きは素早かった。一瞬で私を背に庇い、彼から隠す体勢にする。 そして両のナイフを引き抜いた。 それでも私の声は震える。 「ブラッド……」 最近優しい顔を見ることが増えていたから忘れていた。 マフィアのボス。 ブラッド=デュプレは氷のような目で私たちを見ていた。 2/5 続き→ トップへ 小説目次へ |