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■二つ名は『マイスター』

――はあ……どうすればいいんでしょう……。
私はベッドに横たわっている。もちろん服を着て。
久しぶりのクローバーの塔。その懐かしい客室。
ただし、私は当然のことながらブラッドと同じ部屋だ。
で、来る最中から来た後も何もブラッドに言い出せず。
ただベッドの上でゴロゴロと転がりまわり、ゴロゴロと、ゴロゴロゴロ……。
勢い余ってベッドから飛び出した。
「うわぉっ!!」
「おっと」
落ちたと思った瞬間、ベッド脇に控えていたブラッドに支えられた。
「ど、どうも……よく受け止めて下さって」
ブラッドはすまして私をベッドの上に戻す。
「君が高速回転していたからな。進路の予測は困難だったが大事を防げて何よりだ」
――高速回転て……。
うん、まあ激しいローリングでしたが。あ、ちょっと気持ち悪いかも。
ブラッドは私の頭を撫でながら、
「君は退屈なときも、アクティブになったな」
「そうですかね」
また良からぬことを考えているのか、ブラッドは私に覆いかぶさる。
けど、気のせいか彼は……
「ご機嫌ですね、ブラッド」
首をかしげると、ブラッドは私の首筋に口づけながら、
「上機嫌だとも。君が元気でいるからな」
「え?」
「一時期よりずっとな。ファミリーに馴染んでくれたようで何よりだ」
「え、えー」
そういえば……最近、我ながら元気だ。よく食べるし笑うことも増えた。
ブラッドとの行為も……ええと、まあ彼が満足する程度には。
私が答えあぐねていると、ブラッドはすぐには行為に及ばず、私を抱きしめる。
「ナノ……終わったら紅茶を淹れてくれ」
「ん……はい」
唇が重なる。しばらく私たちはそのままでいた。


「ほう……」
私の紅茶を一口飲んだブラッドは、とても驚いたようだ。
黒エプロンをつけ、ティーポットを抱える私に、
「信じられない。あの最高級フラワリー・オレンジ・ペコーを使いこなすとは……」
「え?そうなんですか?」
営みが終了し、私は紅茶を淹れることになった。
そこで以前ブラッドに買ってもらったSFTGFOP-1、つまり最高級ランクのオレンジ・ペコーを久しぶりに使った。
さぞ厳しい評価が下るだろうと思ったけれど、どうしてか絶賛を受けた。
「味、香りともに申し分ない……褒め言葉をどう探していいか分からないほどだ」
本当に感銘を受けているらしい。私はただ首をかしげる。
「オレンジ・ペコーを自分で作ってみて、発酵過程なんかが勉強になったんですかね。
文献を総当たりして、新しい発見もありましたし」
「ふむ。ぜひ屋敷の独自ブレンドに加えたい。どんな配合でブレンドした?」
熱く聞かれて答える。

「何となくですよ。どうやって淹れたか覚えてません」

そう言うと、ブラッドは口を開ける。ずいぶんと珍しい表情だ。
「…………は?いつもブレンドのデータを取っていただろう」
そう。珈琲のときもそうだったけど、私はデータ魔の傾向があり、ブレンドのたびに細かい調合をメモして、ブラッドの感想などつけるのが習慣だった。
でもなぜか最近そんなことはあまりしなくなっていた。
「ナノ!この神がかったブレンドの製法を全く覚えていないのか!?」
「ええ。何となく、こうしたら美味しくなるかなと思って……」
こちらにつかみかかる勢いのブラッドに、私は困って宙を仰ぐしかない。
「それでまあ、適当に」
「適当でこの味か……君は本当に計りがたい」
うなりながら、名残惜しそうにブラッドは空のカップを差し出す。
私は受け取り、紅茶を注ぐ。ゴールデンドロップまでしっかり落としブラッドに渡す。
「でも同じような味をお求めなら、またお淹れしますよ」
するとブラッドは目を見開いて私を見、
「……出来るのか!?」
「どういう風にやればいいか、淹れるときに何となく分かりますから」
ただ、そのときブレンドのデータが取れるかは不明だ。
最近は紅茶を淹れている最中は集中しすぎて意識が飛ぶレベルになっている。
おまけに恐ろしくスピードが速くて、何をどれだけ配合しているか、紅茶担当の使用人さんでさえ、見抜けないらしい。
「信じられない成長ぶりだ……初めて会ったときは想像もしなかった」
「成長ですかね?」
首をかしげざるを得ない。
私は他の能力を切り崩して、飲み物のレベルを上げている疑惑がある。
つまり『一つの能力が上がると他の能力が下がる』法則があるのだ。
この間は自分用にゆで卵を作ろうとして、気がついたとき厨房の三分の二が吹っ飛んでいた。そしてゆで卵のあった場所には、なぜか数十リットルの化石燃料が残っていた。
その後エリオットがその『元ゆで卵』を抗争に利用。
……結果、怖くなるくらいの効果を発揮し、敵どころか味方にまで大損害。
あまりにも危険すぎると、その場で廃棄が決定された。
『元ゆで卵』は頑丈なドラム缶に詰められ、不思議の国のどこか地下深くに埋められている。その場所はブラッドとエリオットしか知らない最重要機密だ。
そして『ナノ様に紅茶以外のものを作らせるな』は今も使用人さんの合い言葉になっている……。
そしてブラッドはそんな悩める私を見、フッと笑う。
「つまりこれは君だけが知る極秘ブレンドというわけだ」
「いえ、そんな大げさなものでは……」
けどブラッドは真剣だった。
「君はもう『マイスター』の称号を名乗っていい。この私が許可しよう」
「大げさですよ、ブラッド」
本物のマイスターは、それこそ、この道ン十年という真の職人だけに与えられる称号だ。私など畏れ多い。
「いや、それに値する。年齢や経験は関係ない。君は『マイスター』だ」
常にだるそうな彼が、今は見たことのない熱い目で私を見つめる。
「もう私は、一生君を手放せそうにないな」
そう言って紅茶をゆっくり飲み終えると、私を抱き寄せ、強いキスをした。
同時に私はソファに引き倒される。
ブラッドの手は、すぐさま意図のある動きで私の身体を這い回りはじめた。
――え?あの、紅茶を喜んでくれて、何でお茶菓子ルートになるんですか?
やっぱりボスはよく分からない。
――でも、二つ名が『マイスター』というのはちょっと格好いいかもですね。
名乗れやしないですが。
けれどツッコミはついに出ることなく、甘い喘ぎだけが部屋に響いた。

……というか、やっぱりブラッドには屋敷を出ることを言えていない。

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